【連載】17歳の殺人者 第40回 母との断層

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母との断層

Dは小学校から「いじめられっ子」だった。自分の気持ちをうまく伝えることができず、したがって発する言葉が誤解されやすく、嘲笑の対象になった。泣かされて帰って来ることは日常茶飯事だった。

三年生のとき、教室で、机と机のあいだの通路を通ると、足を出されて転倒させられた。足を出した子どもにDがやり返すと、なぜかDだけが教員から叱られたという。

Dの被っていた帽子や本が三階の教室の窓からほうり投げられた。何度もやられたため、Dは黙々と一階と三階の往復を繰り返さなくてはならなかった。

小学校四年生のとき、Dはヘルニアにかかり、腹部に包帯をまいて学校に通っていた時期があった。ある日、Dは泣きながら家に帰ってきた。背中には靴の跡がついている。土足で踏みつけられたのだった。学校の外まで追いかけられ、ほうきでも叩かれた。クラスの友だちが「Dは病気じゃないのに、包帯をまいている」とからかったのがきっかけだった。

五年生のときには、顔面が紫色になるまで殴られて帰宅したこともある。運動場で五人に囲まれてやられたという。六年生らが数人まわりを取り囲み、「やれ、やれ」とはやしたてた。Dは帰宅すると「お母さん、ぼく一対一なら勝つけどね、そんなに多くでやられたんじゃ勝てないよ」とつよがった。

いまでもDはズボンのウエストをきつく締めるくせがとれない。なぜなら、とつぜんズボンを下げられてお尻を見られたり、トイレをのぞかれたりしたことが何度もあったためである。

Dの母親は東北生まれで、中学を卒業して美容師の免許を取得したあと上京し、都内で結婚した。年子で姉とDの一男一女をもうけたが、離婚。別れた父親はその後、交通事故で死亡している。以後、パートの収入だけで、親子三人の生活を支えてきた。

母親はいじめられて泣いて帰ってくるDに、いつも「負けるんじゃない。いじめられても、やりかえしなさい!」とはげましていた。

母親はあるとき、いじめられて帰ってくる息子に「クラスのだれかが止めにはいってくれないの?」と聞いたことがある。

すると、息子は小さな声で答えるのだった。

「だれかが止めにはいったり、先生に言ったりすると、今度はそいつがいじめられる番になるから、みんなしないよ」

ヘルニアの一件では、母親は学校に出向き、担任に「息子がいじめられているので、注意してほしい」と頼んでいる。運動場のリンチのときも、だれにやられたのかを調べるために母親は近所を歩きまわっている。が、母親の行動はDには伝わっていなかった。

Dが幼いころの出来事だ。近所の駄菓子屋で万引き事件が起き、Dが疑われた。商店主が家に来て、Dが一○○円のガムをとったと言う。店主は、二度とDがそういうことをしないように言い聞かせるよう、母親を叱った。母親はうちの子はそういうことをするはずがない、と思ったが「どうもすみません」とあっさり一○○円を支払った。お金を払ったあと、Dに確かめると「やってない」と認めなかった。しかし、まあ、謝ってすんだことだからと、それっきりになってしまう。それがあとになって息子との断層につながるとは考えもしなかった。

こんなこともあった。Dがずっと以前から大事にしていた九○○○円ぐらいの真っ赤なラジコンカーが家から消えた。お勝手場の戸に侵入の形跡があり、近所をさがすと、二歳上の顔見知りの子どもがそのラジコンカーで遊んでいた。それを見てDは「ぼくのだ」と母親に訴えた。母親が見てもまちがいなかった。しかし、母親がDに発した言葉はDの思いを否定するものだった。

「そういうことを言っちゃいけない。人を疑っちゃいけないよ」

中学の頭髪検査の際、「パーマをかけている」と教員にとがめられた。Dは天然パーマである。かれはそのことを説明しようとしたが、教員には言い訳としかうけとられず、体罰をうけた。Dはこの理不尽な出来事を母親から学校に訴えてほしかったのだが、母親は教員にまるめこまれてしまう。

Dの母親は以上のようなエピソードを私に話したあとに言った。

「心にゆとりがなかったのだと思います。まわりを気にして生活をしてましたから。母子家庭だということで、変なことを言われたくなかったんです。言われたくないから、とりつくろうっていうのか。母子家庭だからということで、子どもが悪くなったんだということを言われたくない……」

だから、母親はDとよく遊ぶように心がけたという。ドッジボールをしたり、トランプをしたり、遊園地に行ってジェットコースターに乗ったりもした。

しかし、Dの胸にはたったひとりの親に「助けてほしいときに助けてもらえなかった」という、母親の努力を無効化する鬱積がすでに蓄積されていた。

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