「自己責任論」が与える私たちの暮らしへの影響 ―社会保障・生活保護を中心に―

イスラム国で人質になっている二人の言動がいわゆる「自己責任論」を呼び起こしている。

自分の意思で危険な場所に訪問したのだから、自業自得だというものだ。

また、そのような人々を積極的に救うことや税を投入することにも批判的な意見が散見されている。

これらの動向については、古谷経衡氏の『「自己責任論」で中世に退行する日本』も参照いただきたい。

この「自己責任論」は、厄介な問題で、さまざまな場面で議論を巻き起こす。

特に社会保障を議論する場合には、必ずといっていいほど、出てくる時代錯誤の論点だ。

たとえば、前述の古谷氏も指摘しているが、生活保護制度。

計画性がない生活をしてきた本人は自業自得なのだから救う必要がない。

あるいは救済に値しないのだから、生活保護基準はより低くても構わない。

などなど、生活保護受給者を批判する意見はいくつも指摘されている。

実は、戦後間もない頃の旧生活保護法には、「自己責任論」が含まれていた。

受給要件を満たさない「欠格条項」があり、貧困に至った理由によっては救済がされなかった。

要するに、素行不良で怠惰な者は救わないというものだ。

しかし、これに何をもって素行不良とするのか、恣意的な判断がされるのではないか、などいくつも疑義が指摘された。

結局、生活保護における「欠格条項」は完全廃止され、現行生活保護法が1950年に誕生する。

アルコール依存症、ギャンブル依存症などに罹患し、財産を使い果たしてしまった人も保護をする。

暴力的で家族から見放された場合も保護をする。

とにかく、貧困事由を問わず、困っていたら保護をしたのちに、自立支援をおこない、自立を助長して行くというものだ。

いわゆる無差別平等の原理で保護を行うというものである。

現生活保護法の根幹理念のひとつといってもいいだろう。

なぜこの理念が重要なのかといえば、誰でも生活に困窮した場合に、保護の請求ができる権利を確立したということ。

要するに、誰でも困ることがあり、その際は権利があるのだから、保護を請求することができることを明確化した。

『誰でも』ということがとても重要だ。

皆さんも困ったときに、必要にもかかわらず、ああだこうだと言われ、救済されなかったら死んでしまうかもしれない。

実際には、「親族を頼れ」、「仕事を探せ」など状況を把握しないまま、福祉事務所が対応を誤り、餓死や孤立死に至った事例がいくつもある。

このような事態を防ぐために無差別平等の原理を掲げた。

だから、社会保障や生活保護は、「誰でも困る可能性がある」という事態を事前に想定した先人の知恵である。

歴史的には、「自己責任論」の議論は終結していて、議論の余地はないように思う。

社会保障制度において、危機に瀕した国民を政府は国家責任において保護をする。

しかし、この確立した国民の権利を自分たちから放棄しようとするのが「自己責任論」である。

困った時に救われなくてもいい。

自分はそのようなことにならない。

そんな風に思っているのだったら、大きな間違いである。

多くの生活保護受給者は「生活保護になるとは思わなかった。生活保護があって本当によかった。」と口にする。

次はあなたの番かもしれない。

そんなイメージをもって、社会保障制度や生活保護を見ながら、「自己責任論」と向き合っていただきたいと思う。