大学無償化は理想だが実現不可能。高校までの教育をレベルアップせよ

高卒学歴が最低限の学力・能力を保証するものではなくなってしまった(写真:アフロ)

奨学金による借金の負担の重さが話題になっています。

ネットを少し見回してみても、奨学金→返せず貧困に陥る、といった記事は多く見当たります。

http://diamond.jp/articles/-/89294?display=b

http://toyokeizai.net/articles/-/102020

http://toyokeizai.net/articles/-/101742

確かに、奨学金が「貧困ビジネス」となりつつある状況はあるかもしれません。また、現状の奨学金の多くが「奨学金」という名のローン(借金)であることも事実です。

しかし、こうしたニュースは極端な例を取り上げているものも多く、必ずしも全体を見ているものではありません。たとえば、「生活保護の不正受給が増えている」というニュースがありますが、実際には受給者数全体の数が増えているので不正受給も微増しているものの、不正受給率は全体の1%程度なので、むしろ必要な人に生活保護が行き渡っていないことの方が問題です。

事実、学生支援機構の調査によれば、返還を要する者(返還期日到来分のみ)362万4,706人に対して、返還している者329万6,320人となっており、90%以上が遅延なく返還していることになります。

http://www.jasso.go.jp/about/statistics/zokusei_chosa/h26.html

奨学金でお金を借りて大学に行くことを積極的に奨励するわけではありませんが、大学に行かないリスク、つまり大卒資格が無い場合のリスクも考えた上で「奨学金を借りて進学するリスク」「奨学金を借りてまでは進学しないリスク」の両方を考えてみてほしいと思います。

世界の大学の学費は傾斜式になっている

ヨーロッパを見ていると大学無償が先進国の主流となりつつあるようにも思われます。学費が高いとされるイギリスの場合、公立大学(イギリスの大学は殆どが公立)はどの地域かによって年間の学費が大きく変動し、年齢や、域内出身者か外部(EU外からの留学生)なのかによっても異なるため、0円から150万円程度と幅広く、傾斜式の学費ということもできます。

学費が高いことで有名なアメリカは、私立か公立かによって大きく異なりますが、公立の平均的な学費は150万円程度です。ただし、所得に応じて国が学費補助をするPell Grantという給付型奨学金制度と、ほぼ誰でも受けられる貸与型のFAFSAが幅広く用意されているほか、各学校が支給する奨学金制度があるため、単純に平均して語ることはできません。アメリカの場合、国が積極的に大学進学率を上げることを目標にしていることもあり、奨学金の種類は豊富です。また、これらの奨学金は子どもの進学のみならず、貧困家庭、ひとり親家庭の「親の進学費用」にも適用されます。

日本の大学進学率は高くない

なお文部科学省の各国の大学進学率比較では、日本は51%、イギリス63%、アメリカ74%、OECD平均62%となっています。(いずれも4年制大学と2年制大学を含めた数字ですが、国よって大学の制度がことなるため、2年生と4年生を分けるのが難しいので両方を含めた「高等教育」というくくりになる)これを見る限り、日本では大学無用論とでもいうべき人たちが「大学進学率が高すぎる」と言っていますが、日本の大学進学率は先進国の平均よりかなり低いのです。

一方、日本の労働者の状況を諸外国の正規・非正規雇用の実態、失業率と比べた場合、良くも悪くもなく「まぁ、普通」です。日本の失業率はOECD平均より低いものの、労働者保護のための規制や社会保障の面が弱く、正規・非正規の賃金・待遇差別、非正規労働者の賃金の低さなどにより、相殺してしまっています。ドイツなども正規・非正規の賃金・待遇差別が大きいことが問題になっていますが、フランスなどでは労働者保護が手厚い一方で失業率が問題になっています。各国がそれぞれの社会的背景に起因する労働問題と社会保障問題を抱えています。

http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/12/dl/1-05.pdf

http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2011/04/002-033.pdf

各国政府はなぜ大学進学率をあげようとしているのか?

大学教育によって人的資本(能力)を上げ、より高度な職業に就けるようにするというのが、各国政府が大学進学率を上げようとする理由です。大学教育の意味や効果というのが、「大卒」「有名大学卒」という名称によって「能力が高いに違いない」と思わせるシグナル(記号)によるものなのか、教育を通じて人的資本が上がることなのかについては、研究者の間でも議論になっていますが、多くの場合、シグナルと人的資本の上昇はセットで起こるものであり、両方ともが大学教育・大学卒業資格の意味・効果です。

就職後の昇進に大学のランクが有用なのかどうかも明確な答えは出ていません。データの取り方、分析方法によって違う結果が出るからです。

一方、各国の研究やデータから総合的に言えることは、大学卒業者の賃金、仕事の安定性はそうでない者よりも高く、失業率も低いということです。また、非正規雇用の中でも、事務職から日雇いの肉体労働まで幅広い職種がある中で、大学卒業者であれば事務系の派遣職など、非正規の中でも比較的安定性のある仕事に就きやすいので、まだ安定性や労働条件の点での優位性があるといえます。

日本の奨学金受給者の現状

学力と家庭の経済力は強い相関性があります。私たちは往々にして「貧乏でも優秀な人のサポート」を中心に議論を展開しがちですが、多くの場合、優秀な人というのはミドルクラス以上の家庭出身であり、「貧乏でも優秀な人」というのはそうそういません。

東京大学では家庭の年収が450万円以下の学生が毎年10%ちょっといるが、年収1000万の学生が一番数が多く、20%程度で、学生の半数以上は年収が950万以上の家庭出身です。年収450万以下といっても幅広く、年収が200万以下のいわゆる貧困家庭の出身者がどれだけいるのかは東京大学ではデータを出していません。

東京大学で貸与型、給付型を含め何かしらの奨学金を受けているのは20%以下です。大阪大学は家庭の年収の詳細を出していませんが、奨学金受給者の比率は34%です。また、琉球大学では家庭の年収200万以下が約20%で最多で、60%以上が年収500万未満の家庭出身です。また、琉球大学では数値を出していませんが、筆者の概算では奨学金受給者は全体の53%にのぼります。

私立大学については個別の学校が家計の年収を発表していないため不明ですが、偏差値40台のある私立大学の場合、貸与型奨学金を受けているのは学生の40%を超えています。日本学生支援機構の学生生活調査によれば、家計年収が500万以下の学生の割合は国立24.6%、公立28.1%、私立23.8%となっている。なお、200万以下の学生の割合は国立4.1%、公立4.1%、私立2.8%である。

年収300万以下の家庭出身者は大学より専門学校を選んでいる

そもそも家計年収が300万を下回る学生は、大学8.7%に対して専修学校17.1%となっており、大学よりも専門学校を選んでいます。専門学校の方が大学より短いとはいえ、多くの場合、学費は大学よりも高いにも関わらず、です。実際、親の収入が高いほど子どもの大学進学率は上がります。家計年収が低い家庭の出身者は前提としてあまり大学には進学しないということになるので、大学の偏差値などよりも、経済力による進学機会の不平等がもっと大きな問題として注目されるべきです。

今の日本で大学に進学しないということ

2005年に50%の大台に乗って以降、今の日本の大学進学率は50%強で微増しています。「大卒が当たり前」とまでは言えませんが、高校卒業者の7割近くが「専門・短大・大学以上の学歴」を持っていることになります。大卒の価値が落ちていると言われていますが、それはこれまでの日本のすべての教育レベルが経験してきた議論でもあります。50年代には「中卒が当たり前だから高卒」、60年代には「高卒が当たり前だから大卒」に価値があり、今では「大卒が当たり前になりつつあるから名門大卒」が求められるようになってしまっているのです。

「大卒当然社会」で「当たり前」の大卒学歴を持っていなければ、それはマイナスです。今後さらに進学率が上がれば、ますます大卒学歴を持っていないことがマイナスになるでしょう。また、前述したように、日本では小学校から高校までの教育が高いリテラシーを担保するものとなっていないため、大卒学歴が「中卒レベルの学力・能力・やる気を担保する」というシグナルになりつつあります。

進学費用の重さにも関わらず「大卒当然社会」では大学に行かないという選択肢が取りにくくなっていることは問題です。また「大卒」の労働市場での価値が下がっていることも事実でしょう。大卒の市場価値を上げるには「大学進学は一部のエリートのみの特権」という状況に戻すしかありません。しかし、以前お話ししたように、高卒就職も実は高いハードルがあります。大学進学率を下げるために、高卒で就職先も無い状態で社会に出ることを推奨すると、日本人全体のリテラシーレベルの低下が起こりかねません。

教育年数の長さは投票行動、生活習慣、志向性など様々な側面に影響するという研究もたくさんあります。また、選抜度の低い大学の場合、高校までで身につかなかった学力・社会性を大学4年間で学ばせたり、就職の面倒を見たりする側面もあります。つまり、大学教育には労働市場での価値だけで計測できない、有形無形の価値があることを考慮すると「大卒に価値が無い」と安易に言うことはできないのです。

「学力の低さ、家計の苦しさで大学進学をあきらめる子どもたち」という視点よりも重要なこと

今の日本で一番重要な議論は「大学進学の是非」ではなく、「有名大学進学が人生の選択肢から消えるのはいつなのか」でしょう。

今の高校のシステムや大学入試のシステムでは、中学校の段階で「落ちこぼれ」でも特段の努力をせずに、高校に進学でき、高校の段階で学力ややる気が無くても大学に進学できてしまいます。中学卒業までに身につけておくべきことが習得できていないまま高校生になれば、そこから進学できる大学は限定されますし、大学どころか学力と無関係の「夢を追う」ために、あまり仕事や就職と直結しない専門学校・短大へと進学してしまうことも増えます。

さきほどの、家庭の年収が300万以下の場合は、大学ではなく専門学校進学が増える、という話に戻りましょう。

学力と家庭の経済力の相関性を考えた場合、「学校で勉強を頑張る」態度ややる気には生まれた段階で大きな差があり、それが中学・高校までの学力格差につながるのです。大学進学や専門学校進学のハードルは低くなっていますが、すべての学校のハードルが低くなっているわけではありません。重要なのは、進学ハードルの高い大学への進学を諦める(初めから希望しないというのも含めて)、つまり、視野に入らなくなるのは一体どの段階からなのかということです。

学力が低い高校生の多くは高校入試で最初の諦めを経験しているので、中学生の段階ですでに有名大学進学を考えなくなるはずです。そして、有名大学を狙わないのであれば、高校に入ってから日頃の勉強を頑張る必要もありません。当然、中学で身につけておくべきことが習得できていない状態で高校生活をするので、高校段階で身につけておくべきことの習得も中途半端になります。つまり、本来であれば大学進学を希望していなかった層の生徒たちが大学進学にシフトするのです。大学の選抜度で「有名大学」「Fラン大学」などと大きく差がついてしまうのは、大学進学者の中での学力・能力・やる気の差が大きいからです。

つまり、今の日本の大卒学歴は、「中卒程度の学歴を担保する」だけのものであり、大卒にふさわしい学力・能力を担保する学歴は「有名大学卒」だけになってしまっているのです。

私は、日本社会全体で今もっとも真剣に議論すべきことは、「小学校卒業までに身につけておくべきこと」「中学卒業までに身につけておくべきこと」「高校卒業までに身につけておくべきこと」が身についていない状態で卒業できてしまうシステムをどう改善するかであると思います。この部分が議論されておらず、習熟度が低い状態で卒業・進学できてしまうから、大学進学者の間で大きな学力・能力差が生まれ、それによって大卒学歴の市場価値が下がり、有名大卒学歴でなければ「大学進学の意味が無い」とまで言われるような状況になっているのです。つまり、誰もが「自分も有名大学進学を狙える」と思える状態が高校卒業まで続いていれば、有名大学・Fラン大学などという大学間格差も縮小し、大卒学歴の市場価値の低下も防げるはずです。

この部分にアプローチするには「各学年ごとの要求水準の習熟度に達していなければ進級・卒業・進学できない」という教育方式に改めることも必要です。それができれば、小学生、中学生、高校生全体の学力が上がり、大学進学者全体の学力や、やる気の底上げも可能なはずです。*

「安上がり」「効率的」「効果的」に、日本の大学生、社会人の人的資本を上げ、大卒学歴の価値を上げようと思ったら、大学入試で異常に高い基準を設ける必要はありません。G型大学だのL型大学だのという面倒な議論も必要ありません。

高校までの底上げをすれば良いのです。

しかし現実には、生まれ落ちた家庭の年収・環境の格差を学校教育で埋められていないのが日本の教育です。

誰もが大学進学する必要はありません。しかし「大学入学・卒業ハードルは高いが、一定の学力があれば大学には誰でも入れる。高校卒業年限や大学卒業年限は無い。留年は自由だが、退学はできない。高校卒業までに、誰でも大学入学に必要な最低限の学力には確実に到達する。高校卒業段階で進路を考えれば良い。」という教育制度だった場合を「仮定」したときに、そこと現状がどれだけ差があるのかを考えてみるところから想像してみるべきです。

以前、お話ししたように、高卒就職は実は非常に高いハードルがあります。高卒でそれなりの給与がもらえる、安定した大手や中堅企業で正社員の職業に就こうと思った場合、学校内での成績を高く保ち、部活動や委員会活動も頑張り、生活態度なども気をつけて、学校から推薦をもらわなければいけません。また、高卒で公務員試験を受ける場合には、他の就職活動が一切できないので、必死で学力試験に備えて勉強をします。つまり、高卒で安定した仕事に就ける生徒たちは「高卒にふさわしい学力・能力・やる気」を持っているのです。

高校までの教育内容を見直し、全体の習熟度を上げることが必須

各国の奨学金や学費の制度、日本の大卒学歴の課題などを見てきました。

理想としては、大学無償化であり、大学全体の底上げですが、日本は「政府が教育にお金を使わない」国です。このような状況では、教育への予算増など望めないので、大学無償化など夢のまた夢、実現不可能です。

では、何ができるのでしょうか?

日本の高校までの教育の問題点と大卒の市場価値の低下、その費用負担の問題を考えた場合、まずは「大卒」が担保している学力・能力レベルを代替できる初中等教育(小学校・中学校・高校)を作る必要があります。その上で、労働市場側が高卒・中卒を採用するようにしていく必要があります。

高卒就職の制度的課題と併せて、「日本の教育をどういう方向に持って行きたいのか」を考え、高校までの教育制度を見直した上で「高大連携」「産学協同」「中高一貫」「小中高一貫」などの取り組みなどを包括的に議論しなければ、「教育改革」には実質的な意味が無いと私は常々思っています。同時に、大学はフルタイムで4年ではなくパートタイムで8年くらいかけて卒業するような、柔軟性のある学び方も提供していくべきでしょう。

これらの施策は、教育に予算を割かない日本政府でも、せめて国民の最低限のリテラシーと人間らしく生活するためん健全に働く権利を保障するために、最低限すべきことです。

*実際には「留年」の有効性については多くの疑問符が付いており、導入する場合には学校だけではなく社会システム全体の見直しが必要なので、「強制的に留年させるシステム」を安易に勧めているわけではありません。「一人一人が自分の学力の満足度に合わせて自由に留年が選択できる。科目によって学び直しを選択することが恥でも問題でもない。誰もが主要な科目において確実に一定の学力が達成できる」社会を仮定した上で、教育の目的・目標や制度を考え直してみるべきだと考えています。また、大人になってから、高校までの学び直しをすることが可能な社会というのも理想であると考えています。表現方法が至らないせいで「留年制度を導入すべきだ」という誤解を与える可能性があるかと思い、追記いたしました。