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『報ステ』CM動画炎上問題~”文脈を読むチカラ”の大切さを問う~

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
テレビ朝日本社と六本木ヒルズタワー(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

・「ジェンダー平等は時代遅れ」が炎上

 テレビ朝日の報道ステーション(以下報ステ)が制作したCM動画が炎上したのは既報のとおりである。報ステは2021年3月24日、問題となったくだんのCM動画を削除し、公式に陳謝した(後述)。

 私はくだんのCM動画が話題になってから、15秒verと30秒verの二種類をじっくりと視聴した。特に問題とされたのは、カメラの前に向かって独りで喋る若い女性の以下の台詞である。

「会社の先輩、産休あけて赤ちゃん連れてきてたんだけど、もうすっごいかわいくって。どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかっていま、スローガン的に掲げてる時点で、何それ、時代遅れって感じ」(強調筆者)

 これが報ステCM制作人のジェンダー認識の遅れ、または女性蔑視だと批判に火が付いた格好である。国会議員もこの報ステCMを批判した。一例をあげると社民党の福島瑞穂氏は、

報道ステーションのCMがひどい。「会社の先輩、産休あけて赤ちゃん連れてきてたんだけれど、すっごくかわいくって。どっかの政治家が「ジェンダー平等」ってスローガン的に掲げている時点で、何それ、時代遅れって感じ」育児しながら働き続けることができる社会を作るのがジェンダー平等じゃないですか(2021年3月24日、福島瑞穂議員のツイッター)

 と舌鋒鋭くツイート。確かに、そのような批判的解釈も可能であることは首肯するところである。しかしこのCMの文脈を素直に解釈すれば、前段部分に「会社の先輩が産休明けで(職場に)赤ちゃんを連れてきた」という、言ってみれば当然の”働き方”に対して、該CMの女性が全面的な賛同を示したうえで、「どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかっていま、スローガン的に掲げてる時点で、何それ、時代遅れって感じ」と接続する。

 注目すべきは「スローガン的に掲げている時点」というセリフで、これを素直に解釈すれば、前段の文句から、このセリフがジェンダー平等は自明の事で、社会にあっては当たり前の事なのに、それを政治家がスローガン的にしか表明できない政治状況を揶揄・皮肉っている、いわばアイロニー(皮肉)的文脈上にあることはまず間違いはないのではないか。

 そしてこの「どっかの政治家」とは、まず女性活躍やら男女平等を熱心に掲げている一方、元総理大臣が女性蔑視の醜悪なコメントを垂れ流す政権与党を暗喩していることをも推察することが出来よう。そしてCMは、「コイツ、報道ステーションみてるな」(―コイツという表現が適当かどうかはともかく)と続き、報ステの画面表示に切り替わる。

 要するにこのCMは、文脈を素直に読めば、”ジェンダー平等などの(当たり前とはいえ)高い意識を持った青年層に訴求されているような報ステ”の演出であり、ジェンダー平等を謳う世論の風潮や政治家の声を卑下し、差別しているのではなく、むしろ逆にそういった風潮に反動的で封建主義的な吾人を嘲笑・唾棄しているものと判断するのが妥当な文脈である。

 確かに、報ステ側にも問題はある。15秒とか30秒という、極めて短時間の尺の中に於いて、視聴者に誤解を与えかねない表現がないとは言えない。もしこのCM動画にあって、問題になった台詞の前後に、「ジェンダー平等なんて当たり前なのに」という一文句があったらどうであろうか。すなわち例文としては以下である。

A案)ジェンダー平等なんて当たり前なのに、どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかっていま、スローガン的に掲げてる時点で、何それ、時代遅れって感じ

B案)どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかっていま、スローガン的に掲げてる時点で、何それ、時代遅れって感じ。ジェンダー平等なんて当たり前なのに。

 このA,B両方とも、前述のひと台詞を挿入するだけで、受けての感じ方は大きく変わったはずである。そしてこのセリフは、15秒とか30秒という短尺の中でも挿入できない時間的制約はないはずである。しかしそれを、私の推測ではあるが、該CM動画の制作者は「文脈の中にあって、特段補強したり、説明的に言わなくともわかるだろう」と判断したのであろう。もちろんこの判断を真とすれば、そこに瑕疵があると言えばあると言えよう。

・それが差別かどうかは文脈で判断される

ジェンダー平等のイメージ(フォトAC)
ジェンダー平等のイメージ(フォトAC)

 その言葉や台詞が差別的表現であるか、あるいは逆の論旨なのかは、総合的な文脈を斟酌して決定されるべき問題である。これはツイッターによる”140文字文化”が普及し、どんどんと短尺の動画を投稿するユーチューバーの跋扈により、切実な問題として我々の中に迫っている。

 そしてこの文脈を以て、如何に無言の行間を読者や視聴者に理解せしめるか―、という問題は、私の様な物書き業界の末端にいる人間にも有形無形のプレッシャーを与えている。

 私はかつて、某週刊誌に「安倍首相(当時)をあえて絶賛する」という企画に寄稿したことがある。そこでは、徹頭徹尾安倍首相を「憲政史上稀代の名宰相で偉大な指導者」と褒めちぎった。いわば「ほめ殺し」なのであるが、当該記事を読んだらしいあるネットユーザーが、「古谷氏(私)が安倍首相を擁護するなんて珍しいことだ、見直した」というSNSのアイコンに旭日旗をはめ込んだ典型的なネット右翼とみられるユーザーからの感想が寄せられたのである。いや、それは厳然たるアイロニーであって、文脈上当然「ほめ殺し」なのであるが、要するに額面通りに言葉を受け取って、文脈を全く理解していないのである。

 別の例では、「或る元アイドルが、360度転換してネット右翼になった」という記事を寄稿したところ、「360度転換したなら何も変わっていないではないか」という揶揄が私の元に殺到した。「360度転換してネット右翼になった」という表現は、結局のところ、或る元アイドルにあっては、その性根での権威主義的性質は何ら変わっていない、というアイロニーであるが、これに対する批判者の多くは、私の意図した文脈を全く読んでいなかった。

 このような事例は他にも山ほどあり、到底書き切れない。人々は現下SNS時代、長い文章を読解し、無言の行間を読解してその文脈から作者の総合的意図を理解する、という能力が低下してきたような気がする。長い文章や長い映画は禁忌され、できるだけ短期間で、できるだけ物事を瞬時に判断することが当世最も合理的である、とする風潮が蔓延している。ドラマや映画は、すべて説明的表現で埋め尽くされ、無言の静的演出により登場人物の喜怒哀楽を表現する、というニュアンスが減衰した。

 特に日本のドラマや映画で顕著であるが、全ての登場人物の行動原理は、演出や文脈ではなく、ナレーションや台詞で説明される傾向が強くなった。すべてのユーザーがそうとは言わないまでも、この傾向が亢進すると、人々はチャップリンの無声映画に込められたアイロニーを理解することが不可能になる。文脈理解への喪失は、教養の減退と同じであり、私はこの傾向を強く憂う。

・脊髄反射的な謝罪や動画取り下げでは納得がいかない

 繰り返すように、私は報ステの問題CM動画の制作者を全面的に擁護している訳ではない。報ステは、該CM動画を取り消し、3月24日、次のような謝罪声明を出した。

今回のWebCMは、幅広い世代の皆様に番組を身近に感じていただきたいという意図で制作しました。ジェンダーの問題については、世界的に見ても立ち遅れが指摘される中、議論を超えて実践していく時代にあるという考えをお伝えしようとしたものでしたが、その意図をきちんとお伝えすることができませんでした。不快な思いをされた方がいらしたことを重く受け止め、お詫びするとともに、このWebCMは取り下げさせていただきます。(報ステ、2021年3月24日WEB声明)

 だが、率直に申せばこの対応も極めて頂けない。”ジェンダーの問題については、世界的に見ても立ち遅れが指摘される中、議論を超えて実践していく時代にあるという考えをお伝えしようとしたもの”であるのが真であれば、例えば前掲の私が示したA案、B案のようなセリフを挿入して、作り直してその”考え”を真に問うたら良い。文脈上、このCM動画は「ジェンダー平等など当たり前なのに、スローガン的に取り上げる」しかない当世の政治状況へのアイロニーであるのは、おおよそ明確であるからである。

 しかし、一時ネットで炎上をすると、制作側は委縮して、すぐに動画の取り下げ、削除で幕引きを図ろうとする。辛辣に言えば表現者としての矜持が無いとしか言わざるを得ない。あらたな”文脈を補強して”再度作り直したCM動画を公開すればよいのであって、この謝罪声明では「単にネットの批判に委縮したからだ」という印象しか与えない。確固としたジェンダー問題への啓発意識があるならば、文脈を類推してその読解力が低下している「かもしれない」ユーザーに対して、もう一度同様のCM動画を制作・公開すべきであるが、撤回するとなると自らの差別性を認めたことに他ならない。私企業ながら、このような腰の引けた対応は問題ではないか。

 CM動画と違って、商業的文章表現の世界には、字数の制限はあるがまだ奥行きが残されている。その文字数が短文のコラムでも最低1000文字程度を確保するので、私なら同種の主張で言説を展開するのであれば、「ジェンダー平等などすでに達成されて当たり前のことであるが、いまだ当世の政治家がスローガン的に言う事しかできていないこの国の遅れを憂う」と書く。これならだれからの批判もあるまいと思うが、万が一批判があると探知できなかった報ステ側にも瑕疵があろう。

 ただ、全体的には前後の文脈を読んで総合的な読解力が低下している感は否めない。これでは権力への最もウィットな対抗手段であるアイロニー文化は絶滅する。日本では『サウスパーク』の様なアイロニー番組(アニメ)は永久に作れなくなる(現在でもほぼそうなっているが)。

 これは率直に”文脈を読むチカラ”の減退にほかならない。報ステに矜持があるのなら、軽々な謝罪と動画の取り下げではなく、撮り直しを希望するところであるが、それすらできない、或いは許容しない、のであれば日本全体の”文脈を読むチカラ”の衰微は危機的な水準になっていると判決するほかない。(了)

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

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