本田圭佑選手の「政府も全員を救うことは出来ない」は危険なウソ

「政府も全員を救うことは出来ない」とTwitterで発信した本田圭佑選手(写真:ロイター/アフロ)

本田圭佑選手の「政府も全員を救うことは出来ない」

サッカー日本代表でも活躍した著名な本田圭佑選手が4月9日にTwitterを更新した。

「政府も全員を救うことは出来ない。優先順位の高いもんを政府が助けて、低いもんを国民同士で助けられるかどうか。」という。

これにはさすがに社会福祉学の立場から異議を申し上げておきたい。

どの水準で救うのかは議論があるが国家責任の原理は忘れてはいけない

実態はそうなっていないので日本国憲法25条を持ち出すことにも違和感はあるが、社会福祉を国が提供する責務を規定している最高法規は日本国憲法である。

まず社会福祉学を専攻する大学1年生は以下の条文に触れる。

日本国憲法 第二十五条

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

その上で、具体的にどのような程度や水準で国民を救うべきか、検討を重ね、実際に支援をおこなっている。

まず確認しておかなければならないのは「国は国民全員に健康で文化的な最低限の生活を保障しなければならない」ということ。

本田圭佑選手がどう言おうが、国には国民全員を救う責務がある。

当然ながら、憲法25条を具現化した生活保護法の目的にも第1条に「日本国憲法第25条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長すること」と規定されている。

繰り返すが、国・政府は全ての国民を困窮した場合、救うこととしているのである。

いわゆる公助領域として確立している福祉の原理思想でもある。

もちろん、本田圭佑選手はTwitterで以下のように追記しているように、主権者たちが構築した国・政府が優先順位を低いものとして扱う領域もある。そこには公助とは別に共助でどう支えるか、という議論も実践もある。

私も共助として、人々が相互に支え合い、公助を補うことは否定しない。

実際には子ども食堂など、やらないよりはやった方がいい活動は公助ではなく、共助で支える活動である。

これらは自由にそれぞれが考えて展開すればいいだけで、国家責任の議論と全く論点が違うものだ。

しかし、共助の福祉実践を重ねる中で、国や政府の不備や政策の欠陥を指摘しなければ、いつまでも人々の暮らしはよくならない。

要するに、政府に文句も言う、そして現場で支援活動もする、と言うのが福祉実践家(ソーシャルワーカー)の正しい姿である。

今は緊急事態であれ、通常と変わらず、政府が国家責任による保護を追求していく必要がある場面である。

これを安易に放棄させるようなこと、放棄させてもよいかのように受け取られること、をいうべきではないだろう。

そもそも、日本は経済大国3位の先進国だと喧伝している。

以前よりは経済成長率は落ち込み、課題も山積しているが、全体で見れば富は十分にある。

先人から引き継がれてきた自然環境も豊かであり、農林水産資源も豊富にある。

食料事情、市民の生活状況は政治でいくらでも改善することも可能だ。

つまり、政府や国はその富の配分に関わり、国民を救うことは十分できる力、権限を有している

問題は主権者が政治や行政を使い、それをさせるか、させないか、だ。

これ以上は政治の問題なので、どのようなシステムに支持を表明するかは、私たち市民が主体的に考えなければならないだろう。

賢明な本田圭佑選手とは、安易な自己責任論、政府の責任放棄に至らないように、一緒に社会福祉を語りたいものだ。