国土交通大臣政務官「感染拡大を国のせいにしないでくださいね」感染拡大は国のせい?国のせいじゃない?

感染拡大を止めるために営業自粛する店舗(写真:アフロ)

国土交通大臣政務官「感染拡大を国のせいにしないでくださいね」

佐々木紀(はじめ)国土交通大臣政務官のTwitterが波紋を広げている。

昨夜は「国は自粛要請しています。感染拡大を国の責任にしないでくださいね。」と自粛要請に応じず、外出する市民に関するニュースへの感想を投稿した。

4月5日午前10時現在は、投稿を削除し、修正する形で、「国は自粛要請しています。感染拡大を国だけの責任にしないでくださいね。でも、自粛を求めるなら補償とセットでないといけません。しっかり取り組みます!」となっている。

その後、投稿が不適切であったことを認められている。

現在は、感染拡大を国のせいにしないでください、から感染拡大を国「だけ」の責任にしないでくださいね、とトーンダウンしている。

果たして、感染拡大は国のせいなのだろうか。それとも自粛要請に応じない市民のせいだというのだろうか。

少なくとも、どのように感染拡大が広がらないようにするのか、責任を持って検討する立場であるのが国会議員である。

また、国土交通大臣政務官は、市民の住宅や交通インフラなどをどうするか、今後も重要な役割を果たすポジションにある人だ。

4月2日にも賃貸住宅関係団体、不動産関連団体に対して、新型コロナウイルス感染症に係る対応について(依頼)を通知し、生活困窮する居住者への配慮や支援を依頼している。

このように人々の命を左右しかねない重大な役割を担っている

まず感染拡大の結果は、国の責任が大きいと受け止めてほしいし、自粛要請が機能しない仕組みや発言力、信頼不足の意味など、政務官が自分自身で検討しなければならないことは間違いないだろう。

感染拡大について、全てが国の責任だとは言わないが、ここまで拡大し、対策が後手後手に回っているのであれば、結果責任は問われなければならないだろう。

しかしながら、現在は感染拡大が誰のせいか、を議論している場合ではない

早急に、国は国、市民は市民、企業は企業として、それぞれが人々を守るために、できることをしていく他はないだろう。

100%何かのせい、ということは基本的に存在しない。何かの事象が起こった際には様々な要因が複雑に絡み合っているからだ。

これ以上、新型コロナウイルスの感染拡大を広げるわけにはいかない。

海外の事例のように、これ以上の患者が継続して発生するならば、助かる命も助からない事例が相次いでいくこととなるし、適切な入院加療が受けられない可能性が高い。

外出を控えるべきだし、他者を危険に晒さないように、細心の配慮は全ての人に必要である。

日本国憲法25条の国家責任による生活保障

しかし、その一方で、感染拡大によって市民生活が過度に困窮することがあってはならない

現在も外出自粛や営業自粛を求めているが、それによって困窮しないように、対策することは明らかに国家責任でやるべきことだ。

日本国憲法25条では「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定している。

資本主義社会では多くの人々が労働をして(労働力を企業に売却して)生活費を得ていくが、当然に様々な事情で人々は困窮することがある。

だから、国家責任として市民生活を支えるために、社会福祉、社会保障を増進しなければならないと規定している。

これは生活保護法など既存の仕組みがあるからよい、と言うことにはならず、市民の福利の向上及び増進に常に努めなければならないことを規定する。

専門的にはどこまで国家は責任を負うのか、その範囲はどこまでなのか、という議論が今も研究者の間で続いているが、市民生活を支える上で、国家責任があることは言うまでもない

外出自粛要請や営業自粛要請をしても、市民が応じてくれない理由は明らかである。

社会福祉、社会保障があまりにも脆弱で、少しでも収入が減れば、途端に生活に困難をきたす世帯が膨大に存在しているためだ。

上級国民には見えないかもしれないが、毎日貯蓄の余裕もなく懸命に働いている市民は多いし、数日休むだけで様々な支払いに追われてしまう人々がいる。

これは日常的に社会福祉、社会保障を整備してこなかった国の責任と言わざるを得ない事態だ。

もう一点は政府や政治家の言葉への信頼の足りなさである。

国土交通大臣政務官を含む国会議員は市民が民主的な選挙で送り出した代表であると言われている。

それら国会議員は市民の生活に寄り添っているだろうか

常日頃から様々な声に耳を傾けて信頼を得ていれば「あの人が言うのだから今は我慢しよう」と行動抑制に歯止めが効くはずである。

国会議員に法律や制度を変える力はあっても、それらの力では人々の行動は抑えきれない。

発言力や影響力がないのであれば、それこそ国に関わる人々の言動の責任と言える。

これからも何が国の責任か、をめぐって責任逃れのような発言は続いていくし、それを擁護する意見も聞かれるようになるだろう。

その際には、落ち着いて国の責任は何か、国は何をするべきなのか、を考えて批評してほしい。

少なくとも、市民が健康で文化的な生活ができない場合、それを支援する責任は国にあることは強調しておきたい。

外出自粛や営業自粛を求めて、市民が生活困窮するならば、その生活保障は国がしなければならない、と言うことは絶対に揺るがしてはならない原理である。

これからも国家責任の果たし方を市民は目の当たりにしていくと思うが、ぜひ主体的で率直な意見を国に寄せてほしい。