【連載】17歳の殺人者 第51回 母親の面会も拒み続けて

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母親の面会も拒み続けて

Dが刑を終え、社会に復帰したのは九六年二月。母親は娘さん(Dの姉)といっしょに少年刑務所に出向き、息子の出所を待ち受けた。

「一週間程前にむこう(少年刑務所)の係の方から連絡がありました。息子もだいたいその日はわかっていたようです。娘(Dの姉)と二人でむかえに行きました。やはり、うれしいです。刑を終えて出てきたわけですから、長い間ごくろうさまでした、と言いました。あの子は無口でなにも言いませんので、にっこりともしなかったですが、気持ちは通じたと思うんですけど……」

在監中は一カ月に一度のぺースで、姉とともに面会に通った。ガラスごしに、Dが配属されている労役内容や食事のことを家族側から一方的に質問する。Dはとぎれとぎれに答えたり、頷いた。

Dは拘置所にいる間、姉とは会っていたが、母親との面会は拒み続けたのだった。母親は涙ぐみながら語る。

「当時、面会に行って、差し入れは受け取ってもらえるんです。ですが、待ち時間があって、番号が呼ばれて行くと、"会いたくない"とずっと最後(量刑確定)まで断られていました。あの子の心を私が傷つけてしまったんだと思います。やっぱり、肉親がいちばん味方になってあげられなかったということじゃないでしょうか。

手紙が(拘置所にいる)子どもから来たんです。報道がいっぱいくるから、法廷には来ないでくれ、と。その手紙に対して、お母さんは行きます、罪を見つめていきます、ということを返事で書いたんです。でも、子どもにしてみれば"おまえがやったんだから、罪を見つめていけ"というふうにとったのではないでしょうか。私のことを心配してたと思うんですが、一回だした手紙は取消できませんので……。それ以後、会いたくない、来ないでくれと言われるようになりました。それまでは、あっちの警察、こっちの警察に(呼ばれて)行っても、面会に来るなと言わなかったんです。たった一人の親が理解してくれないと思ったのだと思います」

現在はDと二人暮らし。母親は朝早く、帰宅が遅い仕事に就いているため、顔を合わせるのは深夜か休日だけである。

「息子は、寮みたいなところから勤めに行きたいということは何回も言っていたんですが、仕事を見つけることは困難です。過去をわかって使ってくれる方がいらっしゃるかどうか……。

家は二間なんですが、二間として使えないところで、子どもが六畳にいて、私が三畳にいます。いちいち用事があるときは"入るよ"と言って通ります。起きる時間帯はちがうこともあって、食事はいっしょにはしていないです。最初は私がつくったものを食べていたときがありましたけども、好みはちがいまして、いまは自分で支度して食べているようです。

息子は出所して三カ月ほどはずいぶん(起床が)早かったです。やはり規律ただしい生活をしていたからだと思います。私が起きると、(息子が)なにかノートに書いているんです。たぶん刑務所の中の習慣で生活記録をつけていたのではないでしょうか。それに、ゴミ袋に(刑務所時代の自分の)番号札をつけてたときがありました。さすがにそれは一度でやめました。すぐにここは自分の家だとわかったんでしょう。あと、家にはお風呂がないですから、お勝手で頭を洗っているのですが、腰にタオルをつけてやっています。それも刑務所の習慣でしょう」

「刑務所から出てきてすぐに、三カ所ぐらいの銀行から息子名のキャッシュカードが送られてきましたし、印鑑登録するとか、パスポートを作るからお金を貸してほしいとか、そんなことを言っていました。べつにそんなものを作ったって、行くあてもないのですが……そんなことをして歩いてました。自分が世の中にいるんだ、ということを自覚したいかなにかだと思うんです。いま息子は二十五歳ですが、浦島太郎だと思っています。まだ私は、息子が十七だと思って接しています。気持ちが幼いのではないかと……」

母親は、Dの精神状態を心配している。家にひきこもっているからだ。

「息子はいまは働いてないです。仕事をしたいという気持ちはあるようで、仕事の本(雑誌)を買って見ました。住み込みの仕事をさがしていましたが、いっこうに仕事に行く様子がありません。なにか、外に出るとか、人とのつき合いがすごく怖いのではないかという感じです。自分の過去をみんなが知ってるんじゃないかと。(週刊誌に)名前が出ましたから、みんなが自分のことを知っているんじゃないかと。いまは、自分で食事の支度をしていますので、コンビニに行ったり、レンタルビデオ屋に行ったりするぐらいです。一歩も外に出ない日のほうが多い。会う人もいません。ただ、自分の部屋をしょっちゅう模様替えしたり、モノの整理はしているようですが。出てきたときは、テレビを二台並べて両方ともつけていました。片方でゲームをやっているときもあります。いまは一台になりましたが。昔の友達に会うこともできないし、むこうも逃げるでしょう。おつきあいする人はいません。おねえちゃんが来たときは笑い声がきこえますが……」

母親はDの刑務所生活を詳しくは知らない。が、一度だけ、面会の際に、自分が置かれている状況についてDが話しかけてきたことがあった。それはある種の「警告」めいたものと言っていいかもしれなかった。

「最初は一人部屋ですが、だんだん大部屋になって、同室の人と気が合わないといいますか、いじめられて、また一人部屋になったとか言っていました。

こちらが手紙を出しますが、同じ部屋の仲間がもってきて自分に渡す(システムになっている)から、"(住所を)見られているから、お母さん手紙を出さないでくれ"と言うんです、"おれより早く(刑務所を)出て、家に火をつけられちゃ、お母さんたいへんだから"と。ある方にそういうことをお話ししたら、そういうことはあり得ないとおっしゃっていましたが……。。私は"心配しなくていいよ、住んでいるところを替わるからね"と話をしたんですが、面会室で係の人がいるところで(Dは)そういうことを言ったんです」

ほんとうに少年刑務所内で「いじめ」があったかどうかは確認のしようもないが、Dが他の受刑者に怯えていたことはたしかなようである。

「刑務所のなかでも、いじめられっ子だったようで、人間不信におちいっているところもあると思います。息子がもとから持っている精神といいますか、他人不信というか、そういうところは変わっていないのではないかと……。ですが、事件のときのように巻き込まれていくようなことはもうないと思っております。いまは電話に一切出ないところをみますと、たぶんそういうことなのだろうと思います。仮にそんなことがあっても、逃げると思います」

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