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東南海地震の37日後に起きた三河地震から77年、今起きたらどうなるか

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
著者撮影 幸田町に残る三河地震での断層ずれ(深溝断層)

東南海地震より多くの死者を出した三河地震

 1944年12月7日に起きた東南海地震の37日後、1945年1月13日午前3時38分過ぎに、三河湾内の地下11キロで、マグニチュードM6.8の三河地震が発生しました。活動度の低い深溝活断層と横須賀断層などが活動した逆断層型の地震で、地表に28kmの断層ずれが確認されました。最大震度は三重県津市の5で、愛知県名古屋市の震度は4でした。これは、愛知県下の震度観測点が1か所しかなかったためで、今だったら断層近傍の市町で震度7の強震が観測されていると思われます。

 被害の中心は現在の愛知県西尾市・安城市・碧南市・幸田町・蒲郡市などです。死者は2,306人で、東南海地震の死者1,223人の倍近くに上りました。その原因は、深夜就寝中の地震だったことに加え、被災地域が東南海地震でも強い揺れを受けた場所で、東南海地震で損壊した住宅が、修理されずに三河地震の強震を受けたためだと思われます。

 この地震では、名古屋市内から集団疎開していた学童が、疎開先の寺院の倒壊で、50人以上が犠牲になりました。東南海地震のときに学徒動員されていた中学生や女学生が軍需工場の倒壊で犠牲になったことと合わせ、戦時下ならではの痛ましい出来事でした。

東南海地震の37日後の誘発地震

 三河地震に先立つ37日前の1944年12月7日にM7.9の東南海地震が起きています。南海トラフ沿いの震源域の東側の一部で起きた地震です。この地震後、M5以上の地震だけでも、震源域周辺などで、12月7日に6回、8日に3回、9日、10日、12日、13日、14日に各1回、16日に2回、26日、29日、31日、1月3日、5日、7日に各1回発生しています。1か月にわたって余震や誘発地震で揺れ続けていた様子が分かります。この間の12月13日には、名古屋市内にある三菱発動機の大幸工場が大規模空襲を受けています。気が気じゃない年末年始だったと思います。

 1月11日には、三河地震の震源近くでM5.6、M5.0、M5.7の地震が続発しています。この3つの地震は、13日に起きた三河地震の前震だと思われます。三ヶ根山周辺で発光現象が多く目撃されたとも言います。三河地震発生後の1か月の間には、震度3以上の揺れの余震が16回もありました。

 余震の続発と空襲で東南海地震の被災地の救援・救出、復旧もままならない中、直下地震による甚大な被害に見舞われました。軍部による情報統制で、東南海地震や三河地震のことは伏せられ、他地域からの支援もありませんでした。被災地の厳しい状況が窺えます。さらに、3月には、10万人もの犠牲者を出した10日の東京大空襲、13日の大阪大空襲、17日の神戸大空襲、19日の名古屋大空襲など、全国各地に空襲があり、地震対応どころではなくなってしまいました。

今、東南海地震が起きたら、臨時情報が発表される

 今、東南海地震が起きると、直ちに、気象庁から緊急地震速報が発せられ、直後に強く長い揺れに見舞われます。震源近くでは耐震性の不足する住宅や建物が多く倒壊し、軟弱地盤では液状化が、山間地では土砂崩れが起き、大都市では高層ビルが長周期の揺れで大きく揺さぶられたり、火災が発生したりします。海抜ゼロメートル地帯では、堤防が沈下して浸水が始まります。

 地震後には、震度速報、大津波警報が発表され、南海トラフ地震の津波浸水予想地域の住民は高台などに避難します。震源域に近い沿岸部では、避難途中に大津波が押し寄せる可能性があります。その後、長周期地震動階級や南海トラフ地震臨時情報(調査中)が発表されます。気象庁の検討会で東南海地震の発生が確認されると、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震警戒)が発表されます。これは、東南海地震の震源域を除く南海トラフ地震の震源域で、地震が続発することを警戒する情報です。

 過去の南海トラフ地震は、1707年宝永地震では震源域の全体がほぼ同時に地震を起こし、1854年安政地震では東・西が約30時間で、1944・46年昭和地震では東(駿河湾の震源域を除く)・西が約2年で続発しています。このため、東南海地震が起きた場合には、御前崎から東側の駿河湾に広がる想定東海地震の震源域と、潮岬から西側の南海地震の震源域での地震を警戒することになります。

事前避難対象地域の住民は1週間の事前避難

 南海トラフ地震臨時情報(巨大地震警戒)が発表されると、自治体が、津波などからの避難の時間が不足する事前避難対象地域の住民に、1週間の事前避難を呼びかけます。東南海地震が起きた場合には、静岡県沿岸部や和歌山県以西の四国・九州の太平洋岸の事前避難対象地域が対象になります。最初の東南海地震で甚大な被害を受けた三重県南部や静岡県西部の地域は、再度の揺れと津波に備えることになります。1週間が経ったら、事前避難対象地域の住民は自宅に戻れますが、さらに1週間は注意を怠らないように、と呼びかけられます。オミクロン株が蔓延し始めた今の状況では、津波避難や事前避難、避難所生活など、感染対策が必要になります。感染症対応で医療資源もひっ迫していますから、地震後の災害医療は困難を極めることが予想されます。

 東南海地震の被災地域は、日本随一の産業集積地ですから、早期に復旧しなければ日本産業の国際競争力が失われます。東南海地震の被災地の救援・復旧活動には、全国からの支援が不可欠ですが、続発する余震・誘発地震と後発地震への準備のため、支援の力が削がれる可能性があります。後発地震の被災予想地を含め、被災地以外の場所では、社会活動を平常通り続けることで国力を維持しつつ、被災地支援、後発地震への準備をする必要があります。日本社会が平静を装えなければ、国際社会は日本への不信感を抱き、為替相場が変動しかねません。万一、続発する地震の津波を恐れて大型船の入港を躊躇すれば、日本社会は立ち行かなくなります。平静を保つには、十分な事前対策が必要です。

 なお、77年前と違って、南海トラフ沿いの海底には高感度の観測網が整備されていますから、場合によっては、東南海地震の前にスロースリップなどの異常な現象が観測できるかもしれません。その場合には、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が発表されますから、地震発生前に地震対策の再点検などを行うことができます。

東南海地震が起きて三河地震が起きるまで

 東日本大震災の救出・救援、復旧に要した時間を考えると、被災者人口が倍以上の東南海地震では、地震1か月後には復旧が始まりつつある段階だと考えられます。万が一、後発地震の予想被災地からの支援が期待できないと、復旧がさらに遅れます。

 地震から1か月後には、まだ津波や土砂崩れなどによる行方不明者の捜索の最中で、瓦礫撤去や道路・航路の啓開が終わらず、ライフライン・交通機関や地域医療が徐々に回復し始める時期だと思います。被災住民は避難生活が続き、住宅の応急修理や応急仮設住宅の建設が始まっている段階でしょう。ですが、地震から1か月経つと余震の回数も減ってきますから、被災地の人たちは落ち着きを取り戻し、自動車産業をはじめとする地域経済も徐々に再開しはじめ、明るさが見えてくる段階です。ただし、被害の大きさに比べて、建設リソースが不足するため、復旧は遅滞しており、道半ばという状況だと思います。

前震の頻発、そして三河地震

 そんな中、三河湾浅部でM5クラスの地震が続発したらどうなるか想像してみてください。直下の地震に対しては、緊急地震速報は間に合いません。きっと、誘発地震の発生を心配して復旧活動も止まるでしょう。そして、東南海地震の37日後の未明に、いきなり強い揺れが襲い、阪神・淡路大震災と同様の甚大な被害が生じます。東南海地震の復旧途中のため、救援力は不足し、再度の被害に多くの人は挫折感を抱くでしょう。他地域でも、同様の誘発地震の続発への警戒感が高まります。そして、南海地震が起きるまで、ビクビクしながら生活することになります。

 ちなみに、1707年宝永地震のときは16時間後に富士宮地震が起き49日後に富士山が噴火しました。1854年安政南海地震のときにも40時間後に豊予海峡地震が起きています。したがって、南海トラフ沿いで半割れの地震が起きた後には、M8クラスの後発地震だけでなく、M7クラスの直下地震への警戒も怠らないようする必要があります。

 このように考えると、いつ地震が起きても大丈夫なように、耐震化などの事前対策を徹底しておくしかない、ということに気づきます。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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