夏休みに考えたい子どもたちの性と性教育ー厳しい性被害の現場実態からー

性被害や性犯罪に悩む女児、女性たち(ペイレスイメージズ/アフロ)

「何人の女子を妊娠・中絶させたかを誇る男子たち」

夏休みが始まって2週間が経過した。

各地で開かれている夏祭りや花火大会では、小中高生が友達と楽しげに歩く様子が見られる。

見守る保護者、地域の大人にとっては、大いに青春を謳歌してほしいと思いつつも、事件や事故に巻き込まれることなく、安全に過ごしてほしいという願いを持っていることだろう。

しかし、表面には見えづらいが、身近な大人に相談できず、ひとりで苦しんでいる子どもたちがいる。

特定非営利活動法人10代・20代の妊娠SOS新宿―キッズ&ファミリー(以下:妊娠SOS新宿)の報告(2018年7月27日第55回社会福祉セミナー:鉄道弘済会主催)によると、「生理が遅れている。妊娠したかもしれない」「妊娠していて中絶したいがお金も住まいもない」「性病感染したかもしれない」といった相談が数多く寄せられているという。

特に、貧困や虐待の連鎖の中で、親や家族から愛情を受けられずに育った子どもたちの問題は複雑だ。

居場所を失った子どもたちが夏休みに警察署や児童相談所で保護されている光景は珍しくなくなっている。

男女ともに共通しているのは自己肯定感の低さである。

彼らは、毎日を生き抜くことに精一杯で、将来に対し夢や希望を持つことが難しく、日々が刹那的だ。

そんな彼らが小学校中学年から中学・高校生になり、男女交際に興味を抱く年頃になると心配なことがある。

それは「性行為」による「愛情確認」だ。

自分自身が大切な存在であると認識できない環境で育った彼らにとって、女子は男子からの愛情確認である性行為に素直に応じてしまう傾向にある。

一方、自己肯定感の低い男子は、性的支配をすることで自分の権威を示そうとし、避妊に対し非協力的であるという。

つまり、愛情確認というよりも自分の承認欲求を満たすための性行為であることが多く、友達同士で「何人の女子を妊娠・中絶させたか」を誇る。

その結果、女子は妊娠。しかし、現実に産み育てることが難しかったり、相手の男子に逃げられ中絶してしまう。

それでも、男子からの愛情が欲しくて妊娠や中絶を繰り返す女子もおり、性病感染や性暴力(デートDV)にも繋がっている。

わたしも過去に4度の妊娠・中絶を経験した女性、7度の妊娠・中絶を経験した知的障害がある女性などに出会ってきた。

この機会に子どもたちに起こっている現実を真正面から考えてみたい。

「『性』を過剰にタブー視する保護者」

では、生活水準が高く、教育熱心な保護者の家庭は問題ないのだろうか。

妊娠SOS新宿の報告によると、「大学生になった息子の部屋からコンドームの箱を見つけて驚いた。どうすればいいか分からない」といった相談や「一人娘が成人式でコンドームをもらってきた。どうなっているのか!」といった怒りの声が届いているという。

また、明らかに妊娠の可能性がない場合でも、「妊娠したかもしれない」という不安から恐怖心が高まり、眠れない・食べられないほど思いつめた結果、ストレスで生理が止まったり、遅れたりする子どももいるという。

保護者も含めて、子どもたちの性や性教育について、どのように向き合っていけばいいのか、未だに混乱が見られるというのが現実である。

正しい知識を知らずに、インターネット上の誤った情報で迷走をきたしているようだ。

「妊娠・出産や性についての正しい知識の不足」

スマートフォンやパソコン、タブレットに幼い頃から触れている子どもたちにとって、インターネットのサイトやアニメを通して性に関する情報に触れることは容易である。

彼らの好奇心を煽るような悪質なサイトや、見知らぬ者同士でいつでもどこでも繋がることができる出会い系アプリなど凄まじい勢いで普及している。

これらの状況を見過ごしたままでよいのだろうか。

朝日新聞では「中学生への性教育、どうしたらいい?」と問題提起が始まっているが、未だに大きな動きは見られていない。

今こそ、性教育の必要性を議論すべきではないだろうか。

「性犯罪を生み出さない社会のために、行うべきは性教育」

ただ、残念ながら日本では事前に性教育で性被害などを防ぐのではなく、起こった後にどうするか、という事後的なケアが続いている。

ましてや、それは性加害者を監視、管理するという前近代的な方法も真面目に検討されている状況だ。

性犯罪者に対して厳罰化を求める動きが高まっている。

しかし、厳罰化の方向は果たして性犯罪の抑制に繋がるのだろうか。

このような対症療法よりも、「未然に防ぐ」という観点から考えるべきではないだろうか。

わたしは、世界各国と比較し日本の性教育があまりに貧弱であること抜きにしてこの問題は語れないと考えている。

日本では、1980年代後半のエイズ問題を契機に、1992年には、これまでなかった小学校の保健の5・6年生の教科書が誕生。

小学校から本格的に性教育を行うなど、「性教育元年」とも呼ばれ、全国的に研究授業などが盛んに行われるようになった。

わたし自身も性の構造や男女の身体の違いなどについて教わったことを覚えている。

しかし、2003年に東京都立七生養護学校(現・七生特別支援学校)への都議らによる性教育バッシングが始まった。

性教育を推進すれば、子どもたちに性的逸脱、性的問題行動が蔓延してしまうのではないか、という異論である。

この問題は裁判にまで発展し、最終的に教員らが勝訴したものの、その後の性教育実践に大きな影を落とした。

教員もどのように子どもたちの性や性教育と向き合っていけばよいのか、混迷の中にいるといってもよいだろう。

本来であれば、「子どもの性的自立を追求する性教育は、性にまつわる問題が発生した場合に対症療法のようにおこなう性教育や、子どもたちの性的逸脱、性的問題行動を回避することを主な目的とする性教育とは一線を画する」(「教科書にみる世界の性教育」より)ものでなければならない。

要するに、性教育とは、自分を大事にしていくためにどうしたらいいのか、どのように生きていけばいいのか、あるいはパートナーや愛すべき人とどう向き合っていけばいいのか、という人間教育のような意味を持っているものだ。

このような視点からの性教育は未だに実践が遅れている。

だからこそ、最近ではスマートフォンの普及により、小中高生が自撮りポルノや盗撮の被害者や加害者となる事例も増加しており、問題は山積している。

学校現場では「子どもの性的自立を追求する性教育」が満足に行えないどころか、結局は問題が起きた後の事後指導に追われている状態である。

「女性が露出している服を着ているから触られても仕方ない」

精神保健福祉士の斉藤章佳氏は、著書「男が痴漢になる理由」の中で、「男性の性加害者は、女性に対しての『認知の歪み』を隠し持っている」と述べている。

歪みの根底には日本社会に未だ根強く残っている性差別や男尊女卑の考え方があり、「女性は男性の“性”を受け入れなければならないー日本はこの社会通念がとても根強い国」だと指摘している。

「女性が露出している服を着ているから触られても仕方ない」といった、女性に責任を転嫁する認知の歪みは、生まれつきあるものではなく、その人が成長し、社会で生きる中で身につけていくものである。

端的に言えば、事前に行うべき性教育の不足や遅れが顕著に見られるということだ。

一旦身につけてしまった歪みを修正するのは容易ではなく、性犯罪再犯防止プログラムの一環である認知行動療法においても多くの時間と労力を費やすものである。

わたしもソーシャルワーカーとして何人も更生プログラムに関わらせてもらったことがある。

そうであるならば、なるべく早期に発達に応じた性教育を行うことで、ジェンダーについての意識や、他者とのコミュニケーションの取り方、身体の発達に関する正しい知識を身につけておくことが何よりも重要ではないだろうか。

あなた自身やあなたの身近な人の問題として、ぜひ性教育について考えてもらえたらありがたい。