インド仏教最高位の日本人僧侶(82)命をかけた52年目の闘争

2018年6月 尾道市浄泉寺でインタビュー 写真:タイクーン・ピクチャーズ 

 インドは仏教発祥の地だが、今はヒンドゥー教徒約80%を占め、仏教徒は1%弱と言われている。しかし、ヒンドゥー教のカースト最下層である『不可触民』と呼ばれる人たちの多くは不満を抱え、政府に無届けで仏教を信仰している。そのため実際には、インド国内の仏教徒は1億5千万人以上いるとも言われる。

 そのインド仏教の頂点に立つ男が佐々井秀嶺(ささいしゅうれい・82歳)だ。3度の自殺未遂を乗り越え、32歳でインドへ渡り、1億5千万人の仏教最高指導者に駆け上った。仏教再興に命をかける佐々井氏に、インド52年目の覚悟を聞いた。

インドのカースト制の仕組み 著者作成 
インドのカースト制の仕組み 著者作成 

■ヒンドゥー教から仏教に改宗

 インド憲法ではカースト制度による差別も、『不可触民』という言葉の使用も禁止している。しかし、実際はカーストによる差別は根絶できていない。それをなくすべく、1956年、初代インド法務大臣だったアンベードカル(1891-1956)は、インド中央部ナグプールで不可触民50万人と共にヒンドゥー教から仏教に改宗した。仏教を『自由、平等、博愛の宗教』として信仰すると説いたアンベードカルだったが、改宗から2ヶ月後に急死。インド仏教は停滞した。

 日本で人生に迷い、3度の自殺未遂を経験した佐々井氏は1967年、32歳でインドに渡った。翌年、不思議な夢のお告げに導かれナグプールで布教活動を開始した佐々井氏は、アンベードカルに深く感銘を受けた。

「日本人でインド民衆の真っ只中に入ったのは私一人です。夢の中で龍樹菩薩(2世紀頃のインド人僧侶)のお告げを受け、ナグプールに行った。するともう一人アンベードカル菩薩というのがいた。これがインド仏教の復興の父だという。坊さんですから、インド仏教再興のお手伝いをしないといけないと思った」

1989年 アンベードカル改宗記念式にて 写真:山本和邦
1989年 アンベードカル改宗記念式にて 写真:山本和邦

■不法滞在で逮捕 民衆による60万人の署名

 金も名誉も求めず一心不乱に布教活動を行った佐々井氏は、次第にインド民衆から支持を受けていく。しかし1987年、ビザ切れによる不法滞在で逮捕されてしまう。その時立ち上がったのが、彼を尊敬するインド民衆たちだ。佐々井氏を擁護する60万人の署名が集まり、翌1988年、佐々井氏はインド国籍を取得。インド名をアーリヤ・ナーガールジュナとした。

「私はインドに帰化するために行ったんじゃない。龍樹菩薩とアンベードカル菩薩が現れて、大使命を受けたんだ。その使命をある程度まっとうするためには、日本に行ったり、帰ったりすることはできないんですよ。だから国籍を取った」

(ということはやはり心は日本人?)

「インドのためには、その考えを捨てなければならないと思っています。インドは第二の故郷だ。日本は生まれ故郷。日本よりもインドにいる年数の方が多いんですから」

■インド政府で仏教代表の要職に

2003年、インド政府の少数者委員会の仏教代表に任命され(任期3年)、名実ともにインド仏教最高指導者となる。

「俺は最高指導者なんて言ったことない。俺はインド仏教の奴隷。彼らは奴隷から仏教徒になった。俺はその奴隷だ。日本では最高指導者と言うが、夢にもそんなこと言ったこともないし、考えたこともありません。インド仏教の奴隷者です」

インタビュー中の佐々井氏 写真:タイクーン・ピクチャーズ
インタビュー中の佐々井氏 写真:タイクーン・ピクチャーズ

■ブッダガヤ大菩提寺の奪還闘争

ブッダガヤ大菩提寺 写真:アフロ
ブッダガヤ大菩提寺 写真:アフロ

 あくまで自身はインド仏教の奴隷者と断言する。そんな佐々井氏が今一番やりたいことがある。それは釈迦が悟りを開いた場所と言われる『ブッダガヤ大菩提寺』を仏教徒の手に戻すことだ。13世紀に仏教が衰退したインドでは、ヒンドゥー教徒が中心となりブッダガヤ大菩提寺を管理している。佐々井氏は1992年から『ブッダガヤ大菩提寺奪還闘争』と銘打ち活動を続けている。

「ブッダガヤはいわば世界仏教の総本山です。例えばイスラム教ならメッカ。キリスト教ならエルサレム。世界の宗教の聖地は、その宗教によって運営されている。それなのに何故、仏教の聖地だけが他宗教徒によって管理されないといけないのか。私は16年間、それに抗議し戦ってきた。大闘争、座り込み、断食。あらゆることをやってきた。他は誰もやってねぇぞ!そういう闘争心が俺にあるから、裁判にかける権利をもらった」

2010年ニューデリー 大菩提寺奪還大行進 写真:映画「男一代菩薩道」監督小林三旅
2010年ニューデリー 大菩提寺奪還大行進 写真:映画「男一代菩薩道」監督小林三旅

 佐々井氏は2012年、インド最高裁に大菩提寺管理権を仏教徒の手に取り戻す裁判を起こした。

「今度は裁判ですから、最高の弁護士を用意した。威厳に負けない。向こうも威厳があるだろう政府だからね。こっちも威厳がある。何を!と睨み返すような弁護士を5~6人集めています。それにはお金が必要だ。おたくの記事でも呼びかけてください。(え?)まぁ無理はしなくて良いんだよ。はははは」

 2014年に発足した「南天会」は、佐々井氏の日本帰国やインドでの活動を人的・金銭的に支援を行う。日本滞在中の佐々井氏は、できる限り支援者の家に宿泊するなどして寄付金を節約、なるべく多くのお金がインドの活動に使えるよう努力している。当然、その寄付金から裁判の費用も捻出される。最高指導者ではなくインドの奴隷者と公言するのも納得できる。

■サッカー日本代表にも関心

 そんな聖人のような佐々井氏だが、日本滞在中、サッカーロシアW杯をテレビで鑑賞するという一般的な面も持っていた。

「私は日本代表対コロンビア戦をずっと見て、それからセネガル戦も見た。でも、3回目のポーランド戦は疲れてて、見なかった。だから日本が負けた!私が見とれば必ず勝った!」

(サッカーお好きなんですね)

「好きというより、闘魂!闘魂を見るんだ。その闘魂というものが私の人生においても必要なんだ。日本代表が肉体と肉体をぶつけあって、策略と闘魂で勝敗が決まる。それを見るんだ。あとはまぁ、母国ですから、やはり勝ってほしいと思うのが人間の情かと思う」

■好物はアンパン

 闘魂を欲するインド人僧侶は、日本への愛情も忘れていなかった。最後に日本で好きな食べ物を聞いてみた。

「好きな食べ物はアンパンです。俺はどこに行ってもアンパンがあれば愉快です。日本に帰ったらすぐにアンパンだ。インドにはアンパンがないんだよ」

(甘い物が好きなのですか?)

「小さい時におじいちゃん、おばあちゃんに甘い物をよく食べさせてもらってね。インドでも甘い物を食べ過ぎて、虫歯ができた。それを自分の手で全部抜いた。2ヶ月かかった。だから今は全部入れ歯です。総入れ歯。40代ぐらいの時だった」

(全部自分で抜いたんですか?)

「そう全部。痛かったぞ!忙しくてね、医者に行く暇なくてね」

■最高裁で本格審理がスタート

 言うことやることすべて規格外の闘魂僧侶。2018年7月初旬、佐々井氏はインドへ帰国。同月11日よりインド最高裁でブッダガヤ大菩提寺管理権返還に向けて本格審理が始まった。

「若者はにね、使命を持ってもらいたい。我、何を為すべきか?我、如何に生くべきか?我、日本国を背負う闘将なり!ってね、ファイトを燃やしてもらいたい」

アンパンにご満悦の佐々井氏 写真:タイクーン・ピクチャーズ
アンパンにご満悦の佐々井氏 写真:タイクーン・ピクチャーズ

■佐々井秀嶺プロフィール

1935年、岡山県生まれ。25歳の時、高尾山薬王院にて得度。1965年、タイに留学。1967年、日本に帰らずインドへ渡る。1968年、多宝山上で龍樹菩薩の霊告を受け、ナグプールで布教活動を開始。アンベードカルによる不可触民解放運動を知る。1987年、インド不法滞在で一時逮捕。ナグプール市民による佐々井擁護の運動が起こり60万人の署名が集まり、翌年、インド国籍を取得(インド名はアーリヤナーガールジュナ)。1992年、ブッダガヤ大菩提寺管理権奪還闘争を開始。1994年、アンベードカル国際平和賞受賞。2003年、インド政府少数者委員会の仏教代表に就任。2009年、44年ぶりに日本に一時帰国。2012年、インド最高裁にブッダガヤ大菩提寺管理権返還を求める裁判を起こす。2014年、一時危篤となるも復活。同時期に佐々井を支える南天会が日本に発足。2016年、アンベードカル国際協会会長就任。その他、シルプール遺跡・マンセル遺跡など龍樹に関連する遺跡も発掘している。好きなお菓子はアンパン。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の動画企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】