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台風の特異日9月26日に上陸した伊勢湾台風から60年、巨大化する台風に備えて

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
気象庁ホームページより

60年前の今日

 60年前の今日、1959年9月26日に、台風15号が伊勢湾の西を北上し、愛知県や三重県を中心に5000人を超える犠牲者を出しました。後日、この台風は伊勢湾台風と名付けられました。

 私は名古屋市内に住んでおり、2歳7か月と幼少でしたが、その日の記憶は残っています。土曜日でしたが、父親が早く帰ってきて、家の雨戸に釘を打ち付ける様子をみて、不思議に感じました。夜中、ろうそくで灯りをとりつつ、凄まじい風の中、家の真ん中に家具を移動し、雨戸を押さえながら夜を過ごしたことを思い出します。翌朝は快晴でしたが、路面には水が溜まり、屋根が吹き飛んだ家もありました。

昭和の3大台風

 伊勢湾台風は、昭和の三大台風の1つと言われています。他の2つは室戸台風と1945年枕崎台風です。

 室戸台風は、1934年9月21日に高知県室戸岬付近に上陸しました。室戸岬で観測された911.6hPaは上陸時の気圧として過去最低です。台風は大阪市の西を通ったため、大阪湾で高潮が発生しました。近畿地方を中心に、建物や家屋の倒壊、列車の転覆や船舶の沈没などの被害が出ました。死者は2,702人、行方不明者は334人に上ります。

 前年の1933年3月には3千人の犠牲者を出した昭和三陸地震が起き、半年前の1934年3月には函館大火で2千人を超す犠牲者が出ました。11月には寺田寅彦が経済往来に残した「天災と国防」に、「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。」と述べています。

 また、枕崎台風は、終戦の翌月9月17日に鹿児島県枕崎付近に上陸し、九州を縦断して広島市の西を通って北東に抜けました。原爆投下直後の広島県を中心に洪水や山、がけ崩れなどで大きな被害が出ました。死者は2,473人、行方不明者は1,283人に及びます。

台風の特異日、9月26日

 伊勢湾台風が上陸した9月26日は台風の特異日のようです。1950年代の同じ日に千人を上回る犠牲者を出した台風が3つもありました。

 1954年には未明に台風15号が鹿児島県大隅半島に上陸し、日本海に抜けて北上しながら発達し、爆弾低気圧のような状態で北海道に近づきました。最大風速40m前後の暴風と高波で、5隻の青函連絡船が遭難し、洞爺丸の乗員乗客1,139名が死亡しました。このため、洞爺丸台風と呼ばれます。北海道岩内町では3,300戸が焼失する大火も発生しました。死者は1,361人、行方不明者は400人に達します。

 伊勢湾台風の前年の1958年には、台風22号が、26日21時過ぎに静岡県伊豆半島の南端をかすめ、27日00時頃に三浦半島を通過しました。伊豆半島の中部地方で集中して雨が降って狩野川が氾濫しました。伊豆地方を中心に、死者888人、行方不明者381人の犠牲者を出したため、狩野川台風と言われます。そして、1959年9月26日18時過ぎに、伊勢湾台風と呼ばれる台風15号が潮岬の西に上陸します。

台風15号の強風と高潮

 上陸時の中心気圧は929hPa、毎時60~70kmの高速で、勢力を落とすことなく伊勢湾の西を北上しました。渥美半島の伊良湖での最大風速は毎秒45.4m、名古屋では37.0mを観測しました。名古屋での最低気圧は、21時27分に958.2hPaを記録しています。気圧が100hPa下がると海水面が1m上がると言われます。低気圧による吸い上げ効果と、強風と高速移動による吹き寄せ効果で、伊勢湾などの湾奥部を4m弱の高潮が襲いました。この高潮で、貯木場などに係留された木材が流木となって堤防を破壊し、住家を襲いました。5000人を超える死者・行方不明者は、阪神・淡路大震災発生まで、戦後最大の自然災害でした。

甚大な経済被害

 破堤によって浸水した海抜ゼロメートル地帯は長期にわたって湛水し、堤防のしめきりに2か月、排水に1か月と、復旧に3か月を要しました。また、名古屋港周辺に広がる日本有数の産業集積地が大きく被災しました。盛土された埋立地の大工場は浸水を免れましたが、低地の干拓地にあった中小工場や従業員の住宅が大きな被害を受けました。推定被害額は、愛知・三重両県だけで5,050億円です。当時の日本のGDPは13兆円程度ですから、GDP比の被害額は、阪神・淡路大震災の倍程度、東日本大震災をも上回ります。

災害対策基本法などの制定

 この災害後、1961年に日本の災害対応の原点ともいえる災害対策基本法が制定されました。防災計画の作成、災害予防、災害応急対策、災害復旧、防災に関する財政金融措置など、災害対策の基本が定められました。法律の原則は、被災した基礎自治体が第一義的に責任を持つこと、避難場所への支援は現物支給を原則にすることにあります。ですが、近年の大規模災害で、被災自治体の対応の限界も明らかになり、プッシュ型の支援の必要性も指摘されています。また、名古屋市では、建築規制を伴う名古屋市臨海部防災区域建築条例が制定されました。第1種から第4種の地域指定をし、1階床高さ、建物階数、建築構造に関して規制をするもので、他にはない試みです。

災害報道の重要性

 この災害では、当時普及し始めたテレビを通して、被災地の映像が流れました。しかし、広域の停電や電話の不通で、被害情報が住民まで伝わらなかったことは反省すべき点です。このため、災害後には、乾電池で聞けるトランジスタラジオが普及しました。今は当たり前のように様々な災害情報が入ります。特別警報や、5段階の災害情報も新設され、テレビ、ラジオ、スマホなど、様々な媒体を通して情報が提供されます。

 気候温暖化で大型の台風が勢力を落とすことなく上陸することが増えてきました。情報リテラシーを高め、情報を活用し、少しでも被害を減らす力を身に付けていきたいと思います。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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