8月を迎えるたびに語られる軽薄な「尊い命」への違和感と今やるべきこと

毎年開かれる全国戦没者追悼式(写真:アフロ)

繰り返される「尊い命」

また暑い8月である。

戦争の記憶が薄れつつあり、僕を含む多くの市民も戦争体験を持っていない。

戦争の苦しさや辛さをイメージすること自体、難しい市民もいることだろう。

戦争、武装に関するきな臭い言葉も一部の政治家から平然と聴かれるようになってきた。

そのようななか、原子爆弾の投下や空襲、太平洋戦争の敗戦の記憶がよみがえり、未体験の人々でも「戦争」を追体験できる8月は特殊である。

太平洋戦争の敗戦後、この光景は毎年繰り返されてきた。

一方で、戦争を経験していない世代が主流になるにつれて、追悼集会など戦争関連行事において語られる「尊い命」という言葉の軽さにも違和感を有してきた。

僕の祖母は幼少期に戦争を体験している。

防空壕に逃げたこと、近くの街が空襲で焼けたこと、親戚や友人が多数犠牲になったこと、「死」が身近であったこと、食糧難に苦しんだこと、他者との助け合いの大事さなどを幼少期に語ってくれたこともある。

とにかく生きることに必死だった。

戦争経験者の言葉は非常に重い。戦争経験者にしか紡ぎだせない言葉や雰囲気があるからだ。

祖母に限らず、もう少なくなった人が語る「尊い命」というその言葉に僕は圧倒されてきた。

もちろん8月の行事で語る政治家や未体験の人々が語るものではない「尊い命」という言葉である。

真に戦争を風化させないためにー「尊い命」を理念やキレイごとに終わらせないために

戦争経験者は戦争を経て何を望んだのだろうか。その意志は社会に根付いているだろうか。

「尊い命」という言葉が軽薄さを増し、弄ばれ、劣化させられていくにしたがって、改めて考えておきたいことだ。

現実社会では人々の命は果たして「尊い命」と言えるだろうか

自殺対策白書(厚生労働省2018)
自殺対策白書(厚生労働省2018)

例えば、日本の若者世代の自殺は深刻な状況にある。

15歳~39歳の各年代の死因の第1位は「自殺」だ。

厚生労働省も「こうした状況は国際的に見ても深刻であり、15~34歳の若い世代で死因の第1位が自殺となっているのは先進国では日本のみ」だと警鐘を鳴らしている。

自殺対策白書では、フランス・ドイツ・カナダ・米国・英国・イタリアの6か国のデータとの比較も掲載しているが、その自殺の死亡率(人口10万人あたりの死亡者数)は、ドイツで7.7、米国で13.3、英国で6.6である。これらと比較しても、日本は17.8と極めて高い水準にある。

あれほど生きたいと願い、それすら許されなかった戦争犠牲者。

その声を知っている戦争経験者の想いは現代社会において、どれほど活かされているのだろうか。

日本社会は生きること自体が苦しく、自ら命を絶つまで追い詰められた人々が異常に多い。

若年層に限らず、他の世代でも自殺は多く、一時期より減ったとはいえ、年間約2万人を超える人々が自ら命を絶っている

年間2万人である。

現在、内戦や紛争をしている国でも年間2万人が犠牲になることは珍しい

毎年、地方の市町村がまるごとなくなるほど、深刻で異常な数である。

戦時下ではないか、と思わされるほど、今の日本社会の破滅ぶりが理解できるのではないか。

「尊い命」が虚しく響く日本社会であるとまざまざと実感させられている。

他にも2016年には相模原障害者無差別殺傷事件が起こった。

優生思想に基づき、ナチス・ドイツ、旧日本軍がどのような蛮行に至ったのか思い出したい。

この事件の不気味さ、被告の思想や言動、犯行を生んだ社会の異常さにも気づけるはずだ。

戦後日本社会には、引揚者に限らず、国内にも大量の傷痍軍人、負傷者、身体障害者が存在した。

どのような状態になっても、人間らしい暮らしを営むべきだと社会福祉や社会保障の発展に寄与してくれたのは、戦争経験をした障害者たちだった。

生きていれば傷病や加齢にともない、誰でも障害が発生する。

そのようななか、生きることを支える社会福祉の発展に大きく寄与してきたのは障害者だった。

その存在自体を否定する行為が2016年に発生している。

さらに、戦時中の飢餓や餓死、戦後の食糧不足の体験から、生活困窮や貧困をあってはならないものだとして、社会権保障を進めたのも戦争経験者だ。生活保護法や各種社会保険、社会保障にその理念は引き継がれている。

しかし、現在も日本には大量に自分を「尊い命」だと実感することが困難な人々がいる。

日本は相対的貧困率が高く、生活困窮者が多く存在する。

働いても賃金が少ないワーキングプア、シングルマザー、子どもの貧困、高齢者の貧困(下流老人現象)など枚挙に暇がない。

むしろ、各種社会保障制度はその意義自体が問われ始めており、支給範囲・支給対象の縮小を続けている。

敗戦後に生き残った人々が平和を願いながら作ろうとしてきた社会とは、このような悲惨で凄惨な光景が広がる野蛮なものだったのだろうか。

僕たちは道半ばであることを痛感せざるを得ない。形式的に「尊い命」をいくら叫んでも実現はしない

形式的に語られる「尊い命」という言葉ではなく、真に「尊い命」を尊重するために、どうしていったらいいのか一緒に考える機会にすることこそ、8月を何度も迎える次の世代に重要なことである。

戦争はしてはいけない、戦争は怖いものである、という認識を確認することも大事だが、積極的に現代社会と結びつけて、社会のあり様を考えていく時期にしたいものだ。