【連載】17歳の殺人者 第37回 人を受け入れるということについて

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人を受け入れるということについて

〔B君へ

返事を書いてくれて本当にありがとう。ぼくのほうからの返事がすごく遅れてしまってごめんなさい。(中略)

人を受け入れるということはどういうことか――このテーマは一生かかっても答えがでないことかもしれません。人を自分自身の中に受け入れるということは、そう簡単なことじゃないと思うし、やり方によっては相手も自分も傷つけてしまうことだってあるかもしれない。

(中略)

人を受け入れるということは、相手の話や言葉を真剣に聞き、相手の怒りや悲しみ、楽しさといったことを少しでもたくさん共有する努力をすることだと思う。相手の気持ちになって、いっしょうけんめい考えること。たとえば、相手が誰かに足を踏まれてとても痛い、と感じていたら、その痛みをわかろうとすること、じゃないかな(以下、省略)〕

〔前略藤井さん

手紙、有り難うございます。

ぼくは「人を受け入れる」という事の一つに、その人の存在を認めるということも入っていると思います。

何日間か一人でいて、人が恋しくなると無条件に人を受け入れることができると思います。それは自分の勝手だけかもしれませんが、人に接しているとなれてしまったり、余裕がなくなったり、考え方がせまくなったり、すると思います。相手がどうでもよくなってしまうとだめだと思います。

相手の痛みを判ろうとすることは、それ以上にない事だと思います。

最近までの僕は、人を受け入れるというのは、どのようにすればできるかという事だけを考えていました。だから、全く判らなかったし、ただ言葉のとおりに思っていました。人に受け入れられるということを考えだしました。それは僕にとって本当にうれしい事だと思いました。

この気持ちは、相手の人と話しをする時でも、何をする時でも、人と接するときは自分の考えの中に常にいれておかなくてはいけないと思います。

人を受け入れることが、本当の意味で、できるようになるにはいつになるか判りませんが、僕もずっと考えていきたいです。内容がばらばらですみません〕

私はBへの返事のなかに、綾瀬という街についていまどう思っているのか、ということも聞いていた。

〔綾瀬については、今やアメリカやソ連のような遠い国のような気持ちです。それに警察の人に、綾瀬で石を投げればこんなのに当たる、と言われました。僕達みたいのは他にはいません。綾瀬を汚してしまい、もうしわけなく思っています。

事件以前は綾瀬駅近くで遊んでいる友達のいる場所が判るきっさ店やパチンコ屋とか、友達のいる所が判る安心感を持っていました。たまり場が判るというか、そういう感じでした。店員と知りあいだったりするのも安心感に入っていると思います。

いろいろな気持ちがあるので、うまく伝えられないのです。

平成二年六月二十日 B〕

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