杉田水脈議員はなぜ「ネット右翼界」の寵児になったのか?その源流「出版社X人脈」を探る

インタビューに答える杉田水脈代議士(写真:アフロ)

・杉田水脈議員の女性蔑視発言は「想定内」

 自民党衆議院議員、杉田水脈氏が2020年9月25日に、自民党内の会議の席上”性暴力被害者の相談事業をめぐって'''「女性はいくらでもウソをつけますから」'''と発言した”事案が、各所に波紋を広げている。

 この発言を巡って「女性蔑視であり断じて許されない」「性暴力被害者への打擲(ちょうちゃく)であり議員辞職すべき」という声が沸き起こり、自民党内部からも杉田氏の発言を掣肘する声が沸き起こっている。

 杉田氏は2017年衆院選挙で自民党候補として公認され、比例中国ブロックの17位として立候補したが、杉田氏より上位の候補者はほぼ小選挙区との重複立候補で当確が決まっており、事実上杉田氏がこの順位で公認された段階から、当選は確実の情勢であった。

 杉田氏はみんなの党→維新→次世代の党と党籍を移動したのち、2014年の衆院選挙で次世代の党(のち”日本のこころを大切にする党”)が壊滅したのち下野した後、約3年の雌伏期間を置いて自民党議員として代議士人生を再スタートさせた。国政与党である自民党から公認を受けた代議士が、なぜこのような人権軽視・女性蔑視発言をするのか―。

 この問題についてすでに様々な疑問が投げかけられ、その背景を分析する試みがなされている。が、当然杉田氏の「問題発言」はこれにとどまらず、代表的なものでは杉田氏が自民党代議士になって後の2016年8月号の月刊論壇誌『新潮45』における所謂「LGBTに生産性はない」寄稿における同誌の休刊(-実際には、杉田氏の寄稿が問題視されたのちに、それを擁護する形とした小川榮太郎氏の記事がトリガーとなって)など、杉田氏における過去の問題発言・言動は枚挙にいとまがない。

 その都度、「大衆政党である自民党の代議士が、なぜこのような、一般世論とかけ離れた民主主義的な価値観を無視する言動をするのか」の分析がなされてきた。曰く、「杉田代議士は人権軽視の価値観がある」「杉田議員は民主的自意識を持っていない」云々である。しかし、永年ネット右翼と保守界隈に身を置き、その動静をつぶさに観察してきた筆者にしてみれば、これらの分析は半分アタリ、半分的外れというのが正直なところである。というのも、杉田氏が「(性被害にあった)女性はいくらでもウソをつけますから」という世界観の開陳は、杉田氏が自民党公認立候補の「はるか以前」の段階にして界隈では既知の世界観だったからである。

 つまり杉田氏のこの言動は、筆者が想像するに「失言」でもなんでもなく、杉田氏が自民党代議士になるはるか以前から自明のごとく保有していた価値観の開陳に過ぎず、それがたまたま折に出て「露出」した結果に過ぎない。つまり杉田氏の地金がそのまま素直にむき出しとなり、こうした問題発言につながっているだけで、何ら驚くには値しない「想定内」の言動である。

 しかしこういった杉田氏を、氏の熱心な支持層である保守層やネット右翼界隈が支持し、やがて自民党代議士として「復活」するに至る、その過程については、あまり考察されていないのではないか、というのが筆者の正直な感想である。とういうかこういった考察はほとんどなされていない。

 杉田氏の問題発言の背景を探るためには、杉田氏がこう言った「一般世論とかけ離れた民主主義的な価値観を無視する言動をするのか」を表層的に問題視し、なぞるだけでは駄目である。なぜ杉田氏が保守界隈、ネット右翼界隈の寵児になったのかの経緯を分析しなければ、その解にたどり着くことはできないであろう。

・杉田水脈議員と保守界隈を繋いだ「青林堂」人脈

東京都渋谷のスクランブル交差点。出版社青林堂はここから徒歩圏内にあり、筆者も校了前は泊まり込みであった。
東京都渋谷のスクランブル交差点。出版社青林堂はここから徒歩圏内にあり、筆者も校了前は泊まり込みであった。

 永年杉田水脈代議士を観察してきた筆者にとって、ある時期まで氏は、保守界隈、ネット右翼界隈の「点景」として位置していた。点景とは、読んで字のごとく「風景の中に取り込まれた存在」である。つまり目立たない存在である。杉田氏は兵庫県西宮市市役所職員を経て、「みんなの党」から政治家人生を出発させ、「維新」に合流する。

 初当選は2012年の衆院選挙で、この選挙において自民党は2009年の麻生政権における解散総選挙の歴史的大敗北を経て、約3年の民主党政権の継続を許し、同年自民党総裁選で安倍晋三氏が石破茂氏を破ると、いよいよ勢いに乗りこの選挙で政権を奪回した。約7年8か月に及ぶ第二次安倍政権の誕生である。しかし関西では、地殻変動が起こっていた。旧態依然としたハコモノ行政を続け、腐敗・利権をほしいままにする自民・公明への反発を背景として、第三極である『維新』が急速に勢力を伸長させた。

 杉田氏の初当選は、この12年の衆院選である(兵庫6区から出馬落選ののち比例復活)。辛くも議員バッジを手にした杉田氏は、早くも2014年『維新』から分党した『次世代の党』に合流する。そしてこの年に解散総選挙が行われ、現有19議席を誇った『次世代の党』は、小選挙区で地盤を持つ平沼赳夫、園田博之の2名を除きすべて落選するという壊滅的状況に至った(ただしこの2名も、のちに自民党に復党)。

『次世代の党』は、保守界隈・ネット右翼へ訴求し、外国人における生活保護不正受給の問題などをやり玉に挙げたが、実際には生活保護不正受給の例は極めて少なく、ネット世論に訴求し先鋭化しすぎた主張が有権者に無視されて破滅した。こうして2014年11月から、杉田氏は議員バッジを外し、在野の活動家としてその歩幅を広げた。

 この時、杉田氏にいち早く注目したのが、東京都渋谷区に本拠を置く出版社・青林堂である。杉田氏の初の著作は、『なでしこ復活 ―女性政治家ができること―』であり、版元はこの青林堂であった。正確に言えばこの杉田氏の初の著作上梓時、氏は『維新』に所属していて『次世代の党』議員ではなかったものの、この処女作の出版からわずか半年を経ずして杉田氏は議員バッジを外し、いち在野の活動家としてその活動の幅を議会から在野に広げることになる。この彼女の「ネット右翼としての才」をいち早く見抜き、そして著作を刊行せしむるに至ったのが青林堂である。いや、というより、キーパーソンとなるのは青林堂代表取締役社長である'蟹江幹彦(かにえみきひこ)氏の鶴の一声であった。

 筆者から推察するに、杉田氏の保守界隈・ネット右翼界隈への訴求は、むしろ『維新』→『次世代』を経てからの青林堂による刊行物のネット右翼界隈での膾炙(かいしゃ)により形成されたと言ってほぼ間違いはない。この時から、要するに下野時代において杉田氏は保守界隈・ネット右翼界隈での認知を急速に拡大させていった。つまり杉田氏は、『維新』時代は知る人ぞ知る右派論客だったが、氏の界隈での本格的認知は、むしろ氏が代議士のバッジを外してからの2014年以降の下野期間における、出版社・青林堂を中心・媒介とした「露出」にこそ、その核心があるといえる。

 なぜ筆者がこのような断定的言い回しをするのかと言えば、私自身が、この時期くだんの青林堂と深いかかわりを持っていたからである。具体的には、2012年~2013年にかけて、青林堂が刊行していた右派系・ネット右翼系のオピニオン雑誌、『ジャパニズム』の編集長を勤めていたからである。よってこの時期の前後になぜ、杉田水脈氏が保守界隈・ネット右翼界隈で活躍するようになったのか。その経緯が筆者にはまるで手に取るように判明するからである。

・杉田水脈氏、千葉麗子氏、はすみとしこ氏を「発掘」した青林堂

東京新聞で指摘された青林堂『ジャパニズム02号』(2011年6月)*当時筆者は編集委員、編集長は西村幸祐氏
東京新聞で指摘された青林堂『ジャパニズム02号』(2011年6月)*当時筆者は編集委員、編集長は西村幸祐氏

 2012年、まだ民主党政権の末期であったころ、杉田水脈氏はSNS『ツイッター』を使用していたが、そのフォロワー数は筆者の記憶によるところ2万程度であった(2020年9月末現在では約19万)。当時、保守界隈・ネット右翼界隈の気鋭の新人として認知されていた筆者ですら、そのフォロワー数が1万数千あったことを考えると、市井のライターであった筆者と、当時現役衆議院議員である杉田氏のそれは、巨視的に見れば概ね大差ない。やはりこの時点で、杉田氏は「保守界隈・ネット右翼界隈」の点景に過ぎなかったのである。

 ところが杉田氏が前掲2014年の衆院選で敗れ下野すると、かえってネット界隈での杉田氏の評判はにわかに、かつ加速度的に上昇した。それは兎にも角にも、右派的・ネット右翼的価値観を披歴して憚らない杉田氏を、青林堂が「救い上げた」結果にほかならない。もっと言えば、その采配は同社社長の蟹江幹彦氏の鶴の一声と言ってもよかった。

 この時期、私は青林堂の社長・蟹江氏と緊密な関係を築き、前掲『ジャパニズム』の発行業務に邁進していた。そもそも青林堂と蟹江氏が、所謂保守界隈・ネット右翼界隈と接点を持つようになったのは、ゼロ年代中盤に同社が刊行したある筆者の著書を、右派系CS放送局『日本文化チャンネル桜』(現在はCS放送から撤退)に紹介もかねて営業したのが発端だとされる(-ちなみに日本文化チャンネル桜本社と、出版社青林堂は同じ渋谷区の目と鼻の先に位置する)。

 この辺りは詳しくなりすぎるので詳細は省くが、ともあれ編集長としての私の意思に関係なく、蟹江氏は保守系・ネット右翼系に訴求する「言論人」や「文化人」の発掘に余念がなかった。そこで見いだされたのが杉田水脈氏であり、「左翼(パヨク)から右翼に転向した」と自称する元アイドルの千葉麗子氏、のちにジャーナリストの伊藤詩織氏への名誉棄損等で民事訴訟の被告人になる漫画家のはすみとしこ氏らがその系列である。

 杉田、千葉、はすみの3名は、概ねこの時期に、青林堂もといその代表取締役である蟹江氏によって次々と保守界隈・ネット右翼界隈でのデビューを飾ることとなる。蟹江氏はすでに述べた通り『維新』時代の末期、2014年に杉田氏をして処女作を刊行させると、千葉麗子氏の『さよならパヨク ―チバレイが見た左翼の実態―』(2016年)、はすみとしこ氏は『そうだ難民しよう! はすみとしこの世界』(2015年)と、保守界隈・ネット右翼界隈に訴求する単行本を続々刊行させるに至る。こういった著作の刊行と、それに呼応するSNSでの拡散が契機となって、杉田・千葉・はすみの3名は、保守界隈・ネット右翼界隈でたちまち寵児として持て囃されるようになる。

 こう考えると、杉田代議士はもとより、千葉麗子氏、はすみとしこ氏らのデビューの切っ掛けを作ったのは、いうまでもなく出版社・青林堂であり、同社から刊行される刊行物の事実上の全ての采配を握っていた蟹江氏のプロデュースの賜物である。

 筆者は、編集方針等の違いから2013年中盤になると青林堂および蟹江氏とは疎遠になりがちであったが、事実筆者の商業刊行本たる処女作は2012年に同社から刊行されており、蟹江氏には並々ならぬ恩義を感じているのである(-そして蟹江氏のミリタリー方面での知識造詣の深さにも敬服しており、その知識量は並のオタクを遥かに凌駕すると現在でも思っている)。そこで肯定も否定も排除した評価を下すと、蟹江氏は純粋に当時自らの信奉する保守界隈・ネット右翼界隈の信奉する「嫌韓・反中・反朝日新聞・反左翼(野党)」といった大義に杉田氏・千葉氏・はすみ氏らが合致すると見込んでの思惑があったように思え、ここに何らかの邪念があるとは思い難い。単純に、蟹江氏の経営者としての嗅覚が、当時、保守界隈・ネット右翼界隈以外ではほぼ無名に等しかった杉田氏をデビューたらしめたのであろう。

 しかし爾後の展開は、青林堂と蟹江氏の思惑を大きく超えた展開を見せる。杉田氏は青林堂での処女作発表の後下野し、下野時代に「嫌韓、反慰安婦運動」で名を馳せ、着実に保守界隈・ネット右翼界隈の信用を勝ち得た。どの時点でかは判然としないが、この活動に自民党が目をつけ、2017年に中国比例での公認を得ることにつながった。

 千葉氏、はしみ氏も議員になるという道を辿らなければ同じで、第二次安倍政権が発足してからしばらく、2013年~2014年に保守界隈・ネット右翼界隈にデビューすることで、「文化人」としての地位を固めた。しかしこの三者の大元を辿ると、すべて青林堂と蟹江幹彦氏に行き着く。つまり杉田氏は、自民党から立候補を打診するはるか以前からネット右翼の前衛たる青林堂と蟹江氏に見込まれていたからこそ、現在の地位がある。自民党が、無名の在野活動家をただ野放図に一本釣りしていたわけではないのである。

 その証拠に、2015年1月10日の東京新聞報では、次のように青林堂と自民党・安倍晋三氏との関係が浮かび上がる。

 2011年7月19日、青林堂に書籍代として19万5930円を支出-。安倍首相の資金管理団体「晋和会」の2011年度分の収支報告書をみると、青林堂の名が登場する。

 どんな本を購入したのか。晋和会に問い合わせたが、「安倍晋三事務所」の名で「個別の案件については回答を控える」とコメントした。

 2011年ごろ、安倍首相は、青林堂の媒体の取材に応じている。隔月刊誌「ジャパニズム」2号(同年6月)では、インタビューで民主党政権を攻撃。6号(同年12月)では、対談の中で「領土と領海は私たち自身が血を流してでも護(まも)り抜く」と中国脅威論をあおった。

出典:昔「ガロ」 今「ヘイト本」 伝説の漫画月刊誌 版元の転向(東京新聞、2015.1.10※算用数字を筆者が置き換え、強調も筆者)

 実はこの記事で登場する”隔月刊誌「ジャパニズム」2号(同年6月)”は、私がそののち、編集長を引き継ぐことになった前段階の状況であり、筆者は当時まさしくこの雑誌の編集作業に携わっていた当事者である。つまり保守界隈・ネット右翼界隈への訴求をしたい青林堂と同社社長・蟹江氏の意向を汲んで、安倍晋三事務所は同誌を買い上げていた(当時の編集部では既知の事実であった)。

 そののち、編集長が私に交代して、のち筆者が退任して後、杉田氏における露出が同雑誌において飛躍的に高まったが、この事実を安倍晋三事務所、ひいては安倍晋三氏やその周辺の自民党関係者が承知していたからこそ、杉田水脈氏=自民党中国比例ブロック公認(実質上の当選確約)という思考に至ったと考えても差し支えはないだろう。もちろんこれはいち推測の類であるが、選挙結果としてそうなのだから仕方がない。

 つまり、杉田氏への「一般世論とかけ離れた民主主義的な価値観を無視する言動をするのか」という疑問は、氏が自民党代議士になってから初めて出来したものではなく、そのはるか前段階にあって、青林堂・蟹江氏というプロデュースの賜物によって、自民党が既知の事実として承知しており、それを「込み」で自党の世界観、もしくは安倍晋三氏自身の世界観と遠からず合致する、と見做しての公認だったのではないか、という推測も成り立つ。

 つまり第二次安倍政権は、「一般世論とかけ離れた民主主義的な価値観を無視する言動をする」杉田代議士を、その実質的な保守界隈・ネット右翼界隈でのデビューと同時期に素早く認知し、その公認・擁立に向けて動いていたと仮定しても何ら不思議ではないのである。

 

・自民党公認以前から既知であったLGBTと女性蔑視

なぜ私は左翼と戦うのか(青林堂)
なぜ私は左翼と戦うのか(青林堂)

 冒頭で筆者は、杉田氏の「女性はいくらでもウソをつけますから」という言動を、氏の地金が露出したものと見做して「想定内」と喝破した。その証拠に、氏による著作には、つぎのようにある。ちなみに版元はすべて前掲した青林堂の『なぜ私は左翼と戦うのか』(2017年)であり、この本の内容は自民党が氏を公認する以前に出版された内容である(*強調全て筆者)。

結婚した夫婦がそれぞれ別の姓を名乗るという夫婦別姓制度。それは一見して、個人を尊重しているように思えます。しかしその実態はとんでもない、家族崩壊の根源だといえるのです。

出典:なぜ私は左翼と戦うのか

 から始まり、

まず、「男女平等は、絶対に実現しない妄想だ」ということです。

出典:前掲書

 へと続き、

どうして彼ら(LGBT)だけ特別視しなくてはいけないのでしょうか。それは「人権」を名目に「特権」を求めているのではないでしょうか。そもそも世界には自分が望んでもままならないものもあります。いえ、ままならないものの方が多いというのが普通なのです。それをひとつひとつ行政を動かしてなんとかさせようというのは、我がままというものではないでしょうか。そしてどうしてLGBTの人たちだけ、そういう我がままを認めなくてはならないのでしょうか。

出典:前掲書、カッコ内筆者

そもそも日本には、「男子、厨房に入らず」という言葉があります。女性が専有する場所に男性が入ってはいけないという戒めです。反対に、女性も男性の専有領域を侵すべきではありません。そうしたところに女性が進出して持ち上げられても、それは「人寄せパンダ」として利用されている場合が多いのです。「家庭崩壊」、「日本崩壊」に繋がる「女性活躍」に騙されてはいけません。

出典:前掲書

 と結んでいる。杉田水脈氏の問題発言に対し、私が本稿冒頭「想定内」だと述べたのはこれだ。この文章は杉田氏が自民党代議士になる以前に刊行されたもので、氏の世界観の「地金」をよく表している。であるがゆえに筆者は、「女性はいくらでもウソをつけますから」を端緒として新潮45での『LGBTに生産性はない』までも氏の世界観の根幹としてあるものであり、その開陳は「想定内」と喝破したのである。

 問題は、このような「大衆政党である自民党の代議士が、なぜこのような、一般世論とかけ離れた民主主義的な価値観を無視する言動をするのか」という部分にある。結局、原因と結果が逆で、それは「一般世論とかけ離れた民主主義的な価値観を無視する言動をする人物」をなぜ大衆政党である自民党は公認したのか、という疑問につながる。

 しかしこの疑問の答えはすでに述べたように、杉田氏を「見出した」青林堂と蟹江幹彦氏、そしてそれと緊密な関係にあった安倍晋三氏にあるのである。

 いまでこそ疎遠になったが、私は機会あらば青林堂と蟹江氏に問いたい。「杉田水脈氏のどこに惹かれて氏を重用したのですか」と。しかしその回答はおそらくこうであろう。「自身の世界観と遠からず合致していたからだ」と。

 であるならば、その疑問は当然「すべての女性が輝く社会づくり」とか「女性活躍」を全面に謳っていた第二次安倍政権は、「第二次安倍政権が発足する以前から、それとは真逆の事を公言していた杉田水脈氏を自民党の公認として当選させたのはなぜですか?」へと向かう。安倍政権から菅政権へ。そろそろこの疑問に最終的結論を下す時期に来ているのではないか。(了)