Yahoo!ニュース

東日本大震災から10年、温故知新で歴史に学ぶ

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:ロイター/アフロ)

東日本大震災

 2011年3月11日14時46分、M9.0の超巨大地震が日本海溝沿いで発生し、強い揺れに続き、大津波が東北地方太平洋岸を襲いました。その2日前の3月9日には、三陸沖で前震(M7.3)が発生し、余震やスロースリップも発生していました。

 地震直後には、2007年から運用が始まった緊急地震速報が気象庁から発表され、その後、最大震度7の強い揺れが東日本広域を襲いました。長周期の揺れが数分にわたって続き、遠く東京や大阪の高層ビルを揺さぶりました。さらに、大津波が海岸構造物を破壊し、多数の家屋や原発を飲み込みました。福島第一原発では全電源喪失によりメルトダウンし、翌日には1号機が水素爆発し大量の放射能を放出しました。これらの結果、関連死も含め、約2万2000人もの死者・行方不明者が出ました。

 地震後には、M7を超える余震が多発し、3月12日長野県北部の地震(M6.7)、3月15日静岡県東部の地震(M6.4)、4月11日福島県浜通りの地震(M7.0)などの誘発地震も起きました。

温故知新と想定外

 三陸地方は、1896年明治三陸地震、1933年昭和三陸地震、1960年チリ地震津波と、幾度も津波に襲われてきた地です。これらの津波教訓を生かした岩手県では、明治三陸地震と比べ津波による死亡率を1/5程度に留めることができました。中でも小中学生の死亡率は低く、津波防災教育の成果だとも言えます。

 また、昭和三陸地震津波で多くの犠牲者を出した岩手県重茂半島姉吉地区では、海抜60mの場所に建つ石碑の碑文「高き住居は児孫の和楽、想え惨禍の大津浪、此処より下に家を建てるな」の通り、石碑より上に避難したため一人の犠牲者も出しませんでした。温故知新の大切さが分かります。

 一方で、ハザードマップの想定を超える高さの津波で、津波を防ぐはずの海岸構造物が損壊しました。このため、津波想定外地域に居て避難せずに犠牲になった人も多くいます。自然への畏れを忘れずに、想定にとらわれることなく、過去の教訓を生かすことの大切さが分かりました。

日本でも起きた超巨大地震

 この地震が起きるまでは、一般には、日本ではM9クラスの巨大地震は起きないと思われていました。ですが、地中の津波堆積物から、内陸奥まで津波が達した証拠が見つかっていました。また、六国史の最後の国史・日本三代実録に記された津波の記述や、清少納言の父・清原元輔が詠んだ「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山」などから、貞観時代の869年に国府・多賀城を大津波が襲ったことが指摘されていました。このため、国の地震調査研究推進本部でも、貞観地震を念頭に想定すべき地震についての検討が行われていました。

 かつては、同様の地震が繰り返し発生するという固有地震という考え方が主流でしたが、近年は、大、中、小の地震が階層的に発生すると考えられるようになってきました。日本海溝沿いでは、M9クラスの超巨大地震は500~600年程度、M8クラスの巨大地震は100年程度、M7クラスの大地震は30~40年程度で繰り返すようです。ちなみに、超巨大地震の候補は869年貞観地震、1454年享徳地震、2011年東北地方太平洋沖地震の3つです。

超巨大地震の発生を踏まえた南海トラフ地震対策

 東日本大震災を受け、あらゆる可能性を考慮した最大クラスの巨大な地震・津波を検討することの必要性が認識されました。ですが、古文書などで把握できる過去の地震は千数百年程度前までであり、地域的な資料の偏りもあります。このため、地震発生間隔が千年を超えるような地震や、文字資料が残っていない北海道の地震に関しては、地中に残る津波の痕跡を調べる必要があります。大震災以降、各地で津波堆積物調査が行われ、南海トラフ沿いや千島海溝・日本海溝沿いでも超巨大地震の発生が否定できないことが分かりました。

 南海トラフ地震に関しては、震災後、マグニチュード9.0の地震を想定した被害予測が行われ、2012年にその結果が公表されました。その被害量は、最悪、32万3千人の直接死という甚大なものでした。2013年には対策方針が公表され、最大クラスの地震・津波に対しては、ハード対策のみによる被害抑止が困難なことから、被害の最小化を主眼とした「減災」の考え方に基づいてハード対策とソフト対策を合わせて対策を行うことになりました。この地震では、西日本が広域に被災し、国民の約半数が被災すること、産業集積地の被災により甚大な経済被害が発生し、国難ともいえる事態となることなどが分かり、現在、産官学民が総力で対策を進めています。

慶長三陸地震後のビルドバックベターと日本海溝・千島海溝沿いの地震の検討

 日本海溝・千島海溝沿いの地震に関しては、津波堆積物調査から17世紀に超巨大地震が発生したと考えられており、以前は三陸沖の地震と考えられていた1611年慶長三陸地震との関りが疑われています。

 慶長三陸地震では、仙台藩が大きな被害を受けました。当時44歳だった藩主・伊達政宗は、被災地復興に精力的に取り組みました。政宗のおくり名を冠した貞山堀を作り、津波浸水地を塩田開発して製塩業を育成し、新田開発も進めました。2年後には、支倉常長を欧州に派遣しています。仙台市内には、浪分神社(仙台市若林区)や浪切不動堂(仙台市宮城野区)などのお不動さんや、津波の遡上を伝える蛸薬師(仙台市太白区)もあり、災害伝承も行われました。いずれも災い転じて福となす復興事例で、2015年に仙台で開催された第3回国連防災世界会議でビルドバックベター(より良い復興)の好例と言えます。

 日本海溝・千島海溝沿いの地震に関しては、現在、中央防災会議のワーキンググループで、被害予測調査が行われているので、近いうちに公表されると思います。冬季の地震の場合には、凍死の問題や、路面凍結下での避難となるなど、寒冷地ならではの課題があります。

進まぬ高台移転と事前復興計画

 津波被害を減じるには、短期的には早期避難を促進することになりますが、長期的には高台移転や事前復興計画の策定が必要になります。東日本大震災以降、各地で津波避難タワーの建設や津波避難ビルの指定が行われ、避難体制の整備が精力的に行われてきました。また、被災地では、高台移転やかさ上げ工事も進んでいます。ですが、南海トラフ地震の予想被災地などでの事前復興計画の策定状況は芳しくないのが現状です。

 人口減少の時代を迎え、土地利用にもゆとりができます。また、港湾関係者や漁業関係者も、自動車の普及で海岸から離れた場所に居住することも可能になりつつあります。命に加え生活や生業を守るために、苦しくても、次世代のために、難を避けるまちづくりを進め、備えあれば憂いなしにしていきたいと思います。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

福和伸夫の最近の記事