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歴史書に最初に記録された最古の地震は1602年前の8月の地震

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(ペイレスイメージズ/アフロ)

 8月にも多くの地震が起きてきました。最古の地震の允恭地震を含め、10個の地震を紹介してみます。

416年8月22日(グレゴリオ暦は8月23日、允恭5年7月14日) 允恭地震

 日本書紀の巻第13に記された日本最古の地震で、地震(ない)とだけ記されています。元号が允恭(いんぎょう)だったため允恭地震と呼ばれていますが、地震の規模、発生場所などは全く分かっていません。当時の遠飛鳥宮で揺れを感じたようです。その後、日本書紀に被害の記録が記された地震が発生したのは599年推古地震で、180年以上もの時を経ます。

868年7月30日(グレゴリオ暦は8月3日、貞観10年7月8日) 播磨国地震

 六国史の最後の国史・日本三代実録に記された地震で、兵庫県の山崎断層帯の主部(北西部)が活動したと考えられています。山崎断層帯は、岡山県東部から兵庫県南東部にかけて分布する活断層帯で、地震発生可能性がやや高いグループに区分されています。

 兵庫県では、1596年に有馬―高槻断層帯で慶長伏見地震が、1995年に六甲・淡路島断層帯で兵庫県南部地震が発生しており、本年6月18日には有馬―高槻構造線の近くで大阪府北部の地震が発生しています。

 ちなみに、播磨国地震の翌年869年には東北地方の日本海溝沿いで貞観地震と呼ばれる巨大地震が発生しました。

887年8月22日(グレゴリオ暦8月26日、仁和3年7月30日) 仁和地震

 日本三代実録によると、五畿七道諸国大震、京都・摂津を中心に死者多数、津波ありと記述されているため、南海トラフ地震の一つだと考えられています。

 この時代には、878年に相模トラフでの活動が疑われる相模・武蔵の地震が発生しており、864年の富士山の貞観噴火、868年播磨国地震、869年貞観地震なども含め、地震・火山が頻発しました。現代との類似性を指摘する声もあり、気を引き締めておきたいと思います。

1185年8月6日(グレゴリオ暦8月13日、元暦2年7月9日) 文治地震

 鴨長明が著した方丈記の「世の不思議五」に元暦の大地震について記されています。ここには、「おびただしき大地震ふること侍りき。そのさま世の常ならず。山崩れて、川を埋み、海はかたぶきて、陸地をひたせり。土さけて、水湧き出で、巖割れて、谷にまろび入る。渚こぐ船は、浪にたゞよひ、道行く馬は、足の立處をまどはす。都の邊には、在々所々、堂舍塔廟、一つとして全からず。或は崩れ、或は倒れぬ。塵・灰立ち上りて、盛んなる煙の如し。地の動き、家の破るゝ音、雷に異ならず。家の中に居れば、忽ちにひしげなんとす。走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。龍ならばや、雲にも登らむ。おそれの中に、おそるべかりけるは、たゞ地震なりけりとこそ覺え侍りしか。かくおびただしくふる事は、暫しにて、止みにしかども、その餘波しばしは絶えず。」と記されています。揺れ、土砂崩れ、河川閉塞、液状化、家屋倒壊、余震など、地震の時に発生するあらゆる現象が、見事に描写されています。

 琵琶湖西岸断層帯南部での活動が疑われています。滋賀県には、この他にも、三方・花折断層帯、柳ケ瀬・関ケ原断層帯など多くの活断層が集中しています。なかでも、琵琶湖西岸断層帯の北部は、地震の発生可能性が高いグループに区分されており、注意が必要です。

1361年7月26日(グレゴリオ暦8月3日、正平16年・康安元年6月24日) 正平・康安地震

 南海トラフ地震の候補とされている地震です。南北朝が存在する混乱の時代で、2つの元号が使われていたことから、正平地震と康安地震の2つの呼び名があります。

 南海トラフ地震の候補としては、684年白鳳地震、887年仁和地震、1096年永長地震・1099年康和地震、1361年正平・康安地震、1498年明応地震、1605年慶長地震、1707年宝永地震、1854年安政地震、1944年東南海地震・1946年南海地震などが挙げられていますが、未だ様々な議論がされています。

1819年8月2日(文政2年6月12日) 文政近江地震

 琵琶湖東岸を中心に、死者、家屋の全壊が多数発生したと言われています。地震の震源については、色々な解釈があるようで、定説は定まっていないようです。長浜市の長浜城近くの琵琶湖湖底で、柱や石を積み重ねた水中遺構が見つかっており、この地震との関連が指摘されています。

1896年(明治29年)8月31日 陸羽地震

 この地震に先立つ6月15日に明治三陸地震が発生し、津波によって2万2千人が犠牲になりました。この地震に引き続いて発生した誘発地震だと考えられています。岩手県と秋田県の県境にある横手盆地東縁断層帯が活動したマグニチュードM 7.2の内陸直下の地震で、209人の死者を出し、多数の山崩れが発生しました。

 この地震の前には、岐阜・愛知で1891年濃尾地震、山形で1894年庄内地震が発生しており、日清戦争(1894年~1895年)に勝利した直後に、三陸地震と陸羽地震が発生することになりました。

1909年(明治42年)8月14日 姉川地震(江濃地震)

 滋賀県の柳ヶ瀬断層が活動した内陸直下のM6.8の地震で、長浜市で最大震度6を記録しました。現在の長浜市を中心に41人の犠牲者を出しました。琵琶湖周辺での地盤変状が認められ、湖周辺の軟弱地盤や地盤の堆積構造が局所的な被害を生み出した可能性が指摘されています。この地震の前に日露戦争(1904年~1905年)に勝利し、この地震の翌年1910年に韓国を併合します。まさに、日本が列強に伍していく時代に起きた地震と言えそうです。

1965年(昭和40年)8月3日〜1970年6月5日 松代群発地震

 東京五輪の翌年1965年の8月から、フォッサマグナに位置する松代(現在の長野市)で5年半にわたって、6万を超える有感地震を経験しました。松代には、戦争末期、政府中枢機能移転のために松代大本営が地下坑道に作られており、戦後、この場所を利用して、様々な地震観測が行われました。群発地震の地震観測記録に基づいて、地震予知や地震工学にとって貴重な知見が多く得られました。

 この地震が起きた時期はまさにプレートテクトニクス理論が生まれた時でした。1962年には、報告書「地震予知―現状とその推進計画」(ブループリント)がまとめられていました。群発地震が始まって、「北信地域地殻活動情報連絡会」が設立され、その後、1968年国土地理院に地震予知連絡会が発足します。まさに、東海地震の地震予知の先駆けになった群発地震です。

2009年(平成21年)8月11日 駿河湾で地震

 駿河湾で起きたM6.5の地震で、最大震度は6弱でした。最大40cmの津波を観測し、気象庁は史上初めて東海地震観測情報を発表しました。この地震は、想定東海地震の震源域で起きました。2011年東北地方太平洋沖地震では、2日前にM7.3の前震が発生しましたので、今だったら大騒ぎになっていたと思われます。

 昨年、南海トラフ地震に関しては警戒宣言発令の前提となる確度の高い地震の予知は困難との政府見解が示されました。そして、昨年11月以降、南海トラフ地震の震源域で異常な現象が観測されると、南海トラフ地震に関連する情報(臨時)が発表されることになりました。まさにこの地震はその対象となり得る地震です。

 このように、8月の地震には、南海トラフ地震と関わりのある地震が少なからずあります。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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