【連載】17歳の殺人者 第22回 「なんで殴っているのかなというのが、あんまりよく分かりません」

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「なんで殴っているのかなというのが、あんまりよく分かりません」

一九八九年十月二日、Cが被告席に座る番になった。四人のなかで最年少のCについて、弁護団は意見書を提出している。同意見害は被告人であるCを「保護処分に付するのが相当である」と述べ、「すみやかに少年法第五十五条にもとづき、事件を東京家庭裁判所に移送する」ことを求めている。その主な理由として「被告人の精神的・人格的未成熟」を指摘、「主体性の欠如からくる他者への追従性、認識力・洞察力の欠如、欲求抑制力の未形成」をCの人格上の問題点として挙げた。

そして、その未成熟さをもたらした基本的要因として家庭教育と学校教育の問題を指摘している。

意見害は言う。

〔被告人は幼少時より両親が共働きという環境で育ったが、両親の家庭教育での対応には重大な問題があった。父親は、被告人の児童期まで酔って体罰をふるうという理不尽な「しつけ」を行っていたが、それは、被告人に反発を生んだだけで、被告人は母親に対するわがままと反抗を強めていった。そして、中学入学頃からは、父親は、体罰を止めると同時に父親としての権威を完全に喪失し、母親は引き続き「甘え」の対象であり、結局、被告人の家庭は、被告人に対する教育をほとんど失っていった。被告人が、母親は引き続き「甘え」を続けながら、自己の欲求が容れない場合には暴力を振るうようになっていったのは、そうした親子関係の結果であった〕

弁護人の質問から。

弁護人:そういうもの(欲しいもの)を買ってくれないとか、それから夜七時ごろになって、夕食の支度が遅れるとか、それから「勉強、教えてくれ」と言うのに分からないときとか、君はお母さんが気にいらないと、お母さんに対してどんなことをしましたか。

「初めのうちは、なんかテーブル蹴飛ばしたり、そのへんにあるものを投げたり散らかしたりしていました」

弁護人:それは、いつごろのこと。

「それが、小学校の四年生ぐらいだったと思います」

弁護人:お母さんのことをぶったりするようになったのは、いつごろから。

「小学校の五年生ぐらいだったと思います」

弁護人:お母さんが例えば、仕事から帰って来て食事の支度をするのは、君はどう見ていたの。

「そういうのは、なんか当たり前というか、そういうふうに思っていました」

弁護人:お母さんがしてくれるのは当たりまえだと思って、お母さんに暴力を振るっていたのだけど、中学時代もやっぱりお母さんのことを殴ったりしていたの。

「はい」

Cが母親に対して暴力をふるいはじめた時期は早い。食事の支度が遅れたり、学校の成績が下がっていらついたりすると、無抵抗の母親を痛めつけることが日常化していく。暴力をふるっていると我を忘れた。

弁護人:殴っている最中に、殴っていた原因自体が、自分自身も分からなくなっちゃうということはなかった。

「ありました」

弁護人:殴っていると、どんな気持ちになっちゃうの。

「殴っていると、興奮するというか、それで、なんで殴っているのかなというのが、あんまりよく分かりません。それで、原因というか、そういうのがどんどんずれていくという感じなので」

しかし、Cは母親の腕にあざができるほどの暴力をふるったあと、一転して今度は母親の膝枕で甘えるなどの行動に転じることもあった。

弁護人:君はお母さんに膝枕してもらうのが好きだったの。

「気持ちがよかった」

弁護人:膝枕してもらって、君はお母さんになにしてもらうのが好きだった。

「耳掃除とかそういうことです。してもらうのが好きだった」

弁護人:そういうことをしてもらっているときは幸せな気分だった。

「はい、なんかそこで寝たいなというか、そういう」

弁護人:お母さんのこと、やっぱり優しいなと思っていたんだ。

「はい」

弁護人:そういうお母さんを殴って、お母さんのこと、かわいそうだと思わなかったかな。

「そういうふうに思ったときもあったのですけど、なんか暴力というか、そういうふうにやめられなくなっちゃったという感じだった」

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