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南海トラフ地震や首都直下地震が起きると改元していた

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(ペイレスイメージズ/アフロ)

4つの改元

 1868年、一世一元の詔により、慶応から明治へと改元され、天皇一代に元号一つという一世一元の制が定められました。それ以降は、天皇の崩御や退位によって元号が改められ、明治から大正、昭和、平成と改元されてきました。そして、天皇の退位と共に、5月1日より新たな元号になります。これは、代始改元に相当します。かつて慶応以前には、代始改元に加え、吉事があったときに改元する祥瑞改元、災いを断ち切るための災異改元、甲子の年、戊辰の年、辛酉の年に行われる革年改元がありました。ちなみに1924年は甲子の年でしたが、この年にできたのが、今、春の選抜高校野球をやっている甲子園球場です。

災異改元

 災異改元は、天変地異、疫疾、兵乱などの厄災を避けるための改元です。その中には地震による改元もあります。地震と関りがあると思われる改元は、938年の承平から天慶、976年の天延から貞元、1097年の嘉保から永長、1099年の承徳から康和、1185年の元暦から文治、1293年の正応から永仁、1317年の正和から文保、1326年の正中から嘉暦、1362年の康安から貞治、1449年の文安から宝徳、1596年の文禄から慶長、1704年の元禄から宝永、1831年の文政から天保、1855年の嘉永から安政などです。

京都周辺の地震による改元

 災異改元のうち、承平から天慶への改元の直前には京都などでの地震が、天延から貞元への改元直前には976年に山城・近江で地震が、元暦から文治への改元のときには1185年文治地震がありました。文治地震については、鴨長明が著した方丈記の「世の不思議五」に、「おびただしき大地震ふること侍りき。そのさま世の常ならず。山崩れて、川を埋み、海はかたぶきて、陸地をひたせり。土さけて、水湧き出で、巖割れて、谷にまろび入る。」と、記述されています。

 さらに、正和から文保の直前には1317年に京都で地震が、正中から嘉暦の直前には1325年に柳ケ瀬断層が活動したと思われる正中地震が、文安から宝徳の直前には、1449年に山城・大和で地震が起きました。有名なのは、文禄から慶長に移る直前の1596年に連発した9月1日の慶長伊予地震、9月4日の豊後地震、9月5日の伏見地震です。伏見地震では伏見城も倒壊し、慶長の役、関ヶ原の戦いを経て江戸時代へと時代が移りました。また、文政から天保に変わる直前の1830年には、文政京都地震が発生しています。このように、京都で被害地震が起きると改元されることが多いようです。まさに、首都直下地震です。

関東での地震による改元

 幕府が鎌倉や江戸にあったときに関東で地震が起きた場合にも改元されてきました。鎌倉幕府の時代、正応から永仁に改元した直前には、1293年に永仁鎌倉地震が発生しています。この地震は、関東地震との関連や国府津―松田断層の連動の可能性も示唆されています。

元禄から宝永に改元した直前には、1703年に元禄地震がありました。この地震は、大正関東地震よりも一回り大きな関東地震です。この年には赤穂浪士の討入事件も起きています。

南海トラフ地震による改元

 南海トラフ地震の後にも改元されることが多いようです。嘉保から永長に改元された直前には、1096年に東海地震と思われる永長地震が、3年後に承徳から康和に改元した直前にも、1099年に南海地震と疑われる康和地震が起きています。2つの地震は南海トラフ地震のペアの可能性があります。康安から貞治に改元した前年にも、1361年正平・康安地震が、嘉永から安政に改元した直前には、1854年安政東海地震と安政南海地震が32時間の時間差で起きました。この年には、3月31日にペリーと日米和親条約を締結しています。

 このように、首都を襲う地震や、西日本が広域に被災する南海トラフ巨大地震が起きたときには、改元されることが多かったようです。これらは、改元に値する一大事件だということです。確かに、文禄、元禄、嘉永の地震のときは、安土桃山から江戸、元禄の終焉、江戸から明治といった時代の節目と一致しています。

新たな元号の時代には、南海トラフ沿いの地震や首都直下の地震の発生が心配されています。富士山噴火も気がかりです。気を引き締めて新たな元号の時代を迎えたいと思います。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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