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インターネットと「私刑化」する社会

藤代裕之ジャーナリスト

ブログやソーシャル・ネット ワーキング・サービス(SNS)といった個人が情報発信するメディアはすっかり定着し、それらの動きを伝えるミドルメディアも存在感を増している。このような状況は多様な言論を生み出す可能性がある一方で、ソーシャルメディアとマスメディアによる共振が「私刑」が拡大する社会状況を生み出してはいないだろうか。

炎上がもたらす萎縮効果

UGC(User Generated Content)やCGM(Consumer Generated Media)と呼ばれる個人が生み出すコンテンツを巡るプラットフォーム戦争は、グーグルやアマゾン、日本国内はミクシィで、ほぼ勝負は決したようにみえる(実際にはこの後、TwitterやFacebookが登場する)。これらのプラットフォームの上に、多様な言論が花開いている。

ブログやSNSはもちろん、J-CASTニュースなどのニュースメディアやソーシャルブックマークといったミドルメディアの存在感は増している。 UGC・CGM発のコンテンツは膨大な量になり、ネット上の出来事がミドルメディアを経由してマスメディアに取り上げられるようになっている。これは、基本的に良い方向だろう。マスメディアによる限られた視点だけでなく、多様な議論を生み出す可能性があるからだ。

しかしながら、「炎上」のような現象はその可能性を奪う可能性がある。

炎上という言葉は、2004-2005年にかけて2件連続してマスメディア関係者のブログにコメントが殺到、閉鎖・更新停止に追い込まれたことをきっかけに広がった。その後、この現象は政治家、芸能人から一般人に広がっている。昨年も、動画共有サイトに投稿された、吉野家の店員が豚丼を山盛りにした「テラ豚丼騒動」に続き、ケンタッキー、バーミヤンなどでも同様の事件が続いた。キセル未遂の大学生、当て逃げした自動車の犯人追及、さらに炎上情報を共有するサイトが炎上するという笑えない事態も起きている。

炎上の原因は「問題発言」や「問題行動」そのものにあるとされるが、中には「何が問題なのだろう」と首をかしげてしまうものもある。ネット上の議論は一度火がつくと冷静な視点が失われがちだ。義憤に駆られ、ブログに批判のコメントを書き込み、正義を主張する無数の人々が協力して個人情報を暴き、自宅写真をネット上に公開し、通学する学校や勤務先に、場合によっては警察に電話する。

関係機関に「処分はしないのですか?」と問い合わせたり、その対応・やり取りの電話やメールを公開したりする。このような圧力に晒されれば、判断を停止して「とりあえず謝っておこう」「処分しておこう」というその場しのぎの 対処に至る企業や組織が出るのも不思議ではない。萎縮効果は抜群だ。

ネットとマスの共振が「私刑化」を拡大

このような「私刑」は、つい最近まではマスメディアの専売特許だった。マスメディアは人々の代弁者という立場から「正義」を振りかざし、罪が司法によって確定する前に社会的な制裁を行ってきた。そして、このような報道のあり方はメディアスクラムを生み、本質に切り込んでいないと批判されてきた。 ウェブの言論を批判しているマスメディア自身がたびたびメディアスクラム、プライバシー侵害を引き起こしてきた。

元外務省主任分析官の佐藤優氏は「メディアスクラムが加速するとマスコミ関係者は何でもするようになる」「逮捕されたときに「これでこのメディアスクラムから逃れられる」と実はほっとしたのだ」と明かしている(【佐藤優の眼光紙背】メディアスクラムとインテリジェンス戦争)。 メディアの監視はそれほどまでに過酷なものだ。

裁判においても量刑理由で「マスメディアの報道によって社会的な制裁を受けている」と付け加えられる場合もある。マスメディアは事件の構図、本質を明らかにするのではなく、警察・検察と共に犯人を探し、裁判所が刑を決める前に社会に制裁を加える「私刑」を執行してきたのだ。

個人がメディアを持ったことによって、誰もが「私刑」を実行できるようになった。「炎上」「祭り」はネットの一部だけで終わることなく、ポータルサイトのニューストピックス、さらには新聞、テレビなどのマスメディアにも表出するようになっている。ブログやSNSから「炎上」事例を探し出し、拡大させているミドルメディアだけでなく、既存のマスメディアがウェブ上の言論に注目するようになったことも影響している。

騒動を大きく取り上げるマスコミは、以前にも増して脊髄反射的な記事が増え、ネットとマスメディアの共振が「私刑化」する社会を拡大させている。

これが望んだウェブ社会なのか

ブログやSNSによって誰もが自由に発言できたはずが、どことなく自由が失われつつある。このような状況をコピーライターの糸井重里氏は、「屁をしたろう」「屁をしたろう」と、みんなで指を差しあうような状況になっている(「公私混同」言論、「『屁尾下郎』氏のツッコミが世の中を詰まらせる」日経ビジネスオンライン)と独特の表現で、リスク回避をしたいために管理や相互監視が強まり、誰もが正義の側につきたがると分析している。

センセーショナルで、刺激を求めるのも人の一面なのだと言ってしまえばそれまでだが、ネットとマスメディアが共振して、批判が拡大すれば逃げ場がない。誰もがメディアで正義をぶつけ合う。これが人々が望んだ「ウェブ社会」なのだろうか。

(この原稿は2008年1月に日経IT-PLUSに掲載されたものを加筆・修正したものです)

ジャーナリスト

徳島新聞社で記者として、司法・警察、地方自治などを取材。NTTレゾナントで新サービス立ち上げや研究開発支援担当を経て、法政大学社会学部メディア社会学科。同大学院社会学研究科長。日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)代表運営委員。ソーシャルメディアによって変化する、メディアやジャーナリズムを取材、研究しています。著書に『フェイクニュースの生態系』『ネットメディア覇権戦争 偽ニュースはなぜ生まれたか』など。

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