医療費コスト削減のもとで行われる命の選別を許してはいけない

医師による医療中断死(写真:アフロ)

人工透析患者が次々と死亡した事件

東京・福生市の病院で、人工透析の治療をやめた40代女性が死亡した。

報道によれば、昨年8月、腎臓病を患う女性に対して、同病院は治療継続と治療中止の2つの選択肢を提示した。

女性はいったん治療をやめることを決めたが、その後、透析再開を願い出た。しかし、同月中に死亡した。

さらにこの病院では、2015年4月~2018年3月まで、透析治療のために同病院を訪れた腎臓病患者149人のうち、20人前後が担当医と相談したうえで透析開始を選択せず、その全員が死亡している可能性があるという。

この病院でなぜ「死の選択肢」を提示することになったのか、その理由はわからない。

事件の詳細はこれからの調査によって明らかにされるのを待たなければならないだろう。

しかしながら、医師によって「死の選択肢」が提示され、人命が失われたことは事実である。

僕は「財政再建」を声高に叫び、医療費削減の文脈のなかで「命を選別」するような言説が広がっていることに、強烈な危惧を抱いている。

過去にはナチス・ドイツが「コスト」がかかることを理由に、「国家のため」といった大義名分を掲げながら、障害者や傷病者の命を選別して奪ってきたという歴史的な事実がある。

こうしたおぞましい思想がこの事件の背景にもある。

歴史の針を巻き戻す愚を犯さないために、こうした思想を徹底的に批判しなければならないだろう。

「透析患者が日本を亡ぼす」と叫ぶ長谷川豊氏

このような優生思想において、もっともおぞましい言説は、日本維新の会の公認のもと、今年の参議院議員選挙にも出馬する予定になっている元フジテレビアナウンサーの長谷川豊氏のブログであろう。

彼は2016年『自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!』という不気味なタイトルのブログを投稿した。

このブログは各方面から批判が寄せられ、現在では削除されている。

しかし、ブログのタイトルを『医者の言うことを何年も無視し続けて自業自得で人工透析になった患者の費用まで全額国負担でなければいけないのか?今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!』に変更し、その主張は自身のブログに掲載したままだ。

その主張はきわめていい加減である。

透析患者を「先天的・遺伝的な理由による患者」と「自堕落の患者」に分け、後者が透析患者になったのは自己責任だから全額自己負担にすべきであるというものだ。

言うまでもなく、人工透析を受けるに至った透析患者を自己責任で説明しようとする態度は、偏見と差別にまみれている。

長谷川氏がこうした主張をする背景には、「健康保険制度と年金をすべて解体すべき」という思想がある。

まさにコストの高い透析患者は、「財政再建」のもとに死ぬべきだと考えているということであろう。

人の命にランク付けをして「死ぬべき人間」を設定することは、優生思想そのものであり、きわめて危険な発想である。

終末期医療が医療費を圧迫している?

さらに2019年1月の『文學界』に掲載された古市憲寿氏と落合陽一氏の対談「もうすぐ平成が終わる。次に来るのは、どんな時代?」でも、同様の思想が読み取れる。

文學界の落合、古市対談
文學界の落合、古市対談

財政破綻を前提に、古市氏が「金がかかっているのは終末期医療、特に最後の1カ月。だから、高齢者に「10年早く死んでくれ」と言うわけじゃなくて、「最後の1カ月間の延命治療はやめませんか?」と提案すればいい。」と発言。

これに対して落合氏は「終末期医療の延命治療を保険適用外にするだけで話が終わるような気もするんですけどね」などと命を値踏みするようなやりとりが掲載された。

二木立・日本福祉大学名誉教授によれば、そもそも終末期医療は医療費全体の2~3%を占めるにすぎない。

それにもかかわらず、古市氏の発言にはあたかも莫大な医療費がかかると誤解させるような事実誤認がある。

長谷川氏よりは「穏当」な表現かもしれないが、同様の論理がここでも読み取れる。

「財政再建」のために生命に序列がつけられ、命が値踏みされている。

「安楽死」を実現したい政治家たち

言論人だけではなく政治家にも蔓延している。

例えば、自民党の石原伸晃氏は、過去に胃ろうを増設している患者が入院している施設を訪れて「エイリアンみたいだ」と述べた。

また、麻生太郎氏は、社会保障制度改革国民会議で「いいかげんに死にたいと思っても『生きられますから』なんて生かされたんじゃかなわない。しかも、政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと」と述べた。

こうした思想をもった政治家たちが現に存在し、実際に、2012年には2つの尊厳死法案が公表されている。

これらは国会にいつでも上程できる状態にある法案だ。

「財政再建」といった「大義名分」のもとに、命が選別されていく危険は決して杞憂とは言えない。

命を選別してはいけない

医療費コストを削減しようという文脈のもとで、自己責任か否か、お金があるか否か、労働生産性があるか否かなど、さまざまな選別の基準が持ちこまれ、命に序列がつけられるようになっている。

ナチス・ドイツの例に見られるように、このような発想は、ジェノサイドへと結びつく危険がある。

事実として、日本では、相模原障害者施設で多くの人びとの命が奪われるという事件が起きている。

「障害者は社会のコスト」だという思想が、犯人の動機となっていたことを思い出さなければならない。

次はあなたか、あなたの愛する家族、親しい友人、大好きな人たちが対象かもしれないと考えてみてほしい。

過去の過ちを繰り返してはいけない

わたしたちは過去から学び、同じような悲劇が二度と繰り返されないよう努力していかなければならない。

どのような命にも尊厳や自由意思によって生きる権利があるということを改めて確認しておく必要があるだろう。