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保守派による「新型コロナは生物兵器」というトンデモを検証する

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
新型コロナ=人工ウイルス説(生物兵器)を一面に掲載する夕刊フジ(3月10日付け)

 新型コロナに関するデマやトンデモ説、陰謀論が喧(かまびす)しい。いまのところ複数の専門家による推測では、新型コロナの発生源はある種の動物を媒介としたものとされているが、詳細な特定には至っていない。そんな中でも保守系雑誌や日刊紙から発信される新型コロナウイルス=生物兵器(人工ウイルス)説が大手を振って駆け抜けている。

 専門家がいくらトンデモと否定しても、この説は今や、まるで真実のように保守界隈内を闊歩している。このような発信は、今次の新型コロナ禍への間違った認識を深めるばかりか、流言飛語の温床になっていることは論を待たない。本稿では保守系雑誌として『正論』(産経新聞出版)を超える勢力となった『WiLL』(ワック出版社)、『Hanada』(飛鳥新社)の最新号を中心に、保守派による「新型コロナは生物兵器」というトンデモを検証していきたい。

1】「武漢の生物兵器研究所から流失」というトンデモが定説に

20年4月号の『WiLL』『Hanada』両誌
20年4月号の『WiLL』『Hanada』両誌

 2020年2月26日発売の保守系雑誌『WiLL』(20年4月号)では、『中国が進めていた”ウイルス研究兵器”』(P.54~、著者・坂東忠信氏)と題して、新型コロナウイルスが武漢にある研究所から漏れたものではないか、という断定的な記事が掲載されている。同氏は、

私は医学に詳しくないながらも、状況から見れば(新型コロナは生物兵器であることは)限りなく黒に近いグレー

出典:WiLL20年4月号、P.54、括弧内筆者

 と門外漢であることを開陳しながら、

(その根拠は)武漢からキ30ロメートルほどの距離に中国科学院ウイルス研究所が存在する(こと)

出典:WiLL20年4月号、P.54、同

 

 として、以下殆ど伝聞と推定で新型コロナ=武漢の研究所から漏洩した生物兵器である疑惑を縷々述べている。根拠が薄弱で、著者の経歴は自分でも言っているように医学とはまったく関係のない元警察官。どうみてもトンデモの類だが、同誌はこの記事をほぼ巻頭扱いとして、表紙にもタイトルを掲載している。

 さらに同誌は『武漢天河国際空港で行われた 対生物戦争緊急訓練』(P.75~、著者・河添恵子氏)を掲載。ここでも武漢の生物兵器研究所の存在が、新型コロナ=生物兵器である疑惑を訴えている。

…武漢の海鮮市場から川を隔てて30キロほどにある中国科学院武漢病毒研究所の存在である。同研究所には、SARSやエボラ出血熱と言った危険な病原体を研究するために指定された、中国で唯一の研究室、「武漢P4研究室」がある。(中略)このように台湾そして欧米の有識者には、このたびの武漢発のパンデミックに関して、もはやタブーはない。「自然発生的なウイルスではなく、人工的なウイルスの可能性が高い」との推測、解析が散見される。

出典:WiLL20年4月号、P.80、P.82

 この記事は上記の坂東氏よりもハッキリと「武漢P4研究所」と名指しして疑惑を訴えている。また新型コロナ=生物兵器説を補強するために、台湾や米国の有識者の報道を紹介しているが、どれも(~ではないか)という推測記事を引用しており、やはりここにも根拠はない。著者・河添氏の経歴は中国留学経験のあるノンフィクション作家となっているが、やはり医学的知見があるわけではない。記事の構成は終始推測記事の引用で、自身の取材を元にしたしたわけではなく、根拠に欠けている。

 そもそも、「武漢から30キロ離れたところ」にある研究所から漏れたウイルスが、なぜ飛び地のように武漢市内の海鮮市場で発生したのか。30キロという距離は、東京23区の端から端までに相当する距離だ。「漏れた」のなら、発生源はその研究所から連続的につながっていなければおかしいはずだが、その疑問への回答はない。

 ちなみに河添氏は、本稿の表紙写真にある3月10日付の夕刊フジで、「生物・化学兵器の世界的権威とされる」杜祖健(と・そけん)氏との対談に登場し、杜氏は「間接的な証拠から、武漢の研究所から漏れたというのが最も適当な説明だろう」と言い切っているが、その「間接的な証拠」が全然示されていない(正確に言えば、この対談記事はユーチューブ番組での河添・杜両氏の対談を文字起こししたもの)。

2】必ず登場する「武漢から30キロの距離にある研究所」

 同誌ではさらに、『各地で多発 ”武漢人狩り”の冷血』(P.44~、著者・福島香織氏)として、同じような論調で新型コロナ=生物兵器説を扱っている。ここでも全くおなじ展開で、

華南海鮮市場から約30キロしか離れていないところにあるBSL4(BSL=バイオセーフティレベル:細菌・ウイルスなどの微生物・病原体等を取り扱う実験室・施設の格付け。4は最高レベル)の研究所です。(中略)新型コロナウイルスはこの研究所から流失したものなのではないか、という噂は専門家からも聞かれます。

出典:WiLL20年4月号、P.51

 と判を押したように「武漢から30キロのところにある生物研究所」が出てくる。30キロというのは結構な距離だと思うのだが、大陸スケールでは縮尺が縮まるとでもいうのだろうか。ただ、著者は現代中国の事情に精通したジャーナリスト。記事中、P.52で「”生物兵器”説の真偽はさておき、こうした言説が流れてしまうところに中国の”危うさ”が見て取れる」として、決定的な記述を避けている。

 ただし一方、前記した『WiLL』と発行部数で双璧をなす保守系雑誌『Hanada』(20年4月号)にも福島氏は寄稿している。『武漢人・湖北人狩りまで 新型肺炎残酷物語』(P.70~)がそれだ。そこでは、

市場から30キロ余あまり離れたところにBSL4のウイルスの実験を行う国家バイオセイフティラボがあり、ここでコロナウイルスの動物実験が行われていたことを考え併せると、まさかとは思うものの、このウイルスが本当に自然の変異によって発生したかのかどうかも疑ってしまう。

出典:Hanada20年4月号、P.79

 と踏み込んだ記述になっている。

 さらに同誌では、新型コロナ=生物兵器説がそれらと全く同じ論調で他の著者から登場する。『武漢ウイルス研究所と謎の三団体』(P.52~、著者・山口敬之氏)がそれで、

…そこで世界中の関係者の注目を浴びたのが、武漢ウイルス研究所だった。中国の科学分野の再考研究機関が運営する、世界最高レベル(P4)のウイルス研究施設だ。このレベルの研究所は、中国ではここだけだ。あまりに急速な感染拡大の経緯をたどっただけに、生物兵器として開発された武漢ウイルス研究所で人為的に作り出されたウイルスが、誤って(あるいは人為的に)拡散されたのではないかというのだ。

出典:Hanada20年4月号、P.58

 だという。しかしP.58-59では、「こうした武漢ウイルス研究所を起点とする”人工ウイルス説”は、2月中旬段階では憶測の域を出ていない」として、決定的な記述は避けている。しかし著者の山口氏はかつて「総理に最も近い男」と呼ばれ、政治記者として活躍していた経歴を持つが、ウイルスの知識に精通しているとは考えずらい。ここでも、そのほとんどが伝聞と推定で構成された記事が躍っている。

 共通しているのは、引用した記事の著者すべてが医療関係者ではないという事。程度の濃淡こそあれ、新型コロナ=生物兵器説を肯定していること、である。

 しかもその「武漢から30キロのところにある生物研究所」は著者によって呼び方がまちまちで、「中国科学院ウイルス研究所」(坂東氏)、「中国科学院武漢病毒研究所」(河添氏)、「BSL4の研究所」(福島氏)、「武漢ウイルス研究所」(山口氏)となっており、どれが正式呼称なのかよく分らない。答えは 「中国科学院武漢病毒研究所」で、河添氏の記述が正確となっている。が、根本的な認識=新型コロナは研究所から漏れた生物兵器説は、全員が変わらない。

3】専門家が生物兵器説を完全否定。陰謀論やデマに騙されるな

フォトAC
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 新型コロナは生物兵器説は早々に専門家が否定している。軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏は、『新型ウイルス「中国が秘密開発した生物兵器」トンデモ説が駆けめぐった一部始終』(ビジネスインサイダー、2020年1月31日寄稿)の記事中で、今年1月の段階でこの生物兵器説をトンデモと一蹴している。

 黒井氏によれば、

世界各国の関連研究機関で研究されている主な生物兵器に、コロナウイルスの名前はない。また同時に、「高い感染力と低い毒性」をもつインフルエンザウイルスも含まれていない。

出典:ビジネスインサイダー、黒井、20年1月31日

 と一刀両断している。そもそも、世界各国で研究されている生物兵器の中に、コロナウイルスは含まれていないというのである。考えてみれば当間の話で、今次新型コロナ禍における致死率は、最も高いとされる武漢で約5%未満。現在新型コロナはイタリアを中心に欧州でも猛威を振るっているが、その発信地イタリアでも、感染者数7353人に対し死者は366人(3月8日現在、NHK)で、致死率はやはり約5%未満。日本ではクルーズ船を含めて1218人の感染者がおり、3月9日時点で死者は16人だから、致死率は約1.3%まで落ちる(朝日新聞)。

 このような低い致死率では、到底生物兵器としての利用価値はない。1995年にオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件で使われた自己精製のサリンは、元来ドイツで開発された化学兵器で生物兵器ではないが、ごく微量で大量の人間を殺せる。またそのサリンの100倍の毒性を持つとされるVXは、実際に2017年、マレーシア滞在中の金正男(キム・ジョンナム)氏暗殺に際して使用された。

 第一次世界大戦では、独・仏が塹壕戦打開のため塩素やホスゲンなどの化学兵器を用いて、相互に40万人を超える死傷者を出した。戦後も、イラン=イラク戦争(1980-88年)でイラク軍が主にマスタードガスを使ってイラン軍の人海戦術を屠っている。

 このような化学兵器は、「即時性(即効性)」が高いため兵器として使用されてきた。即時性とは、戦場に滞留する敵兵士に対して即時に効力を示すという意味で、当然の事、停滞した戦線に穴をあけるためにはその効果は即時性が無ければならない。

 潜伏期間が7~14日、などとされる新型コロナにはこの即時性がないので、「兵器」としては全く成り立たない。軍事的常識から言って、潜伏期間なる悠長なものがあり、さらにその致死率が最悪でも5%未満などという新型コロナウイルスは、兵器として研究するに値しないのである。

 前記した黒井氏は、同記事の中で新型コロナ=生物兵器説の出所についてこう分析している。

 ではなぜ今回「新型コロナウイルスは生物兵器だ」との説がネット上に飛び交っているのか。この"疑惑"を早い段階で発信したメディアは、英タブロイド紙デイリー・メールだ。(中略)デイリー・メールはいわゆる「飛ばし(=根拠の薄弱な記事)」が多いことで知られる。(中略)同記事は、 新型コロナウイルスの発生源とされる武漢の生鮮市場から約30キロの位置にある「武漢病毒研究所」が、危険な病原体研究を行う施設であり、今回はそこから流出したのではないかという疑惑を紹介している。

出典:ビジネスインサイダー、黒井、20年1月31日

 

 要するに、トンデモの根幹は英タブロイド紙、デイリー・メールである、というのである。ただしこのデイリー・メールの記事も、他紙の後追い報道も、最初はそこまで断定的な物言いではなかった。が、さらにそれらに尾ひれがついて、陰謀論系サイトに拡散され「やはり中国軍の生物兵器だった」という典型的陰謀論に行き着いたのではないか、と黒井氏は分析する。

 奇しくも引用記事中にある「武漢の生鮮市場から約30キロの位置にある”武漢病毒研究所”が、危険な病原体研究を行う施設であり、今回はそこから流出したのではないかという疑惑」という部分は、すでに紹介した『WiLL』『Hanada』の4記事すべてに共通していることだ。

 タブロイド紙から発信された情報がネットを駆け巡り、さらに一回転して医療関係者でも何でもない著者らが、したり顔でこの説を紙面に掲載しているのだとしたら、むしろ彼らこそがデマを信じて拡大再生産している触媒だと言えなくもない。

 根拠薄弱なトンデモを苟(いやしく)も「物書き」と名乗る人間が、編集や校閲の手を通じて活字にした罪は重いと言えるのではないか。医療関係者でも何でもない、専門性のない人物らから発信される、陰謀論やトンデモが雑誌や日刊紙に載っているからと言って軽々に騙されてはいけない。一部の雑誌は、もはや信頼に足る媒体ではない。(了)

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

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