川崎殺傷事件から1年 「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えて あれから社会は変わったか

川崎殺傷事件直後、現場で手を合わせる児童(写真:ロイター/アフロ)

川崎殺傷事件から1年

私立カリタス小学校の関係者が無差別殺傷される事件が発生してから1年が経過した。

今も事件の後遺症に苦しむ方にお見舞い申し上げ、ご遺族の方にも改めて哀悼の意を表明したい。

川崎市多摩区の登戸駅近くの路上で、スクールバスを待っていた私立カリタス小学校(同区)の児童ら20人が殺傷された事件は28日、発生から1年を迎えた。

事件の起きた時刻に合わせ、同校の内藤貞子校長や倭文(しとり)覚(さとる)教頭ら学校関係者8人が現場を訪れ、犠牲者に祈りをささげたほか、市民らが献花に訪れた。

東京都内で小学校教諭を務める石黒重信さん(54)=同区=は現場で手を合わせ、「地域に住む大人として、二度とこのようなことを起こさない社会にしていきたい」と誓いを新たにしていた。

また、1人娘を持つ主婦竹島美佐子さん(74)=同区=は、自分の畑で育てた花を現場に手向けた。「亡くなった本人もかわいそうだが、親御さんのことを思うとつらい」と語った。

同日、多摩署は事件発生時刻に合わせ署員が黙とうをささげた。その後、臨時の登校日となっている区内の小学校3校で児童の見守り活動を実施した。

出典:【登戸児童殺傷1年】「二度と起こさぬ社会に」 学校関係者や市民、現場で祈り 5月28日 神奈川新聞

絶対にあってはならない事件であり、社会は二度とこのような犯行を起こさせてはならない。

私も事件後の週末である2019年6月2日に現場を訪問させていただき、被害者のご冥福を祈念させていただいた。

掲載した写真にもある通り、当時は花や供物、来訪者が後を絶たず、事件関係者との交流でも胸が締め付けられる想いを持った。

被疑者は近隣に住む人であり、様々な生活課題を抱えていた様子が後の報道などでも伝えられた。

被疑者自身、無差別殺傷事件を起こした直後に、現場で命を絶ったため、動機など全容は解明不可能だが、社会への攻撃性が強くうかがわれる犯行だった。

「死にたいなら一人で死ぬべき」論争からも1年

事件のあまりの凄惨さに発生直後から、被疑者への非難が殺到した。

被疑者が現場で自死を図ったことが判明すると「死にたいなら一人で死ぬべき」という論調がインターネット上に溢れた。

私はその論調に当初より危機感を有し、以下の記事を配信して、過度な被疑者非難は一旦抑えてほしい旨を伝えさせていただいた。

川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい

大前提として、私たちの社会はお互いの助け合いによって保たれている。

強い非難をしたい気持ちはわかるが、誰かを突き放し排斥するような言説が広がることは看過できなかった。

さらに、被疑者にひきこもり経験があることが報じられ始めると、事件が事件を誘発するように、親がひきこもり当事者を殺害する痛ましい事件まで生まれた。

何度も強調しておきたいことは、ひきこもり当事者は危険人物でも犯罪者予備軍でもないので、差別感情を有しないようにお願いしたい

殺されても仕方がない人間はいないー元農水事務次官の長男殺害事件を受けてー

事件発生から1年後の現在、日本では新型コロナウイルス感染が小康状態となり、社会経済活動が一部で再開されている。

しかし、同時にご承知の通り、大量の倒産、解雇・雇い止めが発生しており、今後も断続的に発生する見通しだ。

多くの人が、仕事、収入、居場所、生きがいややりがい、尊厳や誇り、夢や希望、あるいは家族や人間関係さえ失う事態も発生しやすい環境である。

それを象徴するように「死にたいほど辛い」という生活相談、労働相談も増えている状態だ。

具体的には、5月末の家賃や各種支払いを控えており、その支払いに困難が生じる「5月危機」も発生している。

この「死にたいほど辛い」という訴えに対して、政府もその辛苦を和らげようと各種政策や支援策を実施している。

国や社会が苦しい人を助けるべきで、手を差し伸べるべきだということは、言うまでもないことだろう。

この苦しさに寄り添えるかどうか、国も社会も私たちも問われている

新型コロナウイルス感染による経済的損失、精神的ダメージは非常にわかりやすいし、共感も得られやすい。

政策を総動員する理由として、支持も得られやすいだろう。

川崎殺傷事件からの教訓「二度と事件を起こさないために」

そうしたなか、もう一度、川崎殺傷事件を振り返ってほしいのである。

何度も繰り返すが、被疑者のおこなった犯行は絶対に容認すべきものではない。

いかなる理由であれ、人を殺傷することは許されない。

その上で、被疑者の立場から再度、社会を見てみることで、別の視座が得られるのではないか。

ここで被疑者の苦しみには社会が向き合っただろうか、という問いが生まれる。

被疑者も失業状態であり、社会に居場所がなかったことも報じられている。

自分自身を理解してくれる人が社会にいない、という孤立感を長年持っていたかもしれない。

その状態がいかに苦しいか想像を絶する。

自分が困っているときに、政府や自治体が何もしてくれないし、社会や周囲は非難するだけであれば、心を開いて相談し、人を頼ろうと思えるだろうか。

誰でも人を殺傷することが絶対にいけないことだと理解している。

しかし、それでも「こんな社会を壊してやりたい。誰かを攻撃して一緒に死んでやる。」と自暴自棄にさせてしまったものは何だっただろうか

私は新型コロナウイルスによる経済危機から、被疑者のような人物が再度生まれないと言い切れない。

なぜなら、被疑者など「要支援者」に手を差し伸べることが極めて下手な社会だからだ。

ましてや問題行動、逸脱行動が見られれば「死にたいなら一人で死ね」とワイドショーなどメディアで、ほぼ全員が叫ぶ社会である。

この恐ろしさを日頃から痛感している。

私は社会福祉が専門だから、自暴自棄になる理由があることを知っている。

問題行動をとった当事者、多くから非難される行動をした当事者も、本当は助けてほしくて、もがき苦しんでいる当事者ばかりである。

そのような当事者を排斥して犯罪者にするのか、社会が包摂していくのか、私たちの言動が試され続けているのではないだろうか。