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過去、日本史上最悪の自然災害が起きた亥年、今年はどうなる

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:アフロ)

 今年は、新年早々1月3日に熊本で震度6弱の揺れに見舞われました。亥年は災害の年と言われます。過去にどんな災害が起きたか、簡単に振り返ってみます。

2つの地震が日本海側のまちを襲った2007年

 2007年には、石川県と新潟県を直下の地震が襲いました。3月25日に能登半島沖でM6.9の能登半島地震が、さらに7月16日に新潟県沖でM6.8の新潟県中越沖地震が発生しました。能登の地震では震源近くの輪島市門前町などが大きな被害を受け、曹洞宗の大本山總持寺祖院が損壊したことが話題になりました。中越沖地震は2004年新潟県中越地震の近くで起き、自動車部品工場の被災で、全国の自動車生産が止まりました。柏崎刈羽原子力発電所では火災事故が発生しました。サブライチェーンや原子力発電施設の問題は、その後2011年東日本大震災で大きな問題となったことに重なります。

阪神・淡路大震災で時代が変わった1995年

 1月17日の未明にM7.3の兵庫県南部地震が発生し、観測史上初めて、震度7の揺れが阪神地区を襲いました。古い木造家屋を中心に約10万棟の住家が全壊し、死者・行方不明者6,437名という戦後最大の自然災害となりました。阪神高速道路や鉄道が甚大な被害を受け、東西の交通が止まり、ライフラインも長期間途絶しました。西日本では1948年福井地震以来、関西では1596年慶長伏見地震以来の内陸直下の大地震でした。

 なお、この年から始まった「今年の漢字」は「震」でした。選考理由は、「阪神・淡路大震災や、オウム真理教事件、金融機関などの崩壊に"震えた"年。」とされています。2位は「乱」、3位は「災」でした。これ以降、日本は失われた20年と呼ばれる厳しい時代に突入します。

日本海を大津波が襲った1983年

 5月26日の正午前に秋田県沖でM7.7の地震が発生しました。最大震度5、高さ14mの津波が記録され、津波犠牲者100人を含め、104人が亡くなりました。埋め立て工事中だった能代港で作業員など35人が犠牲になったのを始め、漁業関係者や釣り客が多く犠牲になりました。遠足で男鹿市の海岸に来ていた合川南小学校の児童や教員が津波に巻き込まれ、13人の児童が帰らぬ人になるという痛ましいこともありました。

伊勢湾台風による高潮で5千人が犠牲になった1959年

 日本の災害史上、最悪の台風災害が起きました。9月26日、超大型の伊勢湾台風が、強風と高潮を伴って、地下水のくみ上げで地盤沈下した濃尾平野の海抜ゼロメートル地帯を襲いました。低気圧による吸い上げと、強風と高速移動による湾奥部への吹き寄せで未曾有の高潮が生み出されました。名古屋港の貯木場から大量のラワン材が流出し、流木が家屋をなぎ倒し、5000人を超える戦後最大の犠牲者が出ました。高度成長の矢先に大都市圏を襲った自然災害で、この災害を契機に、1961年に災害対策基本法が制定されました。

戦災で焼けた東京下町を水没させた1947年

 戦後2年経った混乱の中、5月3日に日本国憲法が施行されました。8月14日には浅間山が噴火し、1か月後の9月15日にカスリーン台風が来襲しました。この台風は、上陸はしませんでしたが、大雨によって利根川や荒川などが決壊し、死者・行方不明者1,930名の大きな被害となりました。家康の命で東遷させた利根川ですが、洪水・浸水で東京湾に注いでいたかつての利根川の流路が再び蘇りました。

最悪の震災で東京を壊滅させ戦争へと誘った1923年

 9月1日、小田原を震源とするM7.9の関東地震が発生しました。日本の歴史上最悪の自然災害で、関東大震災と名付けられました。死者は105,385人、経済被害は当時の国家予算の3倍にも及びました。被害の中心は下町で、下町の死亡率は山手の25倍にもなります。現在、下町の人口は急増し、オリンピックの会場も多く作られつつあります。

 この地震の後、地震が続発し、金融恐慌、満州事変、2・26事件、日中戦争、太平洋戦争と続き、戦争で310万人もの犠牲者を出しました。

南海トラフ地震と富士山噴火の1707年

 相模トラフ沿いで12月31日に元禄地震(関東地震)が起きました。現在の神奈川、千葉、東京を強い揺れと津波が襲いました。この地震で、元禄から宝永に改元しましたが、1707年10月28日に宝永地震と呼ぶ南海トラフ地震が起き、さらに49日後には富士山も大噴火しました。その様子は、尾張藩のお畳奉行・朝日文左衛門が著した鸚鵡籠中記に克明に記されています。宝永地震は、南海トラフの震源域全体が一度に動いたと言われ、有史以来最大の地震だと考えられています。そして、富士山噴火による火山灰は江戸にまで達しました。万一、今、同様の事態が起きたとすれば、日本はどうなるでしょうか、考えるだけでもぞっとします。

東北で地震が続発した1611年

 会津地震は、9月27日に会津盆地西縁断層帯が活動したようです。会津周辺で甚大な被害となり、数千人に及ぶ死者が出たようです。大きな堰止湖ができ、街道筋が移動したりしました。この地震の後、12月2日に慶長三陸地震が発生しました。最近、北海道での津波堆積物調査から17世紀初頭に大地震が発生したことが明らかになったため、この地震は、北海道沖の超巨大地震の可能性も疑われています。仙台藩藩主だった伊達政宗は、復興のため、様々な施策を展開しました。そのおかげで、東日本大震災の被害が軽減されたとも言えそうです。青葉城の高台での復興、貞山堀の構築、支倉常長の欧州派遣など画期的な復興政策をとったように思います。

 このように、亥年は、関東地震、南海トラフ地震、内陸地震、東北・北海道の地震、台風など、過去最悪の災害が発生した年に当たります。亥年の一年、いつ地震が起きても良いように、怠りなく備えをしておきたいと思います。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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