【連載】17歳の殺人者 第47回 女子高校生コンクリート詰め殺人事件取材日記

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女子高校生コンクリート詰め殺人事件取材日記

私が『少年の街』で描いたことは、この事件の公判記録を軸にしながら、事件の舞台となった街で生活する、たくさんの少年たちの在り様である。四人以外の少年も監禁の部屋には出入りしていたし、少女を監禁していたことは街の大勢の少年たちが知っていた。私は「なぜ?」という疑問を綾瀬という街そのものにぶつけたのである。その結果は絶望的でさえあった。直接的な加害者となった少年らの他にも、女性が監禁されていることを見聞きしていた少年は数十人に及んだ。かれらの「無関心」もまた殺意となって、女性を包囲していたのだ、と私は思わざるをえなかった。

これから日記形式で書きすすめることは、とても余話と銘うつことができるような、余裕棹々とした話ではない。二十二歳の私が息切れしながら取材をつづける過程で、取材ノートやメモの切れ端に走り書きしたり、ときどき道々で腰をおろして考えたことなどを紡いだものだ。いまだに消化できないでいる自問自答の記録でもある。

ワイドショー化した報道合戦の彼方に

●一九八九年某月某日

取材開始、といっても街をぶらつくだけである。ショルダーバッグのなかには新聞や週刊誌の関係記事のコピーがぎっしりと詰まっている。殺された女子高校生の写真をでかでかと載せている雑誌が多い。まるで見せ物だ。事件の本質には関係のないことなのに。ワイドショー化した報道合戦にはうんざりさせられる。

と、思っていたら、少女を監禁していたC少年宅前で、ワイドショーの中継をしていた。ずんぐりした体型で、髪をきちんと七三に分け、いつも地味な色のスーツを着ている女性レポーターだ。家を背にして、自分のノートを見ながら、しゃべる台詞を復唱している。神妙な顔つき。カメラが回りはじめると、よりいっそう神妙な顔つきになり、「この家の二階でひとりの少女が四○日間も監禁されていたのです……」と報告している。

自転車に乗った高校生ぐらいの女性が付近を通りかかった。彼女たちは、めざとくそのレポーターを見つけ、「Sさーん」と手を振った。そして、そのうちの一人が「わたし、Cくんと同級生だよ」と、数メートルはなれたところにいるテレビの取材クルーに聞こえるように言ったのである。その声を聞きつけたのはロケバスの運転手だった。運転手はその旨を取材クルーのところに伝えに走ったが、ディレクターはその話に興味を示さなかった。

レポーターは帰り際にロケバスから顔を出し、その女性たちと握手をしていた。レポーターは車内にあった飴を彼女たちにふるまい、ニコニコと手を振りながら去って行った。彼女たちもうれしそうにおどけあって手を振り返す。このアカルサはなんなのだろう。吐き気がする。

だが、その数人の女性たちをさそって、私はちかくの喫茶店に入った。C少年と同級生だったという高校一年生の少女は、ケーキを食べながらCについて「そんなことやりそうなコじゃなかった」と語った。そして、主犯格といわれるAについても「思い出」を教えてくれた。たぶん、あのレポーターに話したかったであろう内容を私にむける。

「私たちが部活とかやってると、学校のフェンスの隙間から顔をのぞかせて、"オーイ、がんばってるかあ"なんて言ってくれましたよ。でも、なにやるかわかんない、スゴくおっかないヒトだったから、事件を聞いたときは、やっぱりって思いましたね」

私は、残忍な殺人事件を前にして淡々とアカルクしゃべる少女に違和感をおぼえた。自分が事件を起こした少年たちと共有した時間や空間。それと「事件」とは乖離しており、まるで関係がないかのような口ぶり。お母さんから綾瀬には行ったらだめって言われてますから――そう言って自転車に乗った少女たちは行ってしまった。

この日、何人もの地元の少年や少女に声をかけてみたが、みな似たような返答ばかり。身近な者が起こした事件を考えるより、やはり自分の進学や就職について悩むほうが大切なようである。

反逆行為の形骸化が弱者へ向かう

●一九八九年某月某日

監禁の事実を知っていた一八歳の少年に会う。中学を卒業して、いまは大工見習い。人手不足のせいで、高給なのだそう。藤井さん金ナイでしよ、と居酒屋でおごってもらった。

「中学んとき、いつもね、イライラしてたんですよ。なにやってもつまんないし、うまくいかないしね。でも、学校とかセンセにはあんま反抗しないんですよ。なんとなく、うまくやっちゃうんですよ。だって、いちいち反発とかしてたら疲れるじゃないですか。それに、センセもおれたちをまともに相手にしてたら神経すりへっちゃうし、適当に遊ばせといてくれるんですよ。べつにセンセをぶん殴ったってなにか変わるもんじゃないし。

むかしとちがうんですよ。むかしは、学校おもしろくねえっていうのがタテマエとしてあったと思うけど。いまは、そういうツッパル理由みたいなものがわかんなくなっちゃってて、みんな階段を踏み外すんじゃないですか」

かつて、ツッパルということはなにかへの対抗行為だったり、反逆行為だった。私が中学生だった時代はまちがいなくそうであった。しかし、それが形骸化してしまったとしたら、少年たちは心身の内側にためこんだものをどこにぶつけるのか。自傷か、弱者へとむかう回路。いけない。これではいけない。

かれが言ったことをわれわれにあてはめる。この暖昧模糊とした時代。さまざま二極対立の構造が崩れていくなかで、われわれが相対すべきものはなんなのだろうか。

●一九九○年某月某日

公判を傍聴。四人の少年たちが自分の親と断絶してしまうおおきなきっかけに、「警察への通報」がある。つまり、親がわが子の振る舞いに堪えきれなくなり、通報。あるいは親が学校に相談したところ、そこから警察に連絡がまわってしまった、というパターン。たしかに親も学校も判断を誤っているのだが、同時に子どもの問題を相談できる機関がない、という現実も表している。児童相談所などがあるが、どうも敷居が高いうえ、官憲のにおいがする。そこに駆け込むと、家の恥と思わせてしまう。はじめから子どもを管理、監視してやろうという姿勢のところが大半である。

そうではなく、スクールソーシャルワーカーのような専門家を配置できないだろうか。それは学校や更生施設のような立場でなく、あくまで第三者。子どもの人権を重んじる。そういう制度があり、親たちが子どもの問題をもっと気軽に相談できたならば、事件は未然に防ぐことができたかもしれない。少年たちの問題に、子どもの側に立って関わる人間は多いようで、じつはまったく足りないのだ、と痛感。

●一九九○年某月某日

少年たちが女子高校生を監禁していた部屋に出入りし、輪姦にも加担したカズキ少年(仮名・事件当時一六歳)の居所がわかった。かれは刑事裁判に付されるのを免れ、中等少年院送りになっていた。カズキは四人の少年以外で、もっとも監禁の部屋の様子や事件の経過を知っている少年だったので、どうしても会って取材がしたかった。

かれは少年院を出たあと、綾瀬から姿を消していた。自宅も移っていた。そのかれが千葉県の某市に住んでいて、同市内の病院に入院しているという情報をひとりの少年が教えてくれた。その少年はカズキの一年先輩にあたる。

私はその少年と病院をたずねた。受付で確認するとたしかに入院している。交通事故による骨折だそうだ。病室をのぞくと不在。テレビなどがおいてある休憩室に行くと、ソファーに座ってタバコをふかしているTシャツ姿の少年がいた。松葉杖を傍らに立て掛けている。

私に同行してくれた少年が「おう、カズキ」と声をかけた。カズキは一瞬ビクッとして、こちらを向いた。私たちはそこに座り、突然の来訪の説明をした。カズキは「わかりました」と了解した。私は「今日は初対面なので、また数日中に来ます」と言い残して病院を出た。

その夜、自宅にカズキから電話。

「今日はビピリましたよ。あの先輩たちには、よく殴られたりしたんです。ジブンは綾瀬から逃げてきていて、昔の先輩たちにはもう見つかりたくないって思ってたのに。だから、ジブンのことを追いかけてきたと思ったんですよ。もうカンペンしてくださいよ。怖いんですよ。だから、取材はやめてもらえますか」

その場では取材を引き受けたのは、「先輩がいっしょだったから、断ったらなにをされるかわからないからだった」と言う。電話の声はたしかに震えていた。

私はカズキに迷惑がかかるのを懸念して取材をあきらめた。くやしかったが、仕方がない。そのうえ、カズキの母親や、彼がはたらいている土建屋の社長からも抗議の電話がはいる。両者とも「保護者の許可も取らないで、勝手に子どもに接触するとはとんでもない。あの子はまだ自分で判断できないのだから。それに、終わったことだから、そっとしておいてくれ、また取材に来るようなことがあったら、ただじゃ済まさない」というやや脅しめいた内容。これにも、「わかりました」と答えるしかなかった。こうして事件はうやむやにされていくのだ。

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