【過去の教訓を未来につなぐ】南北に引っ張られる九州で続く地震・噴火・土砂災害

改修中の熊本城

フィリピン海プレートが沈み込んでできた霧島火山帯

 この数年、九州で火山災害が続いています。本年になって新燃岳が再び活発な噴火活動を始めました。2016年熊本地震の半年後には阿蘇山が噴火し、2015年には口永良部島と桜島が、2013年には桜島、2011年には東日本大震災の直前に新燃岳が噴火しました。

 いずれもフィリピン海プレートが沈み込んだ場所に当たります。プレート上面の海水がプレートと共に沈み込み、ある深さに達すると融点降下によって周辺のマントルを溶かし、それがマグマとなって上昇し、霧島火山帯を形成しています。ここに位置するのが、北から阿蘇山、霧島、桜島、口永良部島です。

 その他にも周辺には多数の火山があり、かつてのカルデラ噴火の跡も、阿蘇カルデラ、加久藤カルデラ、小林カルデラ、姶良カルデラ、阿多カルデラ、鬼界カルデラなど、沢山残っています。南海トラフ地震が切迫する中、この7年間の活発な活動が気にかかります。

南北に引っ張られてできた別府―島原地溝帯

 日本列島は全体として東西に圧縮されているのですが、九州は珍しく南北に張力が働いています。それによって、九州を横断して大きな溝ができました。それが、別府-島原地溝帯です。阿蘇山は、霧島火山帯と別府-島原地溝帯が交差する場所に位置しています。

 この地溝帯の南西に位置するのが熊本地震の本震と前震を起こした布田川断層や日奈久断層です。これらの断層の東側には、別府-万年山断層があります。いずれも引っ張り力によって生じた横ずれ断層です。さらにその東側には、中央構造線が位置しています。

 ちなみに、1596年には9月1日に伊予地震が、9月4日に豊後地震が、中央構造線と別府-万年山断層周辺で起きました。豊後地震の翌日9月5日には伏見地震が起きています。そして、1619年には熊本の八代地方で地震が起きました。八代は日奈久断層の西側の位置に相当します。

 引っ張り力は岩盤内に亀裂を作りますから、マグマが上昇しやすくなります。このため、地溝帯には、鶴見岳、由布岳、九重山、阿蘇山、雲仙岳などの火山が東西に連なっています。さらに、マグマが周辺の地下水を熱するため、湯布院や別府などの名湯が沢山できます。

突然強い揺れが襲った熊本地震の前震

 2016年4月14日21時26分にマグニチュード6.5の地震が発生し、熊本県益城町で震度7を観測しました。日奈久断層北部が活動したとみられています。この地震まで、震度7を記録したのは、兵庫県南部地震、新潟県中越地震、東北地方太平洋沖地震の3地震で、4度目の震度7の地震でした。

 誰もが、この地震が本震だと思っていて、地震後の災害対応に勤しんでいましたが、28時間後の16日未明に隣接する布田川断層東部でさらに規模の大きなマグニチュード7.3の地震が発生しました。このため、この地震は、熊本地震の前震と呼ばれるようになりました。

 震度7の揺れを経験した益城町を中心に多くの家屋が全壊し、本震発生前の段階で益城町と熊本市で9名の直接死が確認されています。家屋被害の数については、本震での被害との区別ができないため、明確になっていません。

 前震発生後、本震までに、震度6弱以上の揺れを伴う地震が2回発生し、さらに本震後にも3度、震度6の揺れの地震が発生しました。前震直後の余震では、はじめて長周期地震動階級4が記録されました。本震の震源域は阿蘇山のカルデラにまで達し、余震の震源がさらに東側の別府―万年山断層にまで移動したため、その東に隣接する活断層の活動が心配されたりもしました。

 本震直後には阿蘇山が小規模噴火し、さらに10月8日には36年ぶりの爆発的噴火をしました。地震や火山の連動の怖さを感じさせる地震です。

震度7を再来させた熊本地震の本震

 前震の28時間後、2016年4月16日1時25分に、日奈久断層の東に隣接する布田川断層東部が動き、マグニチュード7.3の地震が発生しました。益城町と西原村で震度7の強い揺れとなり、前震で被害を受けた家屋の多くが倒壊しました。布田川断層西部は、1889年明治熊本地震で活動したようで、布田川断層東部は残っていた場所に相当します。そういう意味では、日奈久断層の西部の八代地区は注意が必要かもしれません。

 死者は、前震も含めて熊本県で50人の直接死を出し、震災関連死は200名に及びました。また、全壊家屋数は8000棟を超えました。直接死50人のうち、37人は家屋の倒壊、10人は土砂災害によるとみられています。

 未明のマグニチュード7.3の直下地震で、老朽化した木造家屋の被害が顕著だったことなど、1995年兵庫県南部地震と共通する点が多く見られます。しかし、兵庫県南部地震では、直接死が5500人強、全壊家屋が約10万棟だったのに比べ、全壊家屋は1/10以下、直接死は約1/100でした。

 家屋被害の差は被災地域の人口の差と耐震化の進捗の成果、人的被害の差は前震の揺れで多くの人が自宅外に避難していたことが幸いしたと考えられます。このため関連死数が突出することになりました。熊本地震は、改めて人口集中の問題の大きさと直前予知の有用性を示唆しています。

震災翌年に襲った集中豪雨

 熊本地震では南阿蘇村で大規模な斜面崩壊があり、阿蘇大橋が落橋し、各地で土砂災害がありました。被災地の地盤は火山噴出物が堆積した土砂災害を起こしやすい地盤でした。

 熊本地震翌年の2017年7月には、線状降水帯による集中豪雨が朝倉市や日田市などを襲い、九州北部豪雨災害が発生しました。花崗岩が風化したまさ土や火砕流堆積物など、土砂災害が発生しやすい地質だったことが関係しそうです。

風化しやすい過去の地震の教訓

 熊本市は、129年前の1889年7月28日23時45分にもマグニチュード6.3の明治熊本地震に襲われ、死者20名、建物の全潰239棟の被害を出していました。地震の6日後に大きな地震が起き、多くの余震が起きたこと、熊本城の石垣の被害や橋梁被害が顕著だったことなど、2016年4月に起きた熊本地震との類似性が指摘されています。過去の地震の教訓を後世に残していくことの大切さが改めて分かります。被害分布が西に寄っていることから、熊本地震では活動しなかった布田川断層西部での地震だった可能性があります。

 この地震の揺れは、遠くドイツ・ポツダムの重力計で記録されたそうです。そもそも、我が国の地震研究は、1880年2月22日 に起きた横浜地震の後に設立された日本地震学会に遡り、この後、お雇い外国人教師を中心に地震研究が本格化しました。1885年には、東京気象台に地震計が設置され、全国的に地震の震度観測が開始されました。

 ちなみに、1889年は、2月に大日本帝国憲法が公布され、7月に東海道線が全線開通した年で、被災地・熊本市が市制を引いたのもこの年の4月1日です。まさに、明治熊本地震は、明治期に近代国家としての形を整えた時に起きた地震で、我が国の地震観測体制が形を整えて起きた最初の地震です。このため、本格的に被害調査がされ、おそらくもっとも古い被害写真が撮られた地震でもあります。現在、11枚の写真が国立科学博物館のホームページで公開されています。

 災害はそれぞれ理由があって起きること、災害は波及し複合災害になりやすいこと、そして過去にも同様のことがあったことを忘れずに備えておくこと、の大切さがわかります。

 【Yahoo!天気・災害の「災害カレンダー」用に執筆した記事に加筆・修正を加えてYahoo!ニュース個人に掲出しています。】