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新たな年、2020年に周年を迎える地震・火山災害は?

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:アフロ)

はじめての令和のお正月を迎えて

 新年あけましておめでとうございます。災害が多いと言われる亥年が終わり、令和になって初めてのお正月です。昨年は、新年早々の1月3日に熊本県和水町で最大震度6弱の揺れに見舞われ、大変な年になるのかと思いましたが、6月18日にM6.7の山形県沖の地震があったものの、幸い、死者の出る地震や、M7を超える大地震はありませんでした。

 一方、数多くの風水害に見舞われました。佐賀県を中心とした8月27日からの大雨、9月9日に千葉市付近に上陸した台風15号、10月12日に伊豆半島に上陸した台風19号などで、犠牲者が出ました。佐賀の大雨では油流出による浸水対応が、台風15号では強風による屋根被害や大規模停電が、台風19号では多数の河川の洪水被害が課題となりました。

 今年は、1月13日に戦時下に発生した1945年三河地震から75年、1月17日に6千人を超える犠牲者を出した1995年兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)から25年、9月11日に大都市水害の東海豪雨から20年を迎えます。

 以下には、「0」が付く年の地震・火山噴火について振り返ってみます。

1700年1月26日 カスケード地震

 北アメリカ大陸の西海岸にあるカスケード沈み込み帯で発生したM9クラスの超巨大地震です。小さな海洋プレートのファンデフカプレートと北アメリカプレートの境界で発生し、カナダブリティッシュコロンビア州南部からアメリカ合衆国カリフォルニア州北部に至る1000キロも断層が破壊しました。日本の古文書には、津波到達の記録も残されています。当時の北アメリカは英仏の植民地で、支配は東海岸にとどまっていました。このため、西海岸で起きたカスケード地震のことは先住民の伝説として語り継がれていたようです。この場所では、約7000年間に13回の地震が発生しており、500年程度の間隔で超巨大地震が起きています。近くには、バンクーバー、ポートランド、シアトルなどの大都市がありますので要注意です。

1880年2月22日 横浜で地震

 横浜で起きた小規模な地震で、煉瓦造の建物や煙突が被害を受けました。地震の揺れに驚いたのが横浜に居住していたお雇い外国人たちでした。地震後、工部大学校(後の東京大学工学部)で鉱山学を教えていた英国人ジョン・ミルンが中心になって、1881年3月に世界で初めて日本地震学会を設立しました。ミルンは、地震計の開発や地震観測を精力的に行い、我が国の地震学の礎を作りました。さらに、全国的な地震観測網が整備され、85年から地震報告がまとめられるようになりました。ミルンは、地震学の父とも呼ばれ、函館生まれの堀川トネと結婚しました。帰国後は、南イングランドのワイト島シャイドにて過ごしました。

1920年12月16日 海原地震

 中国の西北部にある自治区の寧夏回族自治区海原県周辺で起きた巨大地震で、地震規模はM8.5と言われます。地震による犠牲者は23万人を超えるとされ、最も多くの犠牲者を出した地震の一つです。内陸地震で起きた地震としては最大規模で、著名な内陸地震の1891年濃尾地震や2008年四川地震のM8.0と比べても、地震規模の大きさが分かります。

1930年11月26日 北伊豆地震

 伊豆半島にある丹那断層がずれ動いたM7.3の地震で、三島市で震度6を観測しました。半島北部の山間部で山崩れや崖崩れが多発して、272名の犠牲者を出しました。東海道線の丹那トンネルが掘削中で、崩壊事故が発生しました。1923年関東地震以降、日本では地震が頻発しており、1925年北但馬地震、1927年北丹後地震に続く大地震でした。この地震の後、日本は太平洋戦争へと突入していきます。

1960年5月23日 チリ地震

 チリのバルディビア沖で発生したM9.5の観測史上最大の超巨大地震です。地震後には周辺で複数の火山も噴火しました。太平洋岸の各国を津波が襲い、地震発生後22時間後には日本にも津波が到達しました。三陸地方を中心に高さ6mを超える津波に見舞われ、三重県のリアス式海岸では真珠の養殖いかだなどが流されました。津波による日本国内での犠牲者は142人に上ります。カスケード地震と同様、遠地での超巨大地震による津波の怖さを知らしめた地震です。

1970年5月31日 アンカシュ地震

 70,000人にも及ぶ犠牲者を出したMw7.9の地震で、ペルーで起きた過去最も被害の大きかった地震です。ペルーの最高峰ワスカラン山の山頂付近が高さ1,000mにわたって氷河と共に大規模崩落し、人口約18,000人のユンガイの集落が全滅しました。

1980年5月18日 セントヘレンズ山の大噴火

 カスケード地震を起こした場所の近くにあるワシントン州のカスケード山脈で、セントへレンズ山が大噴火しました。M5.1の火山性の地震による揺れで北側斜面が大規模な山体崩壊を起こし、覆いを失った内部のマグマが直後に噴出し、激しい爆風と大規模な火砕流が北側山麓を襲いました。セントへレンズ山の標高は2,950mから2,550mに減少し、痛々しい姿となりました。セントへレンズ山は、富士山と同様の成層火山です。南海トラフ地震が切迫する中、私たちも他人ごとではありません。

1990年6月20日 マンジール地震

 イラン北部で起きたMw7.4の地震で、4万1,000人の犠牲者を出しました。無筋のレンガ造やアドベなどの被害が顕著でした。

1990年7月16日 ルソン島地震

 イランの地震から1か月を経ず、フィリピンのルソン島でMw7.7の地震が起き、100kmを超える地震断層が出現しました。バギオではパンケーキ状に倒壊したハイアット・テラス・ホテルをはじめ、多数の建築物が倒壊し、約2,000人の犠牲者を出しました。

2000年3月31日 有珠山噴火

 3月27日から有珠山周辺で火山性の地震が起きはじめ、3月29日に気象庁が緊急火山情報を発表し、壮瞥町・虻田町・伊達市の周辺3市町の1万人余りが事前に避難しました。豊富な噴火記録が残る有珠山は、比較的噴火予知のしやすい火山で、温泉などの恩恵を受けて生活している住民も30年に1度の噴火を受け入れようという意識を持っていました。それに加え、北海道大学有珠火山観測所がホームドクター的役割を果たしたことで、3月31日にマグマ水蒸気爆発したものの、事前避難により犠牲者は出ませんでした。

2000年6月26日〜8月 新島・神津島・三宅島近海での群発地震

 三宅島の火山噴火に伴う群発地震で、7月1日にM6.5の地震が発生しました。最大震度6弱の地震が6回、5強が7回、5弱が17回も起きました。7月8日には三宅島の噴火が始まり、8月には大規模な噴火によって全島民が避難することになりました。

2000年10月6日 鳥取県西部地震

 Mj 7.3の地震でしたが、地表には地震断層が現れませんでした。境港市や日野町で最大震度6強の揺れとなり、防災科学技術研究所の地震計は日野町で震度7の揺れが観測しました。日野町、米子市などで多数の住宅が倒壊しましたが、幸い、犠牲者は出ませんでした。平成に起きたM7.3の地震には、他に1995年兵庫県南部地震と2016年熊本地震がありますが、地震による直接死は、前者が5,500人、後者が50人です。人口集中が大災害を生み出すことがわかります。

2010年1月12日 ハイチ地震

 カリブ海に浮かぶハイチで起きたMw7.0の地震で、犠牲者は31万6000人以上と言われ、過去最悪の被害地震の一つです。首都ポルトープランスでは大統領府や国会議事堂を始めとする多くの建物が倒壊しました。この地震のあと、コレラが大流行し、治安も悪化し、ハイチは現在も厳しい状況が続いています。

2010年2月27日 チリ・マウレ地震

 チリ中部沿岸で発生したMw8.8の超巨大地震です。1960年チリ地震と同様、太平洋沿岸各地に津波が押し寄せました。気象庁は、2月28日9時33分に大津波警報を発表しましたが、大きな被害には至りませんでした。このことが翌年の東日本大震災での被害を拡大させたのではとの指摘もあります。1960年前後には、1952年カムチャッカ地震、1957年アリューシャン地震、1964年アラスカ地震が、2010年前後には2004年スマトラ地震、2011年東北地方太平洋沖地震が発生しており、超巨大地震の繰り返しを指摘する声もあります。

2010年4月14日 エイヤフィヤトラヨークトル噴火

 アイスランドにあるエイヤフィヤトラヨークトルが3月20日に噴火を始めました。当初は溶岩を噴出する噴火でしたが、4月14日に爆発的に噴火し、噴煙がヨーロッパの大部分に到達しました。このため、火山灰によるジェットエンジンへの影響を避け、ヨーロッパを中心に航空運行に大きな混乱が生じました。

 このように、「0」が付く年は、歴史に残る地震や火山噴火が国内外で起きています。今年一年、気を引き締めて災害への備えを進めていきたいと思います。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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