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明治以降、死者が出る地震が起きていない2月 積雪時には困難も

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(ペイレスイメージズ/アフロ)

平安時代の南海地震か?

 1099年2月16日(グレゴリオ暦2月22日、承徳3年1月24日)に康和地震が発生しました。1096年12月に発生した永長地震とペアの南海トラフ地震の可能性が指摘されています。ただし、永長地震が南海トラフ全域の地震で、康和地震は近畿の地震だとの考えもあるようです。

南海トラフ地震かどうかが議論される慶長地震

 1605年2月3日(慶長9年12月16日)に発生した慶長地震は、これまで南海トラフ地震の候補の一つでした。ただし、関東から九州までの広域で津波被害は報告されていますが、揺れによる被害は知られていません。そのため、揺れを伴わない津波地震だと考えられてきました。しかし、近年は、この地震は南海トラフとは異なる場所での地震ではないかとの提起もあります。

 もし、この地震が南海トラフの地震ではないとすると、1498年明応地震と1707年宝永地震の間が209年となり、従来言われていた南海トラフ地震は100~150年の発生間隔との考え方とは矛盾します。このため、最近では、1854年安政地震と1944年・1946年昭和地震の震源域が異なっていて両方で一つの地震と考えるべきとの考え方も提起されています。世界で最もよく分かっていると言われる南海トラフの地震ですが、研究が進むことで、混とんとすることもあるようです。

豪雪地帯を襲った越後高田地震

 1666年2月1日(寛文5年12月27日)に発生した越後高田地震は、現在の新潟県上越市にあった越後高田の城下を襲いました。この地震で、高田城が破損し、城下の家屋も多数が被害を受け、1500人もの死者を出したようです。屋根の上に雪が積もると、家屋が重くなり大きな力を受けて被害を受けやすくなります。また、屋根からの落雪による下敷きや、避難や消火・救助・救援活動の難しさなどもあります。幸い、近年起きた日本海側の地震では、1993年北海道南西沖地震は7月、2000年鳥取県西部地震は10月、2004年新潟県中越地震は10月、2007年能登半島地震は3月、新潟県中越沖地震は7月と、幸いにも積雪時を避けています。

江戸時代に起きた連動型の宮城県沖地震

 1793年2月17日(寛政5年1月7日)に寛政地震が発生しました。この地震は、1978年に発生した宮城県沖地震の震源域に加え海溝側の震源域も活動した連動型の宮城県沖地震のようです。マグニチュード8クラスの巨大地震により、陸中から常陸にかけて津波が襲いました。近年の研究によると、東北沖の日本海溝沿いでの地震は様々で、数十年で発生するM7クラスの地震、それより規模の大きな地震、さらに東北地方太平洋沖地震のような600年程度に一回起きるM9クラスの地震があり、地震の発生の仕方に階層性があるようです。M7クラスの地震が定期的に起きているから、超巨大地震は起きない、というのは誤った考え方のようです。

日本地震学会の設立につながった横浜地震

 明治になってしばらくした1880年(明治13年)2月22日に横浜で小さな地震が起き、煙突が多数倒壊しました。被害はあまり大きくはなかったのですが、横浜には明治政府が雇用したお雇い外国人が住んでいて。この地震による揺れにビックリしたようです。そのため、工部大学校(後の東京大学工学部)で鉱山学の教鞭をとっていた英国人のジョン・ミルンが、被害調査を精力的に行いました。そして、地震研究の必要性を感じ、同僚のお雇い外国人と共に、世界で初めて地震研究のための日本地震学会を設立しました。

地震予知に成功した中国の海城地震

 1975年(昭和50年)2月4日に中国の遼寧省で海城地震が発生しました。M7.0の地震で、1,300人ほどの死者が出たようです。この地震では、地震発生に先立って様々な宏観現象や前震活動があり、100万人を超える人が事前に避難をしたと言われています。そのおかげで、多くの建物が倒壊したにもかかわらず、犠牲者を大きく減らすことができました。しかし、この翌年に起きた唐山地震では、前兆を捉えることができず20万人を超える犠牲者を出しました。

 まさに唐山地震が起きた同じ時期に、日本では、駿河湾を震源とする東海地震説が唱えられ、1978年に直前予知を前提とする大規模地震対策特別措置法が制定されました。しかし、40年経って、一昨年、警戒宣言を発令できるような確度の高い地震の発生予測は困難との見解が示され、新たに気象庁から南海トラフ地震に関連する情報(臨時)が発せられることになりました。そして、昨年末に臨時情報発令時の基本的な対応の方向性について取りまとめが行われました。

津波避難が十分ではなかったチリ地震津波

 2011年東北地方太平洋沖地震に1年先立つ2010年(平成22年)2月28日に、チリでM8.8の地震が発生し、日本にも1mを超える津波が到達しました。観測史上最大だった1960年チリ地震津波(M9.5)以来50年ぶりのチリの超巨大地震です。50年前には6mを超える津波で三陸海岸を中心に142名の死者・行方不明者を出しましたが、残念ながら、2010年の地震では避難行動は不十分でした。思ったより津波高が低かったこともあり、津波に対する警戒心が減じられた可能性があります。まさに、その1年後に、東北地方太平洋沖地震の巨大津波が押し寄せ、津波などによって2万人もの犠牲者を出すことになりました。

 なぜか、M9クラスの超巨大地震は50年間隔で起こっているように見えます。50年前には、1952年カムチャツカ地震、1957年アリューシャン地震、1960年チリ地震、1960年アラスカ地震が起きました。そして50年経って、2004年スマトラ沖地震、2010年チリ地震、2011年東北地方太平洋沖地震と、M9クラスの超巨大地震が続いています。最大クラスの南海トラフ地震が起きないことを祈ります。

東日本大震災の直前に起きたニュージーランドの地震

 2011年(平成23年)2月22日 ニュージーランドのカンタベリー地方でM6.3の地震が起き、クライストチャーチ市周辺では大規模な液状化現象が発生しました。市中心部の語学学校が入っていたビルが倒壊し、日本を含む留学生が多数巻き込まれました。このため、死者185人のうち日本人が28人を占めます。

 この地震が起きた時には、日本では、1月29日の新燃岳噴火以降、爆発的噴火を繰り返している最中で、3月11日にはM9.0の東北地方太平洋沖地震で壊滅的な被害となりました。

 このように、明治以降、2月には死者を出す地震は日本では発生していません。今年の2月も平穏であることを願います。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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