「犬の引き取り屋」問題から、人間と動物の関係性を考える

私、犬だけど、質問ある?(写真:アフロ)

Yahoo!個人のオーサーである太田匡彦さんの記事、が注目されています。

「犬の引き取り屋」で生き、死んでいく犬たち 「不幸」の再生産を止めるため、求められる二つの施策

私は日頃、教育や社会階層の問題を中心に研究をしている社会学研究者ですが、自宅には2匹の犬、3匹の猫がいるので、この記事を目にして、とても胸が痛みました。

猫は3匹とも拾ったり、知人から引き取ったりしたものですが、犬2匹はペットショップで買った血統書付きです。まず、1匹はジャックラッセルテリアです。母と妹と3人で猫の餌を買いに行ったペットショップで見かけたとき、もう5ヶ月くらいだとかで、大きくなってしまっていて、ジャックラッセルテリアっぽくない不細工な顔立ち、短足で、しかもビクビクしていたので「これは買ってくれる人がいなくて処分されてしまうかもしれない。」と思い、購入しました。もう1匹はトイプードルですが、やはり同じような理由で妹がどうしてもと言って、購入しました。

ところが2匹とも色々と健康上の問題があります。まず、ジャックラッセルテリアの方は、ひどいアレルギー持ちで、かゆみで体を掻いたりかじってしまうので、ひどいときは手足が赤くただれてしまいます。ちなみにミドリムシサプリを飲ませるようになってから良くなりました。トイプードルの方は、体が成長せず、チワワくらいのサイズしかありません。しかも、皮膚病治療のための薬が合わなかったこともあり、プードルなのにふわふわしておらず、ハゲています。それに、心臓病があり、長くは生きられないだろうと言われています。

私は常日頃から、ペットショップで動物を売ることには大きな問題があると思っています。太田さんの記事にもあるように、売れ残り動物たちの末路は悲惨です。我が家では売れ残りになりそうだった2匹を購入しましたが、2匹ともひどい病気持ちで、無理な出産・生育の影響ではないかと考えています。

ペットは家族の一員か?

私は日頃、人間社会を対象にして研究しています。社会学とは人間・社会の研究です 。社会制度、社会関係、国や学校や会社や家族などの組織、ジェンダーや上限関係などの社会常識がどのように機能・作用し、それによってどう人間がどう考え、行動するのかを考える学問です。

社会学において人間と動物の関係性というのはあまり深く考慮されてこなかった分野ですが、人間の生活に動物の存在は欠かすことのできないものです。狩りのための犬、保存庫の食料を守るための猫、牛や豚など食肉用の家畜、馬やロバなどの使役動物など、様々な動物とともに人間社会は発達してきましたし、人間社会が動物とともに生きていくことは、形は変化すれども今後も変わらないものでしょう。

人間社会において最も基本的かつ重要な組織・機能・考察単位のひとつである「家族」を考えたとき、そこには往々にしてペットの存在があります。また、家族ではなく個人単位であっても、ペットや愛玩する対象としての動物は存在しています。私の通勤経路には途中に大きな公園があるのですが、そこにはいつも鳩やカモメ、猫に餌付けしている、ホームレスとおぼしき中高年の人たちがいます。しかも何人もそういう人たちがいるのです。

「ペットを飼う」という行為が一般に普及していったのは、中世以降の都市の発展が大きな理由です。都市化によって、人間と動物の関係性は、狩りや農業に使役するための「機能」から、人間と動物が共生し、影響を及ぼし合うものへとシフトしていったのです。

そして、近代化や最近のポストモダン状況、つまり不安定で不確実で、他者との関係性が希薄な現代社会において、ペットは、かつては家族や地域コミュニティに求めることができていた「安心」「他者との共生」といったものを代替的に提供する存在となりつつあります。

社会学は人間と動物の関係性をどう考えるか?

社会学はこれまで、動物の研究に十分に取り組んではきませんでした。しかし、社会学が目に見えない「社会関係」「人間と人間との関係性」を研究してきた学問であることを考えれば、人間と動物との関係性を考察対象に含め、この分野を発展させることは社会学の学術的義務です。同じ社会科学でも、政治学や経済学のように「合理的な個人」「功利主義的な個人」つまり、人間は自分の利益のために動く、というモデルを基本として考えてしまうと、ペットと人間の関係性というものに説明はつけにくくなってしまいます。

「ペット」との関係性は、経済的・功利的な条件ではなく、社会的な伝達・交換によって成立するものです。ペットというのは、家庭の中で飼われ、名前を与えられ、世話をされ、愛情を与えられるという、人間との擬人的な関係性によって、「ペット」として存在することができるのです。つまり、「ペットショップにいる動物」「売れ残って、ペットになれなかった動物」 は、人間とペットという関係性を築くことができません。社会学は、人と人との関係性、人と社会との関係性を包括的に研究対象としてきたからこそ、人と動物の関係性についても考えていくべきなのです。

一方、ペットを飼っている人たちにとって、ペットと人間の関係性などというのは、あまりにも自明のことなので、それについて問うことはしないでしょう。最近の調査によると、アメリカでは91%がオーストラリアでは88%のペットオーナーが「ペットは家族の一員である」と回答しています。ペットオーナーにとって、ペットとは家族なのです。

人間とペット(動物)の関係性は時代・社会によって違います。しかし、家族のあり方、家族の中のメンバーの関係性というのも、時代や社会によって大きく変化してきたものです。例えば、ほんの100年前の日本では、父親が望む相手との政略結婚など娘・息子にとっては当たり前、そして今となっては「ありえない」姦通罪などというものもまかりとおっていました。家父長制のもと、父親が家庭内の絶対的権力者であり、妻や娘というのは所有物に過ぎませんでした。もっとさかのぼれば、奴隷制が存在していた社会はあちこちにあり、人が人を物として扱うことなど当たり前のことでした。 人間と人間の関係性は「上下関係」という絶対的な壁によって規定されていました。その絶対的な壁は、崩しがたい強固なものとして、人々の考えや行動を規制していたのです。

家族内の関係性や人間と人間の関係性が時代を経て変化してきたのには、自由主義や民主主義の発達、植民地化、都市化、近代化などさまざまな要因があります。そして、人と人の関係が変化してきたのと同じように、実際には人と動物の関係性も変化してきたし、これからも変化していくのです。

人間と動物の問題は、人間と人間の問題と根っこは同じ

私たちは、社会の様々な問題について、経済格差や男女格差、児童虐待や、教育の機能不全、長時間勤務や保育園不足問題など、さまざまな視点から論じます。しかし、根本にある「不愉快さ」はこれらの問題が「強者が弱者を搾取する」「強者が弱者の生命・自由・考え方を左右している」「弱者が生きにくい」という理不尽さに対する怒りではないでしょうか。

人間は社会やその構成員である人間そのものに対して怒りを表明し、問題を提起し、ときにはそれらと戦うこともできます。しかし、人間社会の中で生き、人間との関係性を築き、人間もまた彼らに頼って生きているにもかかわらず、動物は社会や人間に対して怒りを表明し、問題を提起し、それらと戦う術を持ちません。

人間と人間の関係性において、絶対的な壁とみなされていた上下関係に関する価値観が変化したことにより、奴隷制や家父長制が否定され、人間と人間の関係性が変化してきたように、人間とペットの関係性を規定する絶対的な壁である「種族の違い」という価値観が変化すれば、人間と動物の関係性も変化していくはずです。

ペットにせよ、「ペットになれずに朽ちていく」動物たちにせよ、私たち人間が責任を持って、人間と動物の関係性について考え、それを変化させていくことでしか、両者の関係性を両者にとってより良いものとしていくことはできないでしょう。