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シリーズ・生きとし生けるものたちと 纐纈あや監督 『ある精肉店のはなし』は、なぜ生まれたのか(後半)

藤井誠二ノンフィクションライター
東京都東小金井市にて(撮影・藤井誠二)

映像ドキュメンタリー作家の人々にインタビューをしていこうと思う。とくに、時代の流れとともに消え行く、可視化されにくい人々の営為に目を向けている作家に。人間以外の動植物たちの命とも、密接なつながりを持つことにより、先達たちは生きてきた。そこには近代的価値や視点からすれば看過できないものも含まれているだろうが、原初の私たちの姿をあらわしているともいえ、「魂」とは、「人間」とは何かを考えさせる複雑な要素がつまっていると思う。映像業界ではどちらかというと「周縁的」なポジションに位置する作家たちへのインタビューを通じて、ぼくは多くの気付きをもらうことができると考えた。

第二回は纐纈(はなぶさ)あや監督にお話をうかがった。『ある精肉店のはなし』という屠場のドキュメンタリーを撮った動機や背景をつぶさに聞くことができた。(筆者注・なお、共同通信記者ハンドブックにならうと、一般的には、たとえば「屠場」という表現については、食肉処理場・食肉解体場などというふうに言い換えをするケースがあるが、文中では取材者と被取材者の関係性の中で言い習わされた呼称を尊重したいと思う。)

(前半から続く)

■「現場」に「なじむ」といいう感覚■

纐纈 ところで、本橋さんと写真家の広河隆一さんの間で論争になったことがあるんです。本橋さんの一作目の映画『ナージャの村』をめぐってです。

藤井 その論点は何だったんですか。

纐纈 広河さんが『ナージャの村』を痛烈に批判したんです。美し過ぎると。

放射能汚染された村を美しく描くということは放射能汚染を肯定することだというんです。汚染された場所に住み続けることがどれだけ危険かをもっと伝えるべきだと。本橋さんは、いや、その美しさのその先にあるものを想像してほしいのだと。

藤井 実際に『ナージャの村』の舞台は美しいところで、そこに目に見えない放射能があるということを、まさに目に見えない部分で、ぼくはとても訴えるものがあったと思うのですが。だからこそ怖いというか。

纐纈 確かに『ナージャの村』には、放射能の危険性を直接訴えるようなシーンはほとんどありません。不安を抱えながらも故郷に留まり、大地に根ざして暮らす農民たちの姿が描かれています。そして本当に映像が美しい。でもそれはこの事態を肯定する表現などとは、私は全く思わない。むしろ色も匂いもなく、これまでと何も変わらない美しい故郷が、深刻な汚染地域となってしまった恐ろしさや見えない不安、そしてやり場のない強烈な憤りを覚えます。

さきほど言った、社会の役に立ちたいみたいな気持ちはもちろんあるんですが、私は人の暮らしとか、共同体みたいなものに特に興味があって、そういうものを知りたいし、そういうものに出会えることがとても楽しいんです。

映画を作りたいとか、伝えたいということが一番最初にあるんじゃなくて、自分が魅力的だなと思う人のことを知りたい、理解したいというところから始まっていて、今までやってきた映像は全部そうです。

藤井 例えば、『ある精肉店のはなし』で、牛を気絶させるシーンとか、カメラが複数入るじゃないですか。その場合って、カメラってある種の暴力的装置というか、やっぱり、カメラがあることによってその空気って変わりますよね。ぼくはたぶん、カメラとかスタッフとか、そういうものがその風景の一部になってなくなる時ってあると思うんです。その時に、何か、おっしゃったような、やっていることの背景とかいろんなものを初めて写し取っていくというか、何かその空気まで写し込んでいくというふうになるんじゃないかなと思うんです。北出さん一家が肉を焼いて飯を食うところも密着されていますよね。

纐纈 ドキュメンタリー映画を撮り始めて、今で十二年目なのかな。最近、すごくよく分かるようになってきたのは「なじむ」という感覚。カメラがあるなし関係なく、私自身がその場所になじむとか、その人たちといて、自分自身が違和感がない、相手も自然に感じてくれてるという感覚を共有するのが大切だと思っているんです。

藤井 それはご自分で分かるということですか。

纐纈 貝塚でも祝島でも、あと、今通っている幾つかの場所でもそうなんですけれども、現場に行って、ここに柿の木があるな、ここに誰々さん家があって、ここに川が流れていてとかというのが、最初は確認しながらなんだけれども、それを意識しなくても分かっている感覚になっていくじゃないですか。

あるときから当たり前になる。自分がそこが気になって通い始めて、そこに行くとか、そこを歩くとか、そこにいる人たちと一緒にいるということを意識しなくなった時に、見えてくる世界というか、そこから思考していくところに、何か次の扉が開くみたいな感じがあるんです。

藤井 だから、とにかく、何かカメラを回しちゃえ的なやり方はしないということですね。もちろん、決定的な瞬間は早く撮るんだろうけれども、だから、そんなに焦って画を撮らないというふうに思っていた。

纐纈 ただ、時間的にも経済的にも制限があるので、カメラを回しながらとか、カメラマンに最初から同行してもらいながら、そういう感覚になっていくときもあるし、一人で通っている間に「なじむ」感覚になっていくこともあるし、いろいろです。

藤井 取材対象にとってはどうなんでしょう。撮られる対象にとっては、カメラというある種の異物感みたいなものを意識をしなくなる瞬間というのって何かあるんですか。

纐纈 ありますね。ある時を境に変わったなって思うことって結構あるんです。

藤井 それってどういう時なんでしょう?

纐纈 はっきりとは言えないんだけれども、でもそれは、これまでの経験の中でだと、やっぱり、一定量の時間が過ぎた時に感じていますね。

藤井 活字でも、取材をお願いしますと、一応形式的に言うじゃないですか。だけれども、その相手が返事が曖昧な場合もありますよね。いつオッケーになったんだかよく分からないまま進んでいくということってあるでしょう?

纐纈 はい、ありますね。

藤井 いつ、どこで合意を得たと思ったかなとか、考えたらあの時かなとか、あの瞬間かなとかいろいろ思うんだけれども、反芻していくとおもしろいなと思うんです。特に、職人さんとかって、何か口べただったりすることや無口だったりすることも多くて、お願いします、分かりましたってやらないじゃないですか。

纐纈 そうですね。

藤井 逆にこっちを見られているというか、何か観察されている感覚がこっちにある。

纐纈 こちらは映像を撮らせてもらうために行っているので、知りたいとか理解したいと思うのは当然なんだけれども、でも私以上に相手のほうが私のことを何者なのかを見定めようとしているってつくづく思うんです。だって、向こうからしたら一方的にカメラを向けられるなんて「脅威」でもありますもんね。撮られた映像がどう使われるかなんて分からないわけで、撮っているこいつは何者なんだろうという気持ちはあると思うんです。

藤井 そういう「恐れ」って、どんな経験を積んでもいつもありますよね。

■「興味」を持っているということを相手にどう伝えるか■

藤井 何かちっちゃい話かもしれませんが、ぼくも漫画雑誌で、グルメ紀行的な域を出ないのですが、ホルモン店をまわるという連載を四年半やったことがあるんです。ある老舗店に行って、部位の呼び方と正式名称を言ってみてほしいと十何カ所聞かれて、正解したことがあります。取材に来るライターはほとんどわからないで「ホルモン」だけで来ている。肝臓なのか膵臓(すいぞう)、脾臓(ひぞう)なのか、豚なのか、牛なのか、とか。一種のテストをされた。取材される側は「どうせ、わからずに来てるだろう」ぐらいに思っていて、取材する側は知識だけじゃなくて総合的に見られているんだなというふうに思いました。

纐纈 私の場合は、本当にお恥ずかしいのですが、北出さんのところに行った時もほとんど前知識がないわけです。ものを知らないというか何も知らない中で、興味や好奇心だけは人一倍あって、自分は皆さんのことを理解したいんだとストレートにぶつけた。で、こいつは何も分かっていないけれども、どうも興味を持っているのは本当らしいなと伝わったみたいで。

藤井 熱意が半端なく出ていたんですね。

纐纈 もう本当に熱意しかない(笑)。それで、しょうがねえな、面倒見てやるか、みたいな、そんな感じだったのだと思います。精肉店や屠場のことはとにかく映画にすることが難しいというのは分かっていたので、最初の段階であいまいにしてはいけないということが自分の中であって、まず一つは、北出さんたちの屠場の仕事をノッキング(牛の眉間を長いハンマーで殴打して気絶させること)も含めて映像にしたいと伝えました。

藤井 撮るときに何もタブーを作らないということですね。

纐纈 はい。屠場の仕事をできる限りそのまま見せるということが、すごく意味があることだと思っていて、それは私がまず第一にしたいことですと。もうひとつは地域名やお名前を匿名にしたり、モザイクを掛けたりということはしたくないということと、そして、啓発映画は作りたくないという、その三つの条件を了解していただいて、私たちが撮影に入るのを許していただけますかと最初にお願いをしました。

藤井 啓発映画にしたくないってどういう意味ですか。

纐纈 啓発という言葉って、何か正しいことを教えるとか喚起するとかいう意味がありますよね。ドキュメンタリー映画というかドキュメンタリー映像の中で啓発映画というジャンルは確かにあると思うんです。

藤井 ありますね。

■「啓発映画」にしたくなかったんです■

纐纈 例えば差別はよくないからなくしましょうという、メッセージを明確にするのが啓発するというものだと思うんですけれども、私は差別はいけないという言葉ではなくて、差別なんてするのは本当におかしいと思ってもらえるような映像を見てもらうことだと思っているんです。

差別はいけないって思うのは、あくまでもその人が心の中で行き着くことであって、それを教えるなんてことはできないと思っているみたいなことがあるんです。あくまでも、そう思えるようなきっかけを作るとか、材料を示す、みたいなことはできると思いますが。うまく言えませんが。啓発映画は作りたくないと、解放同盟の人たちに言ったら、こういう問題を扱うのに啓発映画でない映画って、どういう映画か分からないっておっしゃったことを覚えています。

藤井 なるほど。興味深いエピソードですね。

纐纈 それで、一作目の『祝の島』をみんなで観てみようということになり、上映会をしてもらったんです。よくは分からないけれども、啓発映画じゃないという

のは何となくこういうことなのか、みたいなニュアンスは伝わったみたいで。だから、自分たちの暮らしにも(カメラが)入ってくるわけね、みたいな理解をしてもらえた。ただ、そうなるといろんな人が映り込むわけで、自分たち大人はいいけど、子どもや孫がそれでまた差別されるかもしれないと心配しておられた。解放運動をしていらっしゃった方々は、差別をなくすために自分たちの出自を明確にしている方たちなので、いくらでも私たちに協力したいけれども、でも、簡単に「はい」とは言えないですよと言われました。それは当然のことなので、何度もやりとりをしながら、最後は私のしつこさに諦めに近い感じで、やってやるか、みたいな感じでした。(笑)

藤井 人間の魂みたいなものを根源的に提示していこうという、纐纈さんの思いが押し切ったという感じでしょうか。

纐纈 ずっと部落差別と闘ってきたけれども、なかなか差別はなくならないことのジレンマとか、これまでとは違う伝え方に、ひょっとしてという可能性を感じていただいたことも、あったのかなと思うんです。

藤井 お店(北出精肉店)はまだあるんですか。

纐纈 お店はあるんですが、屠場はなくなって、さら地になって獣魂碑だけが残っています。

藤井 あの建物はすごく価値があったと思うんですけれども。歴史的な意味でも、差別を考える意味でも、タイル張りの立派な建物だった。文化遺産としても残すという話はなかったですか。

纐纈 私も本当にそう思いました。実際、残せないかという声もあったんですけれども、維持するための経費などいろいろとクリアしなければいけないことがあったようで、やっぱり取り壊しになっちゃいました。

■記録を残すために与えられた一瞬のチャンス■

藤井 ちょっと話が戻っちゃうんですけれども、牛や豚や鶏は経済動物と言われていますけれども、牛や豚や鶏の「死」の上に成り立っていて、でもそこの部分は人間が担う部分ではどんどんなくなっていって、機械化が進んでいる。「死」というものがどんどん覆い隠されていっていて、スーパーで売っている肉塊が何なのかわからない事態にまでなっています。北出精肉店のような、小さなところで牛がああやって倒れて、さばかれていく、内臓から湯気が立つというのは見えなくなってきている。その中で、こういう記録を残すのはすごく重要なタイミングと価値ですよね。

纐纈 この映画を作ることができたタイミングというのは、本当に一瞬のチャンスだったみたいな感じがします。

藤井 イラストルポライターの内澤旬子さんが書かれた『飼い喰い』という本で、何か自分で豚を3頭飼育して特別に屠場と仲良くなって、自分の豚だけ番号をからだに書いて(どこのだれの豚がわかるように)屠蓄のレーンで追い立てられていく最後に目が合ったというシーンがあるんですけれども、えも言われぬ感情がわいてきます。屠蓄が工業化されていく中で、動物の命を考えるみたいな機会はなくなっていくんでしょうね。

纐纈 今の日本社会って、全てが分業化されていて、パーツごとで細切れになっていますよね。だけれども、それって本来は全部つながっていることで、全体性みたいなものを前提にして動いている場所とか仕事自体が減ってきてしまっている。一つ一つ見ていくと全体につながっているってことが分かる、全てが有機的に関係し合っているというような世界を映像化していきたいというのが強くあります。

■「わさび」と「石風呂」■

纐纈 下田のわさび田農家さんの家族とずっとお付き合いしていて、一年ぐらい撮影しています。わさびの世界も分業化されているそうなんですけれども、種を採るところから、苗を育ててわさびを収穫するところまで一連でやっているんです。苗にするまでは土作りなどいろいろと工夫して手間をかけて育てるのですが、苗を沢に移植してからは一切肥料などもやらず沢の水だけで成長するんです。

藤井 きれいな水が流れるなかだけで。

纐纈 それから、未だ撮影したままで止まってしまっているんですけれども、瀬戸内海周辺に「石風呂文化」というのがかつてはありまして。入浴ってお湯につかるものと、蒸気浴がありまして、石風呂は蒸気浴なんです。

藤井 サウナみたいなものですか。北欧なんかではそういう文化が残っていて、日常的に使われている地域がありますね。何か真冬に蒸されて、そのまんま川や湖に入っていくとか。大きなプールに入っていくとか。

纐纈 瀬戸内海は水が少ないということ、また大陸から伝わってきた蒸気浴の流れがあったようで、石風呂というのはひと昔前にはたくさんあったそうなんです。石積みのドーム型のものは、炭焼き窯にそっくりなんですけれども、自然の洞窟なども石風呂にしていたようで、そこで枝木をたいてものすごい高温にするんです。熱い熾火を掻き出して、そこに海水に浸したむしろを敷いて、その上に石ショウやアマモ、という海藻を敷いてその上に寝転がるという。その昔ながらの石風呂を営業していた最後の一軒が残っていたんです。

残念ながらそこも閉店してしまったんですけれども、閉店するまでの8カ月ほど撮らせていただきました。強烈に面白くて。昔、軍用船を隠すために掘られた洞窟を石風呂に転用していて、老若男女が入り交り、みんなニコニコ、ぴかぴかで、もうパラダイスなんです。石風呂に入って汗を出して、目の前の海に飛び込んで、その目の前の海にはタコつぼを仕掛けておいて、そこで捕ったタコを、その石風呂をたいた炭のストーブで焼いてみんなで分けあって食べて。

藤井 聞くだけで、ものすごくうまそうですね。(笑)

纐纈 石風呂をするためには、まず、昔から地域の皆さんが山を手入れする時に出た雑木を全部ためておいて、その枝木を燃やす。また昔の瀬戸内海は至る所がアマモだらけで船が進まなくて困るぐらいだったそうで、そのアマモを刈って、農家さんは肥料にしていたんです。それを分けてもらって石風呂にも使うという、海と山とにつながってできる風呂なんです。

藤井 ぜひ作品化してください。ありがとうございました。

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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