伝説の編集者・岡留安則さんに「沖縄移住」について聞きに行く 第二回

─────────────────────────────────────

■沖縄に来てから「模合(もあい)」をやるようになった

■沖縄に対する謝罪史観のようなものはなかった

■沖縄で「一人メディア」をやっている

─────────────────────────────────────

■沖縄に対する謝罪史観のようなものはなかった■

藤井:

岡留さんはこちらで最初、どういうふうに見られていたんでしょうね?

岡留:

やっている雑誌が過激さがウリだから、そのわりには俺は「人気」があったんじゃないかな。(笑)俺は一見、コワモテなんだけど、地元新聞社の連中と地元のキャバクラを制覇したりして遊んでいたからね。そうやって人脈をつくっていったんです。

ネームバリューもそこそこあったから、地元紙の若い記者から取材を受けると中には知っていてくれいる記者もいて、俺が予想する以上に「抵抗」はなかったと思うなあ。沖縄に取材に来たり、移住してくると、ヤマトから来たということで「はじかれる」というような感覚を覚える人もいるけれど、俺自身はそういうのは感じなかった。

俺は身構えてないし、沖縄のことを教えてほしいというかんじで接していたから、受け入れてもらえたと思う。東京でバタバリ、スキャンダルの反権力雑誌やってましたみたいな経歴を引っさげていっても、「そんなの知るか」で終わりだから。(笑) 沖縄のことを一から教えてほしいという態度でいっていた。俺の「キャラ」の問題だと思うけれど。(笑)

藤井:

大江健三郎さんのように、大げさに言うと沖縄に足を向けられないというか、贖罪意識を背負って来る知識人もまだまだ少なくないですよね。

岡留:

そういう沖縄謝罪史観は俺にはないね。そういう思想の大御所でもないし、藤井君もそうだけど、一ライターであり、一編集者なんだから、そういうある意味、上から目線意識はない。そもそも俺は能天気だから、そういうふうにならない。沖縄という土地に対して妙に構えていないと沖縄に受け入れてもらえないというような意識は俺は嫌いだし、気がついたらスーッと入っていたというか、そういうかんじです。どうやって飛び込んだのかと聞かれても、俺はふつうにやっているだけだから、そういうことを聞かれても困るんだよなあ。ある程度のネームバリューはあったけど、一から知り合いになっていったんだから。

藤井:

沖縄に岡留さんはどうして移住してきたんですか?と聞かれましたか。

岡留:

仕事に疲れたからのんびりしにきた、とほんとうに答えていた。それがよかったのかもしれない。政治性みたいなものを出さずに来たから。ただ、本を何冊か出してもいたから、マスコミの幹部連中に挨拶で送ったりしていて、知り合いを増やしていったということはやりました。

難しい言い方になるけど、俺はメディア業界に身を置いてはいたけど、「突き抜けていた」ことをやってきたから、そのあたりの感覚が沖縄の新聞社の人とは大きく違うところ。こっちのメディアの人たちはまじめだし、保守とも付き合う。だから、あまりベッタリはしたくなかった。こっちへ来る時点でスキャンダル路線はやめて来ているから、そのあたりの誤解は今でも、まだあるのかなと思うけど。

─────────────────────────────────────

■沖縄で「一人メディア」をやっている■

岡留:

沖縄での居場所がほしいという感覚ではないけれど、自己紹介がてら本を送って、俺を理解してもらおうと思った。たまに、怖い人が沖縄に来たなーとか言われたけど、そうやって、一から知り合いや友人を増やしていったんだ。

藤井:

岡留さんもそういう「努力」をされていたんですね。いま、生活は楽しいですか。

岡留:

さっきも言ったけど、楽しいし、後悔してない。沖縄に来て最初は海とか行ったりしたけど、今は外に出ることはめったにないね。たまのゴルフぐらいかな。夜は、ここ「瓦家別館」に来る。全国から、ライターや編集者、昔の読者なんかがここを訪ねてきてくれる。それはうれしいね。

藤井:

沖縄の「岡留詣で」という言葉があるように(笑)、ここがある意味で人間関係のハブ化しているということですかね。

岡留:

そこまでは政治的、戦略的には考えてないよ。むかし『噂の真相』を読んでましたという人たちと自由に語り合うことがいいと思ってる。繰り返しになるけれど、いろいろな事件は沖縄で起きるが、また闘おうというような気持ちになることはなくて、友人知人と関係性を再確認しながら、いろいろなことを語り合いをするというか、そういうことが楽しい。

藤井:

岡留さんにとってはある種、コミュニケーションスタイルの変換ですね。

岡留:

そういうスタイルがいまの自分には合ってると思う。俺は生まれは鹿児島で、それから東京行って、東京をナメてたんだよね。たいしたことないなって。(笑) で、東京で30年生きてきた。東京とは沖縄とは違う。そりゃあ、沖縄に来て、最初の一年は「洗礼」を受けたよ。1609年の薩摩侵攻から話が始まる。それでもって、俺は薩摩出身だし。でも、そこで言い返したりせず、じっくり話しを聞いて、そこから会話が始まった。そういうふうにして溶け込んだ。

いまはこうやって店にいることが、「一人メディア」なんだろうね。