建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。
記事一覧
- 火山の崩落が大津波を起こし、15000人の命を奪った島原大変肥後迷惑から230年
トンガでの火山噴火による津波から4か月が経ちますが、日本でも230年前の5月21日に島原大変肥後迷惑がありました。雲仙岳の眉山が崩落して、有明海に大量の土砂が流れ込み、大津波が起きました。
- 火災対策を抜本的に変えた、史上最悪の大阪ミナミの千日デパートビル火災から50年
50年前の母の日の前日、1972年5月13日に大阪の千日デパートで史上最悪のビル火災があり、最上階の風俗店で118人もの死者が出ました。この火災をきっかけに日本のビル火災対策が抜本的に改められました。
- 震度7の揺れが2度襲った熊本地震から6年、望まれる耐震化
2016年4月14日と16日に震度7の揺れが2度襲った熊本では、その後も阿蘇山噴火や熊本豪雨が起きました。多くの建物が倒壊し大規模土砂崩れもありましたが、熊本城天守や新阿蘇大橋など復旧しつつあります。
- 明治以降に3度も焼失した銀座、150年前の大火で煉瓦街が生まれ日本一の繁華街に
150年前に大火で焼失した銀座は、近代化のシンボルとして、道が拡幅され、西洋風の煉瓦街に生まれ変わりました。その後も、関東大震災、東京空襲で焼失しましたが、見事に復興し、日本一の繁華街になりました。
- 明治になって最初の大地震・浜田地震から150年、西日本内陸地震に備えを
明治になって最初の大地震・浜田地震(島根県)から150年が経ちます。1872年は、太陽暦、富岡製糸場や新橋・横浜間の鉄道開通、東京銀座の赤煉瓦街など、近代化のために様々なことが始まった年です。
- 東日本大震災から11年 経済界が動き出した 商工会議所が地域レジリエンスの核に
東日本大震災から11年が経ち、経済界も本格的に災害対策を始めるようです。商工会議所が核になって地域の防災・減災対策を推進し、レジリエントで豊かな地域経済社会を作ろうとする試みが発表されました。
- 十勝沖地震から70年、心配な日本海溝・千島海溝沿いの地震、津波と共に流氷も襲う可能性
70年前の1952年3月4日に十勝沖地震が発生しました。千島海溝沿いでは、根室沖、色丹島沖、択捉島沖などで繰り返し巨大地震が起きており、東北地方太平洋沖地震のような超巨大地震の発生も懸念されています。
- 耐震のはなし 日本の耐震基準は命を守る最低基準、生活や生業はどうなる?
私たちが生活したり働いたりする建物は地震に対して本当に安全なのでしょうか。耐震基準を定める建築基準法には、最低基準と明快に書いてあります。命は守ることはできても、生活や生業はどうなるでしょう。
- 連日発生したホテルニュージャパン火災と日航羽田沖墜落事故から40年 今も生きる教訓
40年前の1982年2月8日と翌9日に、大規模ホテル火災と日航機墜落事故がありました。防火・消火設備の不備や、精神疾患を抱えた中での操縦などが社会問題となり、その後の安全対策に大きな影響を与えました。
- 耐震のはなし 沖縄返還と地震地域係数、南海トラフ地震防災対策推進地域の四国や沖縄の地震危険度の低減
沖縄返還から5月で50年を迎えます。アメリカ統治下、なぜか、沖縄の建物の耐震設計では、日本の半分の地震力しか考えていませんでした。日本に返還された後、いきなり倍にできず、暫くして7割にしたようです。
- 日向灘でM6.6の地震 南海トラフ地震臨時情報の周知と長周期緊急地震速報の早期導入を!
日向灘でM6.6の地震が起きました。南海トラフ地震の想定震源域での地震でビックリしましたが、Mがもう少し大きければ南海トラフ地震臨時情報(調査中)や臨時情報(巨大地震注意)が発表されたかもしれません。
- 阪神・淡路大震災から27年、盲点は繁華街のビルの耐震化 3大都市の現状を見る
阪神・淡路大震災から27年が経ちます。この間、住宅や公共施設の耐震化は進みましたが、昼間の仕事場のビルや工場の耐震化はほとんど進んでいません。民間企業が保有する建物の耐震化は喫緊の課題です。
- 東南海地震の37日後に起きた三河地震から77年、今起きたらどうなるか
三河地震から77年を迎えます。東南海地震の37日後に起きた直下地震で、活断層が動いた誘発地震です。現在だと、南海トラフ地震臨時情報の特別対応が解除された後、被災地を震度7の揺れが襲うことになります。
- 2022年に周年を迎える災禍、事故や災害が多発、大地震にも変わらず備えを
新たな年が明けました。今年、周年を迎える災禍を振り返ってみます。近年は火災や事故が多発しており、事故対策に活かされています。一方で、主要な活断層が動いた地震から時間が経過しており、今後が心配です。
- 南海地震から75年の日に、北海道・東北の津波被害想定公表 最悪の場合、東日本大震災の10倍
12月21日、南海地震から75年を迎えた日に、岩手県以北の太平洋側での日本海溝・千島海溝地震による被害想定結果が発表されました。被害は、最悪東日本大震災の被害の10倍にも及ぶものでした。なぜでしょう。
- 77年前、東南海地震6日後に名古屋空襲と猛獣射殺。今、地震が起きたら社会はどうなる?
77年前、東南海地震の6日後の1944年12月13日、米軍が名古屋の発動機工場を大規模空襲しました。東山動物園では猛獣が射殺されました。今、東南海地震が起きたら地震の1週間後、社会はどうなるでしょう。
- ドキッとした先週の地震、明日12月7日は東南海地震から77年
先週12月3日、南海トラフ地震の震源域周辺でM5クラスの地震が続発しました。明日12月7日、東南海地震から77年を迎えます。オミクロン株の蔓延が懸念される中、今、東南海地震が起きたらどうなるでしょう。
- 世界一危険と評された東京の災害危険度を考える(その3)エクスポージャ(一極集中の怖さ)
都市圏人口が世界一の首都圏は、「世界一危険な都市」とされました。理由は、余りに多くの人と物が集まっており、被災したら受援と支援のバランスが崩れてしまうからです。東京の異常な集中度について考えてみます。
- 世界一危険と評された東京の災害危険度を考える(その2)バルネラビリティ(脆弱性)
「世界一危険な都市」と評価された東京ですが、危険とされた理由の一つは、まち、人、物の脆弱性にあります。効率優先で相互依存度が高いこと、経済優先で防災投資が不足していることなどが原因だと感じます。
- 世界一危険と評された東京の災害危険度を考える(その1)ハザード
東京は、再保険会社スイス・リーによって「世界一危険な都市」と評価されました。そんな東京に多くの人と物が集まっており、甚大な災害被害が懸念されます。なぜ東京は危険なのか、ハザードから考えてみます。
- 新型コロナ禍や千葉県北西部の地震を教訓に東京を小さくしませんか
コロナ禍や千葉県北西部の地震で、密集する首都の危うさを感じた人は多いと思います。テレワークも普及し、オリパラも無事終わりましたから、そろそろ東京一極集中の是正に本気で取り組んではどうでしょうか。
- 死者7273人 観測史上最大の内陸地震・濃尾地震から130年
1891年10月28日に起きた濃尾地震から今月で130年を迎えます。日本で起きた内陸直下の地震としては、観測史上最大の地震です。近代国家の形を整えたときの大地震で、後世に様々な教訓を残しました。
- 繰り返す千葉県北西部の地震、これまでと比べ首都圏の被害に変化はあったのか?
千葉県北西部でM5.9の地震が起きました。過去、同じ場所で繰り返し地震が起きています。過去の地震と比べ、首都圏の被害はどう変わったのか。現代都市を点検し、首都直下地震に備えたいと思います。
- WTCビル崩壊から20年 命を守る建築構造の基本とは
アメリカ同時多発テロから20年を迎えます。世界を代表する超高層ビルWTCの倒壊映像は衝撃的でした。旅客機の衝突から1時間耐えたビル、救われた命も多くあります。建築構造の基本について考えてみます。
- 関東地震から98年、寺田寅彦の「震災日記より」を読む
大正関東地震から98年を迎えます。物理学の泰斗だった寺田寅彦が残した「震災日記より」から、そのときの東京の様子を学んでみたいと思います。多くの随筆を残した寅彦の文章には様々な教訓が示されています。