【連載】17歳の殺人者 第50回 事件発覚から九年

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女子高校生コンクリート詰め殺人事件加害少年たちは今……  事件発覚から九年

いわゆる世に言う「女子高校生コンクリート詰め殺人事件」の犯人として逮捕されたのは、A(当時一八歳)、B(同十七歳)、C(同一六歳)、D(同十七歳)、E(同一六歳)、F(同一六歳)、G(同一六歳)の七人の少年たちだった。このうち、成人と同等の刑事裁判が妥当とされ、家庭裁判所から検察に逆送致されたのがA~Dの四人。Eは特別少年院送致。Fは中等少年院送致、Gは保護観察処分になった。うち本書に登場するヒロはE、カズキはFのことである。

Aら四名には、東京地裁で二十数回にわたる公判を経て、Aに懲役一七年、Bに懲役五年以上一○年以下、Cに懲役四年以上六年以下、Dに懲役三年以上四年以下、という判決が出された。

これに対し検察側は控訴。九一年七月一二日に第二審判決が下り、Aは懲役二○年、Cは懲役五年以上九年以下、Dは同五年以上七年以下とより重い刑が科せられることになる。Bについては控訴が棄却された。この時点でA、B、Cの三名の量刑が確定、服役にはいった。Dだけは最高裁に上告したが、九二年七月一七日に控訴を棄却され、ひとり遅れて量刑が確定している。四名が収監されたのは、一六歳から二六歳までが対象の少年刑務所である。

私はDの量刑が確定したとき、事件の記録を『少年の街』という単行本にまとめ、社会に送り出した。裁判記録だけでなく、事件が起きた街を歩き回り、事件に直接的・間接的に関与した少年らから聞き書きしたノンフィクションである。

一九九八年六月現在、AとBはすでに二六歳を超えているため、少年刑務所から一般刑務所に移送されている。すでに述べたように少年刑務所は二六歳が収監可能年齢の上限なので、おそらくCはここで満期をむかえることになる。

一方、加害少年らの家族は、事件まで住んでいた土地や家を離れている。といっても遠隔地で暮らしているわけではなく、いまもB、C、Dの家族は関東圏で暮らす。Aに関しては不明である。私はある報道番組の取材でBとDの母親に会うことができたが、ゆっくりと話ができたのはDの母親だけだった。C宅は門前払いだった。

「少年D」は、この四人のなかではいわゆる「いじめられっ子」で、Aの暴力的支配下に置かれていた。圧倒的腕力を誇り、父権的リーダーシップを併せ持ったAの命令に逆らうことはできず、まきこまれるように犯罪に加担していった。

そんなDが公判で見せた姿は、痛々しいまでの、家族を含めた他者に対する孤立感と、自分と一切の外界を遮断してしまうような精神のあり方だった。たとえば、弁護人との次のような会話がある(八九年十一月十七日・第六回公判)。

――君は今回の事件で、今年(八九年)の四月から二○○日以上も身柄を拘束されているわけだけれども、ずっと独房にいるよね。

「はい」

――ひとりでずっと二○○日以上もいて、早く外に出たいとか、家に帰りたいということを考える?

「いえ、別に考えてないです」

――考えない。

「はい」

――早く家に帰って、お母さんに会いたいというようなことを考えない?

「いえ、考えてないです」

――お母さんに会いたいとも思わない?

「いえ、思わないです」

――ほかにあなたとしては、いま会いたい人というか、毎日考えているような人がいるかな?

「特にいないです」

Dの弁護人が最高裁まで一貫して主張したのは、自己の意思決定能力が欠如しているDを、刑務所にいれても従順に服するだけで人間性回復は見込めないため、少年院で心を育てる教育を受けさせることが適切、ということだった。それが本来の意味でDの更生につながり、再犯を防止すると。しかし、それはかなわなかった。

いま、Dやかれの母親はどんな生活を送り、なにを思っているのだろうか。母親へのインタピュー内容を要約してここに報告する。蛇足だが、一部週刊誌の記者はかれらが住むアパートの大家のところに行き、「ここにコンクリート犯の家族が住んでいるんです」と告げたという。人の罪を云々言う前に、自身の神経を疑ってみるべきである。

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