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西日本豪雨の出水期7月、過去には地震も多発 気になる地震と水害の複合災害

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:Fujifotos/アフロ)

7月に多くの被害地震が発生した貞観時代

 この時代には、各地で噴火・地震活動が活発で、六国史の最後の国史・日本三代実録に多くの災害が記述されています。その中に7月に起きた地震がいくつか含まれています。一つは、863年7月6日(グレゴリオ暦では7月10日、貞観5年6月17日)に起きた 越中・越後地震です。868年7月30日(グレゴリオ暦8月3日、貞観10年7月8日)には、今の兵庫県で播磨・山城地震が起きました。山崎断層帯の活動によるものと考えられています。

 さらに、869年7月9日(グレゴリオ暦7月13日、貞観11年5月26日夜)には、東北地方の日本海溝沿いで貞観地震が発生しました。大津波によって多賀城周辺で1000人もの死者がでたとの記述が残されています。2011年東北地方太平洋沖地震と同様の巨大地震だったと考えられています。

 この時期には、864年に富士山が噴火し、青木ヶ原樹海の足元の溶岩を作りました。同年には、阿蘇山も噴火しています。阿蘇山は867年にも噴火し、さらに、871年には鳥海山が、874年と885年には開聞岳が噴火しており、九州での火山活動が活発でした。

 また、878年には相模・武蔵地震が起き、887年には仁和地震が起きました。前者は相模トラフの地震の可能性が指摘されており、後者は南海トラフ地震の一つと考えられています。

 この間には、880年に出雲で、886年には千葉・安房国で地震が発生しています。1995年兵庫県南部地震以降、全国各地で起きてきた地震や活発な九州での噴火活動を見ると、当時との類似性が気になります。

1361年7月26日(グレゴリオ暦8月3日、正平16年6月24日) 正平地震(康安地震)

 南海トラフ地震の一つと考えられている地震です。室町時代前期の南北朝時代に発生したため、元号として南朝の・正平と北朝の康安が使われていたことから、正平地震とか康安地震とか言われています。古文書には近畿・四国の被害の記述が多く南海地震と考えられていますが、液状化跡などの発掘調査から東海地震も起きたとの説もあります。

 前後の南海トラフ地震の候補としては、1096/1099年永長・康和地震、1496年明応地震が挙げられています。これまで、南海トラフ地震の発生間隔は100~150年と言われていますが、永長・講和地震から260年程度の間隔があることから、様々な議論がされています。

1804年7月10日(文化元年6月4日) 象潟地震

 秋田の出羽国で起きたマグニチュード(M)7クラスの地震で、500人ほどの死者が出たようです。津波もあったようですから日本海側の地震だったと思われます。陸側が隆起したため、「東の松島 西の象潟」と評されていた景勝地の象潟が陸地化したことが有名です。

1854年7月9日(嘉永7年6月15日) 伊賀上野地震

 M7クラスの内陸直下の地震で、木津川断層帯が活動したと考えられています。伊賀・伊勢・大和などで大きな被害になり、理科年表によると死者は1500を越えるとされています。

 その後、年の暮れには、12月23日に安政東海地震、24日に安政南海地震、26日に豊予海峡の地震が続発しました。この年には日米和親条約や日英和親条約が締結されました。翌1855年には日露和親条約も締結され、11月11日には安政江戸地震が発生しています。この他にも多数の地震が発生し、江戸を暴風雨が襲ったり、コレラの流行もありました。

 まさに内憂外患の時代の中、1858年に井伊直弼による安政の大獄がありました。その後、地震でのダメージの無かった長州と薩摩が手を組んで、江戸から明治へと移りました。

1889年(明治22年)7月28日 明治熊本地震

 M6.3の内陸直下の地震で、死者20名、建物の全潰239棟の被害があったと言われています。熊本城も被害を受けた様子は日奈久断層東部や布田川断層東部が活動した2016年熊本地震とよく似ています。当時の被害分布から、布田川断層西部が活動したように思われます。日奈久断層西部の活動が残っているように感じられ、今後、注意が必要です。

 明治熊本地震は、1885年に東京気象台に地震計が設置され、全国的に震度観測が開始された後、初めて起きた地震です。被害写真が残っている最初の地震でもあります。

 ちなみに、1889年は、大日本帝国憲法の公布や東海道線の全線開通のあった年で、近代国家としての形を整えた時です。

1993年7月12日 北海道南西沖地震

 M7.8の海の地震で、最大震度は5でしたが、最も被害の大きかった奥尻島での推定震度は 6とされています。震源近くの奥尻島などに高い津波が数分で押し寄せ、さらに青苗地区では津波火災も発生しました。また、奥尻島ではがけ崩れに巻き込まれたホテルでも多数が犠牲になりました。この結果、死者202人、行方不明者28人もの被害に及びました。

 日本海側で発生した地震としては最大規模の地震で、1964年新潟地震、1983年日本海中部地震に続いて起きたことから、ユーラシアプレートと北アメリカプレートが接する日本海東縁変動帯の存在が周知されるようになりました。

 ちなみに、この年には1月15日に釧路沖地震が発生し、翌1994年には10月4日に北海道東方沖地震が、12月28日には三陸はるか沖地震が発生するなど、北海道周辺での地震活動が活発でした。

2000年(平成12年)新島・神津島・三宅島近海での群発地震

 伊豆諸島の新島、神津島、三宅島周辺で群発地震が発生しました。6月26日から群発地震が始まり、7月1日にM6.5、7月9日にM6.1の地震が神津島近海で、7月9日にM6.3の地震が新島近海で、7月30日にM6.5の地震が三宅島近海で発生しました。

 マグマの貫入に伴う群発地震で、7月8日から三宅島で噴火が始まり、8月10日にはマグマ水蒸気爆発があり、18日、29日と大規模噴火が続きました。9月2日には、全島民が島外へ避難を始め、2005年2月まで4年5か月に及ぶ全島避難となりました。

2007年(平成19年)7月16日 新潟県中越沖地震

 M6.8の内陸直下の地震で、最大震度は6強、15名の方が犠牲になりました。2004年中越地震に続く地震で、直前の同年3月25日には能登半島地震が発生しており、これらの地震との関連が議論されました。また、北海道西方沖地震なども含め日本海東縁変動帯での地震にも相当します。

 この地震では、柏崎刈羽原子力発電所で火災や軽微な損傷が多数発生して、原子力発電施設の安全性に一石を投じました。また、自動車のピストンリングを作っていた会社が被災し、国内の多くの自動車工場が操業停止に追い込まれました。原子力発電施設や製造業のサプライチェーンの問題は、2011年東北地方太平洋沖地震で問題となった事象です。

 ちなみに、7月の上旬には、熊本、宮崎、鹿児島などで豪雨による被害が多数発生していました。7月の地震は、豪雨災害との複合災害も気になります。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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