「月に行くなら社員の給料を増やせ」は的外れ、というのも的外れー企業に対する労働者の要求は自由であるー

月旅行に関する前澤社長の会見(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

(株)ZOZO前澤社長は月に行く金があるなら社員にお金を出せ、は的外れ!?

これまでにZOZOTOWNの非正社員比率は67%ー派遣や非正社員に過度に依存する企業体質からの脱却をーなどの記事を配信しながら、利益が出ている企業こそ、背景にある低賃金労働者、派遣労働者の処遇改善を先行させるべきではないか、という論評を伝えてきた。

もちろん、賛否両論はあるにしても、それに賛意を示してくれている方がSNS上にも多い。

それに対して前澤社長の「月旅行」批判する人に欠けた視点「月に行くなら社員の給料を増やせ」は的外れという意見もある。

ざっくり言えば、前澤社長が月旅行に行くお金は個人のものであり、株式市場が彼に与えた資金であるという。

(株)ZOZOには少ない資産しかなく、株式市場が多くの期待を込めて生んだ富だそうだ。

さらに、個人資産なのだから何に利用しても構わないし、そんなものは個人の自由だろうともいえる。

ただ、ここでもう一度確認しておきたいが、企業は労働者が生産活動をおこなうことで富が生み出される

生産に必要な資本は経営者が投資をして揃えているが、それを利用して生産しているのは労働者である。

その企業活動に対する評価は、株価などに反映されるわけだから、その企業の高評価を支えているのは労働者でもある。

その労働者が豊かになれていない場合には、そちらの改善をする方が経営者としては先なのではないか、という主張を繰り返し行ってきた。

ましてや雇用形態の大多数が派遣労働者などの非正規雇用者の生産活動によって生み出された富である。

そして、これだけの株主配当が出せるのであれば、前澤社長などの株主のところへ分配する以前に、派遣労働者を直接雇用にすることも可能であるし、正社員登用をより多く進めることも可能であろう。

現代の日本社会は非正規雇用に頼り、その低賃金労働者がどのような実態になっているかはZOZOTOWNが象徴する日本の低賃金労働ー個別の労働問題から産業全体の働きやすい仕組みづくりへーで示してきた。

労働者に払われる賃金が増えなければ、日本社会は絶対によくならないことは平成期を振り返れば理解できるだろう。

特に、非正規雇用は生存すらも危ぶまれるワーキングプア状態に陥っている事例も珍しくない。

 

労働者の要求は自由であり、自由な要求から様々な制度や労働環境改善が生まれる

このようなことを背景にして、労働者が企業や経営者に要求する行為の意味を考えてみたい。

まず「前澤社長は月に行くお金があるなら給料を上げろ」という要求は荒唐無稽で暴論なのだろうか。

このところ、前澤社長がお年玉として個人資産を見ず知らずの100人に100万円ずつ配布したことが話題になった。

さらに難病の子どもに対する寄付行為もおこない、賛否両論を巻き起こしても救済活動を実施した。

いずれも彼の個人資産であるという。

本来は(株)ZOZOが給与として労働者に分配するのが基本であるが、彼の個人資産を労働者に贈与することも何ら問題はない。

なぜ先行して労働者に対する分配がないのか、素朴に疑問を持つ読者がいるのも当然であろう。

労働者のモチベーションが上がれば生産活動が活性化するし、人手不足解消も可能であろう。

これら一見すると荒唐無稽ではないか、という要求には大きな意味があるし、変革の契機が隠されている。

例えば、今では当たり前のように認知された産休制度や育休制度に関する企業内の取り組みも「子どもを育てながら働きたい」という労働者の声が積み重なって出来たものである。

「子どもが生まれたら働き続けられないから退職」「時短勤務などでは企業に迷惑がかかるから辞めてほしい」が当たり前という慣習を打ち破ったのは先輩の労働者たちである。

子どもを育てながら働きたい。それは当時の企業社会において荒唐無稽な暴論と評価された要求だった。

もっと歴史を遡れば、児童労働の禁止、1日13時間労働の短縮、労働組合など団体交渉権の確立、労働基準監督署の設置、週休2日制、有休休暇制度、残業代の支払い義務など、あらゆる労働者をめぐるシステムが労働者の要求によって確立してきたことを知ることが出来る。

どれもこれも当時の社会では存在しなかったり、禁止していないことが当たり前、当然とされてきた仕組みだった。

わたしたちは現在、先人が権利を主張して確立してくれて、その変化した仕組みのなかで恩恵を享受しているに過ぎない。

このように、先人の労働者が自由な要求を繰り返すことで、制度やシステムが整備されてきて、いまの私たちの働き方が確立している

自由な要求なしには、働きやすい環境や処遇は得られないのである。

このような歴史を見ても、前澤社長の個人資産であれ労働者に分配してほしい、という要求も荒唐無稽だろうか。

社会のなかに広がっている「当たり前」や変えられないことを疑い、実際に非難されても要求していくことは、先人がおこなってきたように、変革を促す大事な取り組みである。

非正規雇用は以前の日本社会ではここまで多くなかった。これも資本や企業の要請で「当たり前」が崩されてきた証である。

労働者側からもそろそろ「当たり前」を崩していく言動が必要ではないだろうか。

労働組合やユニオンではそんな労働者の自由意思に従い、企業や経営者と交渉を繰り返し行ってきている。

ぜひとも読者の皆さんも気軽に相談し、職場の改善などをみんなで話し合い、要求をしていく活動に参加いただきたい。