南海トラフ地震対策、大震法を見直し、予知から防災・減災へ

最大クラスの南海トラフ巨大地震の震度分布

 今月25日に中央防災会議の作業部会「南海トラフ沿いの地震観測・評価に基づく防災対応検討ワーキンググループ」の最終報告書案が示され、地震の直前予知を前提とした大規模地震対策特別措置法(大震法)の考え方を見直す方針が了承されました。今後、各地で具体的な検討が始まると思いますので、大震法が成立した背景や、見直しの経緯についてまとめておきます。

40年前に指摘された東海地震説

 伊豆半島以西の太平洋沖に広がる南海トラフでは、100~150年に一度程度の間隔でマグニチュード8クラスの巨大地震が繰り返してきました。過去3回の地震の起きかたは、1707年宝永地震のように南海トラフ全体が一度に破壊する地震、1854年安政地震のように東の東海地震と西の南海地震が32時間の時間差で分かれて起きる地震、1944年・46年のように東の震源域の一部の東南海地震と西の南海地震が2年の時間をおいて起きるやや小粒の地震と、多様性があります。

 石橋克彦博士は、1976年に昭和東南海地震では壊れなかった安政東海地震の東側の震源域が空白域になっていると指摘し、駿河湾地震の切迫性を指摘しました(後に東海地震説と呼ばれるようになります)。直前に1974年伊豆半島沖地震が発生していたこともあり、被災が予想される静岡県民の不安は大きかったと思われます。

 この東海地震説を受けて、静岡県の山本敬三郎知事や静岡県選出の原田昇左右議員は、それぞれ地震対策法案の立法化を急ぎました。その中、1978年1月に伊豆大島近海地震が発生し、静岡県民の不安が更に深まります。この状況が当時の福田赳夫首相や桜内義雄国土庁長官の決断を促し、同年6月に大震法が成立することになりました。

大規模地震対策特別措置法

 大規模地震対策特別措置法の目的は第一条に、「大規模な地震による災害から国民の生命、身体及び財産を保護するため、地震防災対策強化地域の指定、地震観測体制の整備その他地震防災体制の整備に関する事項及び地震防災応急対策その他地震防災に関する事項について特別の措置を定めることにより、地震防災対策の強化を図り、もつて社会の秩序の維持と公共の福祉の確保に資することを目的とする。」と記されています。

 具体的には、東海地震の直前予知を前提にした法律で、甚大な被害が生じると予想される地域を地震防災対策強化地域として指定し、地震の発生が切迫する状況になったら、内閣総理大臣が強化地域での様々な社会活動を制約する警戒宣言を発することを定めています。さらに、そのために必要となる地震観測体制の整備や、事前の地震防災体制、警戒宣言発令時の対応なども定めています。

 このように、大震法は、地震の直前予知ができることを前提とした法律で、警戒宣言発令後の緊急的な行動を地震防災強化計画や地震防災応急計画によって予め定めることで、被害を軽減しようと意図しています。

 大震法の成立後、1980年にこの法律に対応して財政措置するため、「地震防災対策強化地域における地震対策緊急整備事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」(地震財特法)が成立しました。この法律の目的は、第一条に「地震防災対策強化地域における地震防災対策の推進を図るため、地方公共団体その他の者が実施する地震対策緊急整備事業に係る経費に対する国の負担又は補助の割合の特例その他国の財政上の特別措置について定めるものとする。」と記されおり、強化地域内の防災対策に対する財政的支援が定められました。

 なお、2001年に行われた想定東海地震の震源域の見直しに伴って、2002年に地震防災対策強化地域が西側に拡大されました。

大震法制定時期における地震予知に関わる状況

 東海地震説が提唱された時期には、1975年に中国の遼寧省で発生した海城地震で、事前の警報による住民避難が人的被害を軽減させたことも含め、地震予知に対する期待感が高まっていました。

 我が国における地震予知の出発点は、3人の地震研究者(坪井忠二、和達清夫、萩原尊礼)が代表を務めた「地震予知計画研究グループ」による報告書「地震予知―現状とその推進計画」(1962年、通称・ブループリント)にさかのぼります。報告書では予知を実現するための具体的な道筋を記述し、その最期に、「地震予知がいつ実用化できるか、すなわち、いつ業務として地震警報が出されるようになるか、については現在では答えられない。しかし、本計画のすべてが今日スタートすれば、10年後にはこの間に十分な信頼性をもつて答えることができるであろう。」と予知実現への見通しが記されています。

 これを受けて、1963年に、文部省の測地学審議会に地震予知部会が設置され、日本学術会議も「地震予知研究の推進について」の勧告を発表しました。

 その直後の1964年に新潟地震が発生し、測地学審議会が「地震予知研究計画の実施について」という建議を提出しました。この地震予知計画は、建議を第1次計画として1998年に終了した第7次計画まで継続されました。その間、1969年に、地震活動情勢を学術的に議論する機関として地震予知連絡会(予知連)が設置され、1970年に9地域を対象に観測強化地域や特定観測地域を指定しました。

 さらに、1974年に科学技術庁が地震予知に関する政策や予算の省庁調整を行う地震予知研究推進連絡会議を設置しました。2年後の1976年には、地震予知をより一層推進するために連絡会議を地震予知推進本部に改組します。また、1977年には、地震予知連絡会の内部組織として東海地域判定会が設置されました。

 このように、大震法が作られた1978年は、学術的にも政策的にも地震予知に対する機運が最も高まっていたときです。このことが、直前予知を前提とした大震法の制定に結びついていったと思われます。

 ちなみに、大震法成立後には、予知連の東海地域判定会は、気象庁の地震防災対策強化地域判定会に引き継がれました。そして、東海地震の震源域の地盤内に体積ひずみ計などの観測装置が設置され、前兆滑りを検知するため、気象庁が24時間態勢で観測を続けています。

阪神淡路大震災と東日本大震災

 1995年に阪神淡路大震災が発生し、地震予知に対する信頼が損なわれ、地震防災対策に重点を置いた「地震防災対策特別措置法」が成立しました。同法に基づいて、同年7月に地震調査研究推進本部(地震本部)が設置され、地震予知推進本部は解消されました。これによって、地震が起きる「時期」「場所」「規模」の3要素を決定論的に予測する地震予知から、将来の地震発生を確率論的に評価する地震予測へと研究の軸足が移りました。地震本部では、活断層や海溝型地震の地震発生確率の長期評価や、確率論的地震動予測地図の公表を行っています。

 東南海地震や南海地震の発生から既に60年程度経過しており、両地震の発生確率も高まったとの判断から、2001年から中央防災会議で東南海地震や南海地震に対する検討が行われました。両地震の震源域は海底下にあり、前兆滑りの観測が困難で、直前予知を前提とした大規模地震対策特別措置法では対応が難しいため、「東南海・南海地震に係る地震防災対策の推進に関する特別措置法」を2002年に制定し、地震防災対策推進地域を指定して地震防災対策推進計画を作って防災対策を推進することになりました。

 さらに、2011年に東日本大震災が発生し、事前に明快な前兆現象を捉えられなかったことや、想定を越えるマグニチュード9.0の地震になって甚大な被害を出したことなどを踏まえて、南海トラフ地震対策についての再検討が行われました。そして、被害想定で示された甚大な被害を軽減するために、「南海トラフ地震に係る地震防災対策の推進に関する特別措置法」が2013年に制定されました。さらに、2014年には、国としての大規模地震対策を「大規模地震防災・減災対策大綱」としてまとめ、7つの具体的な施策として、事前防災、災害応急対策、被災地内外における混乱の防止、様々な地域課題への対応、特に憂慮すべき二次災害・複合災害への対応、本格的復旧・復興、対策の効果的な推進を挙げています。

これからの南海トラフ地震対策

 このように、阪神淡路大震災と東日本大震災を経て、様々な法整備や観測研究が進捗し、結果として、大震法そのものが矛盾を抱えることになってきました。地震学会をはじめ、決定論的な地震予知は「現時点では非常に困難」との見解も示され、国も、2013年に「確度の高い予測は難しい」との報告をまとめ、今回の検討でも「警戒宣言が前提とする確度の高い予測はできない」と判断しました。

 この結果、予知を前提にした大震法など、現行の防災対応を見直すことが必要になってきました。一方で、確度の高い予知はできないものの、南海トラフ全域にわったて観測網が整備されたおかげで、様々な異常を検知できるようになり、不確実な情報でも、災害軽減対策に活用できる可能性も考えられます。

 そこで、今後は、不確かな観測情報を活用しつつ、地域や社会の態様に応じて災害被害を軽減する方策を考えていくことが必要になります。その際には、情報の確度と社会の受忍限度との狭間で合意形成をしていくことになります。被災地域の方々は、ぜひ当事者意識を持って、議論に加わっていただければと思います。