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タリバン暫定政権のアフガニスタンを歩く①「前政権も今回も米国がつくった」 昼の寛容さと夜の恐怖と

舟越美夏ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表
デモをする女性たちに解散を求めるタリバン兵(カブール、デモ参加者提供)

 アフガニスタンの首都カブールの冬空は、意外なほど眩しい。

 「I LOVE AFGHANISTAN」

 カブール空港の国内線ターミナル前に設置された真新しい立体文字オブジェが青空に映える。半年前の夏、イスラム主義組織タリバンによる首都陥落後に起きた悲劇の記憶を消そうとしているかのようだ。

 カブールの街は一見、あの夏以前と変わらない。果物や野菜売りの屋台が並び、道路は中古車でごった返し、ブルカやニカブで顔までも覆って歩いている女性は、一部だけなのだ。タリバン旗を翻す四輪駆動車や、検問に立つ迷彩服姿のタリバン兵たちが目につくが、緊張感はない。

 だが夜には様相が変わる。前政権時代の治安関係者や抗議デモに参加した女性、報道の自由を求めるジャーナリストたちは、拘束に怯えながら夜を過ごす。

 多民族国家のこの国では、パシュトゥン人で主に構成するタリバンの復活は、民族によって受け止め方が異なる。どの民族にも共通しているのは、経済崩壊で「日々の食べ物が十分にない」ことだ。国連は「4000万の人口のうち半数以上が飢餓状態にある」と警告している。

 「抵抗軍が動き出している。春には何かが起きる」。街で囁かれる噂に期待と不安を抱きながら、市民は空腹と極寒に耐えている。

 硬軟両方の顔を見せるタリバン暫定政権下、さまざまな人の声を聞いて歩いた。その一部を紹介する。

ボディラインを見せるパンツスタイルはご法度のはずだが、「タリバンも買いに来るよ。妻のためらしい」と店員。(カブールのショッピングセンターで,筆者撮影)
ボディラインを見せるパンツスタイルはご法度のはずだが、「タリバンも買いに来るよ。妻のためらしい」と店員。(カブールのショッピングセンターで,筆者撮影)

「子どもを売るか、腎臓を売るか」

 カブールの街中にあるレストラン「バルグ」は、アフガン料理のほかハンバーガーや中華料理も楽しめる人気店だ。レストランの奥には、壁に「ドラえもん」の絵が貼られた子ども向けの遊具コーナー。隅のテーブルでは3人連れの若い女性たちがピザを食べながら、壁のスクリーンに映し出されたサッカー試合を眺めている。この店がお気に入りというタリバン中堅幹部たちを意識してか、入口近くのスクリーンで流れている映像は、聖地メッカのカーバ神殿だ。

 だがここで食事ができるのは、金銭的余裕のあるほんの一握りの市民だ。一歩、通りに出ると、子どもたちが駆け寄ってくる。アフガニスタンの国外資産が凍結され、援助団体が国を去り、多数の男たちが失業した今、一家に日銭をもたらせるのは、靴磨きや物売り、物乞いをする子どもたちになった。子どもたちが稼ぐのは日に50〜100アフガニ(約60〜120円)ほど。それで家族は、一枚10アフガニのナン(パン)を分け合う。

雪の日、風が吹き抜ける橋の上で客を待つ靴磨きの少女。この日は客はいなかったという(カブール、筆者撮影)
雪の日、風が吹き抜ける橋の上で客を待つ靴磨きの少女。この日は客はいなかったという(カブール、筆者撮影)

 日中、大きな袋を抱えたまま歩道に倒れるように眠っている少年がいた。「空腹と寒さを忘れるために薬物をやっている子だ」と地元記者が言う。お腹を空かせたまま零下になる極寒の夜も街角に立つためには、薬物の力を借りるしかない。

 戦闘や自爆テロなどの巻き添えで夫をなくした女性たちも、子どもを抱え追い詰められている。

 「この子を売ろうと思ったけど、やっぱりできなくて。もう私の腎臓を売るしかないと思う」

 眉間にシワを寄せたまま話す27歳のタイラは例外ではない。

警察官の夫は爆発で死亡し、タイラは4人の子どもを抱える。毎日の食事はナンとお茶だけ。6歳の次女は咳が止まらない(カブール、筆者撮影)
警察官の夫は爆発で死亡し、タイラは4人の子どもを抱える。毎日の食事はナンとお茶だけ。6歳の次女は咳が止まらない(カブール、筆者撮影)

「女性抑圧は欧米のプロパガンダ」と勧善懲悪省報道官

 通りを歩くと、女性たちがさまざまな装いをしていることに気づく。ブルカの女性や「タリバンが指示した」と、両目以外を覆う「ニカブ」を着けた女性もいるが、膝上丈のシルバーや黒のおしゃれなダウンジャケット姿で鮮やかなピンクのスカーフをした女性もいる。一時はテレビから消えていた女性キャスターも民放テレビに戻った。女子学生が通い続けている私立大学や小中学校もある。タリバン暫定政権は、女性たちの教育や職業を厳しく制限した20年前と異なり、統制を控えているのだろうか。

 それについて勧善懲悪省のハーケフ・モハジル報道官に聞いた。旧タリバン政権では宗教警察として活動し恐怖政治を敷いたとして、欧米には悪名高かった省である。

勧善懲悪省のハーケフ・モハジル報道官(筆者撮影)
勧善懲悪省のハーケフ・モハジル報道官(筆者撮影)

 「我々の方針は以前と変わっていません。タリバンが女性を抑圧しているというのは国際社会のプロパガンダです。欧米では女性たちが性犯罪を受けても声を上げられないのに非難されないではないですか」

 視線を斜め下に向けたまま、報道官は淀みなく語る。タリバン流の女性保護についての主張だが、一理ある部分もある。

 これまで女性の体を覆うことや飲酒の禁止、報道の制限など、風紀に関する命令を「5つか6つ」出している、と報道官は説明する。

 「女性には体を覆うことを求めているだけで、ブルカやニカブを強制してはいません。我々は女性の権利を保護しようとしているのです。女性は男性より弱いのですから」

 命令はFacebookや張り紙で広報している、という。ただ私が聞いて回った限りでは、命令の内容を正確に知っている市民は地元記者を含め、いなかった。

「デモ参加者を逮捕していない」

 カブールや北部マザリシャリフでは、服装や労働、教育などの権利を求める女性たちの抗議デモが起きた。10代や20代の女性たちが中心で、タリバン旧政権の「恐怖政治」を復活させないよう求めるものだった。今、デモに参加した女性たちの多くが、恐怖にさらされている。拘束され行方が分からなくなったり、尾行されたり、脅迫電話を受けたりしている人が続出しているのだ。

 彼女たちの罪は何ですか。

 「あの女性たちは、外国から金をもらっているのです。ブルカを燃やしたりもした。イスラムでは許されません」

 女性たちを逮捕はしていない、と報道官は主張する。

 「行方不明というのは西欧のプロパガンダで、女性たちは一時拘束された後は自宅に戻り、尋問を受けているのです」。報道官は、視線を斜め下に向けたまま、頑なにそう繰り返す。

 その目が正面を向き、こちらに焦点を合わせたのは、彼の出身地を聞いた時だった。

米軍に勝ったあの日に号泣

 現在、32歳の彼は、ソ連のアフガニスタン侵攻で家族が避難したパキスタンで生まれた。14歳ぐらいだった2004年にタリバンに参加して兵士となった。パキスタンのマドラサ(神学校)で9年間、勉強もした。

 「見せたい動画があります」

 スマートフォンを取り出して見せたのは、ターバン姿の男が茶色の大地に突っ伏し、大声で泣いている動画である。昨年8月31日、アメリカ軍がアフガニスタンから完全に撤退した日のものだ。

 「これは私です。アメリカ軍に勝ち、両親の故郷、ロガール州に戦車で入った。そんな日が来るなんて予想もしなかった。嬉しくて、誇らしくて、号泣しました。メディアでも何度も報道されたんですよ」

 うっとりした目でスマートフォンを見つめ、何度も動画を再生している。

 写真や動画はご法度ではないのか。旧タリバン政権の厳しい方針を引き合いにそう尋ねても、報道官は「問題ありません」と短く言い捨て、動画に見入っている。ようやく顔を上げると、戦闘の日々の記憶を口にした。

 「アメリカ兵を戦車ごと焼いたことがありました。残骸にこびり付いたアメリカ兵の黒い痕跡を見るたびに、勝利の喜びを感じたものです」

 アメリカはタリバンが拠点とする地域に激しい空爆を実施し、タリバン兵士だけでなく多数の民間人も死亡させた。空爆は、敵対する勢力を和平交渉のテーブルにつけようとする際にアメリカが取る戦術ともいわれる。しかし空爆が生んだ悲しみと憎しみは、一般の民間人をタリバン支持に押しやっただろう。

 あなたが憎むアメリカを、日本は支援したのですが。そんな私の言葉には、兵士ではなく報道官らしい政治的な答えが返ってきた。

 「日本はアフガニスタンを支援してくれる国です」

通りで抗議した女性たち

 ハーケフ・モハジル報道官が非難した女性たちの抗議デモは、4つ以上の女性グループが散発的に実施した。参加した女性たちに、カブールや北部マザリシャリフで会った。いずれも20代で、大学生やジャーナリスト、社会福祉などの仕事に就いている。

 前政権は汚職にまみれていたが、教育や職業の機会を得て力を尽くし、将来の夢を抱くこともできた。それが全て消えるかもしれない。女性たちを駆り立てたのは、そんな気持ちだった。

 「私のせいで家族が危ない目にあうかもしれない。でもやるしかないと思ったの」

 26歳のサイバが語る。私たちの声を聞いてほしい、という気持ちだった。デモを始めて間もなく、武装したタリバン兵士に取り囲まれた。

 「家から出てそんなことをやるなんて、お前たちはふしだらな女だ」

 「男たちはお前たちの言葉に耳を傾けるべきではない」

 一般の男性も女性たちをなじった。「女が通りで声を上げるとは」

 24歳のマリアムはそんな男たちに食ってかかった。「どんな政権にも拍手してみせる。それがあんたたちよね」

 22歳のラムジアは外交官になるのが夢だったが、その夢がつぶされたと感じている。国民的英雄である故マスード司令官の息子で、抵抗勢力を率いるアフマド・マスード氏の「女性たちも抵抗を」という呼び掛けに応じデモに参加した。

 ピンクのコート、ローズ色の口紅。華やかな雰囲気で、外国メディアの取材にも意見を堂々と述べる。「デモ参加者は尾行されている」といわれるため住まいを転々としているが、動じる様子はない。ただ心配なのは、親友のタマナの行方だ。1月20日、「タリバンがドアを叩いている」と助けを求める動画をソーシャル・メディアに投稿し、その後行方が分からなくなった活動家である。

 「タリバンに暴行されるくらいなら、自殺するわ」とラムジアは言う。「だめよ。アフガニスタンはあなたのような優秀な女性が必要なの」と、隣に座るマリアムが説得する。グループ内の30代の女性がタリバン側に情報を流していたらしいとの情報もあるという。

 北部の街マザリシャリフでは、恐ろしい話が囁かれていた。

 タリバンがこの街を制圧した翌日、十数人の女性たちが「20年前には戻らせない」と声を上げるデモを行った。

 「そのうちの3人の遺体が空港や病院で見つかった」と、デモに参加した20代前半の女性は声をひそめて語った。実行者がタリバンなのかどうか、分からない。家族は口を固く閉じて語らない。

タリバン旗が翻るブルーモスク(マザリシャリフ、筆者撮影)
タリバン旗が翻るブルーモスク(マザリシャリフ、筆者撮影)

「アメリカは大嫌い」

 「ファッションが大好きだったの。自分を表現できるでしょう。それができなくなるなんて」。福祉関係の仕事をするシャムシア(25)は言う。

 カブールが陥落した日は職場にいた。「タリバンが悪い女たちを一掃してくれる」。通りで叫ぶ男たちがいた。呆然とした。

 「すぐに各地で福祉や人権に関わる活動をしている女性たちと連絡をとって、今何をするべきかを調査したの」。一カ月後、デモを実行し、タリバンに拘束された西部ヘラートの元刑務所長の女性を解放をするよう求めた。

 「殺すぞ」

 現場に来たタリバン兵士たちは銃を突きつけ、デモ参加者10人ほどと取材に来た記者2人を拘束した。交渉の末、1時間ほどで解放された。

 「ここで生きるのは大変だけど負けたくない。国際社会がタリバン暫定政権を承認したら、彼らはもっと残酷になると思う」とシャムシアは言う。毎日、スカーフを変えマスクをして周囲に気をつけながら通りを歩く。韓国の人気グループの写真を見て気分を紛らわすという。「私は幸運にも教育を受ける機会があった。それをこの国の女性に還元したいの」

 アメリカのことをどう思うか、と私は聞いた。タリバンと交渉して和平合意を結び、タリバンが全土を制圧していく中で全面撤退したアメリカのことを。

 それまで、明るく力強く話していたシャムシアが黙り込んだ。

 「アメリカは大嫌い」

 涙が溢れている。「私は(アフガンでは差別と迫害の対象である)ハザラ人で、女性で、本当に大変だったのに努力して道を開いてきた。それなのに・・・」

 シャムシアは言葉を呑み込んで、涙をぬぐい続けた。

 汚職にまみれた前政権も、タリバン暫定政権も、アメリカがつくったー。若者の多くが口にした言葉を、私は思い出していた。

(続く)

 「

ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表

元共同通信社記者。2000年代にプノンペン、ハノイ、マニラの各支局長を歴任し、その期間に西はアフガニスタン、東は米領グアムまでの各地で戦争、災害、枯葉剤問題、性的マイノリティーなどを取材。東京本社帰任後、ロシア、アフリカ、欧米に取材範囲を広げ、チェルノブイリ、エボラ出血熱、女性問題なども取材。著書「人はなぜ人を殺したのか ポル・ポト派語る」(毎日新聞社)、「愛を知ったのは処刑に駆り立てられる日々の後だった」(河出書房新社)、トルコ南東部クルド人虐殺「その虐殺は皆で見なかったことにした」(同)。朝日新聞withPlanetに参加中https://www.asahi.com/withplanet/

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