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ひとりのブラジル人女性が問うた日本の「共生社会」(上)

藤井誠二ノンフィクションライター

ひとりのブラジル人女性が問うた日本の「共生社会」

━━人種差別撤廃条約武器に、浜松市の宝石店で起きた「差別事件」を闘った記録(上)

1998年に静岡県浜松市で起きた、ブラジル人女性の宝石店入店拒否事件。差別被害を受けたアナ・ボルツさんは、日本にこうした差別を禁止する法律がないことにまず驚いた。自ら弁護士にはたらきかけ、人種差別撤廃条約(日本は1995年に加入)を武器に宝石店との法廷闘争にのぞんだ。私がその民事裁判と、当時の浜松でのブラジル人差別の実態を取材してまわった記録がこの短編ノンフィクションだ。

いま国会では「人種差別撤廃法案」が審議されているが、この20年間、条約が求めている国内法の整備がなされてこなかったことは日本政府の怠慢以外の何ものでもない。国内法の不備を国際条約の適用で補いアナ・ボルツさんの主張を全面的に認めた当時の判決は、画期的だったがきわめてまれなケースだ。人種差別撤廃法が成立すればより多くの被害者が救済されるだろう。また差別防止への施策づくりや啓蒙活動にもつながっていくだろう。日本が、「差別をゆるさない国」にようやく脱皮する機会を逃すべきではない。

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目次

■「事件のことは話したくないです」■

■「外国人立入禁止」はなぜ■

■人種差別撤廃条約を適用した画期的な判決■

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■「事件のことは話したくないです」■

鰻の養殖で知られる浜名湖を有する静岡県浜松市は、静岡県と愛知県との県境を東へ三十キロほど、太平洋に注ぎこむ天竜川にさしかかる手前にある。JR浜松駅前から人の流れに沿って五分ほど歩くと、有楽街と称される、ファーストフードから流行りの服を扱う店などが集中する商店街に行き着く。

その商店街の中ほどに、S貿易という宝石店(以下、S貿易)がある。店の間口は一間ほどで、店舗面積は十坪あるかないかのこぢんまりとした店だ。出入口脇にあるショーウインドーにはイヤリングとピアスが並んでいる。

自動ドアを開けて入ると、予想していたよりも狭く感じた。予想というのは、私はこの店の間取り図をあらかじめ知っていたからである。その間取り図は、ある裁判の判決文のなかにあった。S貿易はその裁判の被告。すなわち、訴えられた側だった。

品のいい小柄な白髪の年配女性と、ネクタイをしめた中年の男性がカウンター式のショーウインドーに座っていた。取材の旨を伝えると、「そのことについては何も話さないことにしています」と断られたが、「こちらの言い分も聞かなくてはいけないと思いました」と説得すると、「ここに座ってください」と椅子に招かれた。

白髪の女性は被告となった人物だった。被告は二名いて、彼女と彼女の息子。その息子が店主として店を切り盛りしている。私を椅子に招いたのも彼女の息子だが、当事者(店主)ではなかった。

「早く(裁判のことは)世間が忘れてくれるように、話したくないです」

女性はそう切り出した。が、私が水を向けると本音を序々に口にしだした。息子が「しゃべらなくてもいいよ」と諭したが、二人とも敗訴への不満がたまっていることは私には伝わってきた。しゃべるほどに顔はこわばり、視線はせわしなく外の往来を追う。女性は「事件」の起きたあの日のことを思い出しているのだろうか。

■「外国人立入禁止」はなぜ■

一九九八年六月十六日。時刻は午後一時四十分ごろのことだ。

ブラジルから来日して六年目になるアナ・ボルツさんはS貿易に入った。同店がブラジル産の、ある宝石を展示してあるのに気をひかれた。ボルツさんはさがしていたオニキスのネックレスがあるかと思い入店、店内のショーウインドーを眺めていた。

店内のむかって左側は指輪がカウンター式のショーケース。右壁面には琥珀などが入ったケース。中央にも二つ、ペンダントやネックレスなどが並べられたショーケースがある。店内は大人が四~五人も入れば立錐の余地もなくなる狭さだ。

オニキスは店の奥にあったが、ボルツさんの好みではなかったため、彼女は引き返して店を出ようとした。すると、店主が近づいてきて英語でたずねた。

「Where are you from?」

ボルツさんは微笑みながら日本語で答えた。

「ブラジルからです」

それを聞いた店主は首を横に振った。そしてテーブル上にあった書類を片付け、ボルツさんに近づいてくる。店主は歩きながら、「この店は外国人立入り禁止だ」と英語で言い、店外に追い立てようとしたのだ。

「どうして、外国人は立入り禁止なのですか?」

驚いたボルツさんは英語でそう聞き返した。

しかし、店主は大声で「外人だめ」というフレーズをくり返すばかり。ふたりは「外人だめ!」「どうして」という押し問答をくり返した。

すると突然、店主が怒鳴った。

「店から出なければ警察を呼ぶ!」

ボルツさんは冷静に応えた。

「そうしてください」

店主は店内の壁に貼ってあった「只今入場制限中 お客様が五人以上になりますと混雑しますので、その節はよろしくお願いします。尚外国人の入店は固くお断りします」と日本語で書かれた張り紙を指さし、さらに店内の別の場所に掲示してあった「出店荒らしにご用心!」と題した浜松中央警察署が作ったビラを外して持ってきて、ボルツさんの顔の前に突き出した。

「最近、家電販売店、ブティックを含む衣料品店、高級ブランドを扱う貴金属店・時計店、ゴルフショップ、カバン店、ディスカウントショップ、メガネチェーン等で、夜間、車両で乗りつけ、裏出入口等をこじ破って侵入し、短時間に大量の商品を盗みさる出店荒らし事件が頻発しています。下記事項をご注意の上、不審なことがありましたら警察に速報をお願いします」

そこには「注意事項」としてこうも書かれていた。

「下見(山見)行為に注意!犯行の四~五日前ころから数人で来店し、商品の下見。建物の状況、防犯装置の設置の有無等を確認する下見行為がある。◎普通の客とは異質に感じる来店客には注意。◎わざわざ遠くに車を停めたり、歩いてくる客については要注意。◎不審を感じたら『声かけ』し、相手の反応を確認」

ボルツさんは日本語はカタカナ以外読めないから、「漢字は読めない」と伝えても、店主は相変わらずボルツさんが店から出ていくよう怒鳴っている。

困ったボルツさんは携帯電話で、同僚でもある日系ブラジル人の夫と通訳者、友人のブラジル人記者や日本の新聞記者らに連絡、自分がいままさに遭遇している状況を伝えることにした。するとまもなく、S貿易の店内は店主側が呼んだ警察官や、S貿易が契約している警備会社の警備員もやってきて騒然となる。ボルツさんの夫や知人たちもすぐに駆けつけてきた。通訳者を介し、張り紙の意味をボルツさんは知ることになる。

店主側は当初「ブラジル人はこの店で盗みをはたらいたことがある」などと警察に訴えたが、最終的には「警察が調査してもどこの誰が盗みをはたらいたかはわかっていない」と訂正した。また、店主はボルツさんのことを「最初、フランス人だと思った」とも言った。S貿易は当時、フランスの宝石商と取引上のトラブルを抱えており、その関係者がやってきたと思いこんでいたせいである。

通訳を介しボルツさんは、警察官に訴えた。

「お店に外国人の入場を断ることは人権侵害です」

しかし警察官は、「人権の問題は、われわれには何もできない。このことはプライベートで話をしてほしい」と対応してくれない。

しばらくして、店主は所要のため中座してしまう。

ボルツさんはのこった店主の母親に「外国人禁止」の貼り紙をはがすように求めたが、彼女はそれを拒んだ。その女性が私の取材に応じてくれた人物である。

さらにボルツさんは彼女に対して謝罪の手紙を求めた。女性は「何を書けばいい?」と聞いたので、ボルツさんは、「日本人の客に申し訳ないことがあると手紙を書くでしょう。それと同じように書いてほしい」と通訳者を介して頼んだ。

店側は日本語で次のように書いた。

「言葉が通じなくてごめんなさい。これしか言いようがありません。アナ・ポルツさん S」

この文面はボルツさんにとっては許容できるものではなかった。問題の要点をはぐらかし、その場をとりつくろおうという意図が感じられたからだ。この人はまったく謝罪していない。そうボルツさんは思い、「あなたは心から反省をしていないような気がします」と相手の女性に対し抗議をした。

すると、こんな返事が返ってきたのである。

「じつは反省していません。頼まれているから書いているだけです。本当は早く帰ってほしいのです」

ボルツさんはびっくりした。この女性は謝罪どころか、ひらきなおっているではないか。これ以上の話し合いは無駄だ。もう我慢の限界だった。

「それなら謝罪文として受け入れなくて、この件を裁判所に告訴します」

ボルツさんはそう言い残して店を出た。入店から三時間あまりが経過していた。

■人種差別撤廃条約を適用した画期的な判決■

ボルツさんは予告どおり、事件から二ヵ月後の九八年八月五日、浜松地方裁判所にS貿易に慰謝料を求める損害賠償訴訟を起こす。

訴訟代理人は静岡県弁護士会所属の小川秀世弁護士である。小川弁護士は当時のことを「じつは乗り気じゃなかった」と打ち明ける。

ボルツさんは当初、自分を差別した宝石店を処罰してほしいという意向を小川弁護士に伝えた。ブラジルには人種差別禁止法が制定されており、人種や皮膚の色、民族、宗教などを理由に差別を加えた者には刑事罰に処される。ナチズムを標榜する行為も同様だ。ボルツさんは言う。

「もちろん、ブラジルにも差別はある。黒人、同性愛、女性に対して。でも、それを行うことは犯罪だと規定している法律があり、ブラジルでは子どもの頃からそれを学びます。日本は過去のアジアへの侵略があったでしょう。私はそのことを知っています。だから、それを教訓にした、人種・民族の差別を禁じる法律があると思っていたんです」

しかし、ボルツさんの勝算を込めた見当は外れてしまう。小川弁護士は、日本には人種差別を禁止する法律のないことをボルツさんに説明し、こう突き放すように、「ここはブラジルではなく日本です。だから訴訟は無理です」と告げるしかなかった。

それでも、ボルツさんはめげなかった。彼女はインターネットを駆使して、役に立ちそうな法律をさがし、人種差別撤廃条約に行き当たった。同条約を日本は一九九五年に批准していることもわかった。この情報をボルツさんからもたらされた小川弁護士は、条文を一読して訴訟が十分に可能であり、勝訴の手応えを得る。

かくしてボルツさんが被った差別による名誉毀損をつぐなうための民事訴訟が提起された。賠償請求額は、弁護士費用や通訳費用を含めて百五十万円であった。

人種差別撤廃条約は以下のとおりである。

第2条 締約国は、人種差別を非難し、またあらゆる形態の人種差別を撤廃する政策及びあらゆる人種間の理解を促進する政策をすべての適当な方法により遅滞なくとることを約束する。このため、(b)各締約国は、いかなる個人または団体による人権差別も後援せず、擁護せずまたは支持しないことを約束する。(d)各締約国は、すべての適当な方法(状況により必要とされるときは、立法も含む)により、いかなる個人、集団または団体による人種差別も禁止し、終了させる。

第6条 締約国は、自国の管轄の下にあるすべての者に対し、権限のある自国の裁判所及び他の国家機関を通じて、この条約に反して人権及び基本的自由を侵害するあらゆる人種差別の行為に対する効果的な保護及び救済措置を確保し、並びにその差別の結果として被ったあらゆる侵害に対し、公正かつ適正な賠償または救済を当該当裁判所に求める権利を確保する。

被告となったS貿易側は、「差別ではない」との主張を展開した。ボルツさんの商品を見る行動が不自然であったこと。九二年に二人組の男に襲われて宝石類を奪われるという被害を受けたことがあり、防犯について神経質になっていること。九八年には「日本人とブラジル人のような外国人の二人」が、カメラと店と北側のゲームセンターとの間の狭い路地を撮影していたのを目撃しており、路地から店の壁を抜かれて侵入されることもありうると心配していたこと。同年五月には警察官三名がやってきて、さきの「出店荒らしにご用心!」という書面を置いていき、このときに「外国人に注意するように」との口頭指導を受けていること、などを挙げた。貼り紙をしたのは警察官の巡回後のことだという。

さらにS貿易側は、「被告らには職業選択の自由があり(憲法第二一条第一項)、選択した職業を遂行する自由を有する。職業選択の自由には、営業の自由が含まれている。営業の自由の下、いかなる者を顧客とするか、入店者の管理をどのように行うかについても私的自治の原則が妥当する。つまり、自由な自主的裁量的判断によって『入店させるか否か』『入店後、退店を求めるか否か』を決することができる。その判断・決定が個人の基本的な自由へ平等に対する侵害となるような場合があったとしても、それが社会的に許しうる限度を超えない限り、公序良俗違反とはならない」(抜粋)と主張し、よって「顧客対象から外国人を除外することもありえ、一概に差別として公序に反するとは言い切れない。なぜならば、外国人は一般的に生活様式、行動様式、風俗習慣、思考方法、情緒等人間の精神活動の面において日本人と異質なものを有していることが多いほか、特に言語上の障害のために日本人との意思の疎通を図ることが難しく、お互いに信頼関係を形成するのが困難であることが少なくないからである」と言い切った。

この偏見に満ちた論理は、ゴルフの会員権資格をめぐって、在日コリアンの男性に対する差別が問題とされた裁判の判決(一九八一年九月)からの引用で、S貿易側はこれを引用したわけである。あくまで判決を求め、九八年八月五日に判決が言い渡させた。ボルツさんの全面勝訴だった。請求した満額が認められた。

判決は人種差別撤廃条例を適用、「店内に入り、ショーウインドーを見物している原告には一般の顧客として何ら疚しい態度は見受けられないのにもかかわらず、被告らが原告をブラジル人と知っただけで追い出しをはかった行為は、その考え方において外国人をそれだけで異質なものとして邪険に取り扱うところがあり、その方法についても見せてはいけない貼り紙などを示して原告の感情を害したうえ、犯罪捜査に関係する警察官を呼び込むような行為は、あたかも原告をして犯罪予備軍的に取り扱うものとして妥当を欠き、原告の感情を逆なでするものであったといわざるをえない」と断罪した。

販売相手を制限することについても、「一般で店舗を構えている以上、その構造と機能から日本人であると外国人であるとを問わず途を歩く顧客一般に開放されているというべきで、これら顧客の見えないところで対策を練るのが妥当」と判断した。S貿易は告訴せず、確定した。

(下に続く)

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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