【連載】17歳の殺人者 第15回 少年Aの生い立ち

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少年Aの生い立ち

弁護人の冒頭陳述から、Aの生い立ちをひろってみる。

〔被告人誕生のころ、父は証券マンの仕事がら帰宅が遅く、家族と一家団簗の夕食をともにすることはめったになかった。また、歩合制によって給料を得ていた父は、昭和五○年頃までは収入難であり、母がピアノ教師をして生計を立てざるを得なかった。(中略)母は夫からの金銭面や女性問題等の葛藤を背負わされると、度量のあった父と夫を比較しつつ、夫への不満の代償として被告人に高い期待をかけ、幼い被告人を将棋道場や英語塾に通わせたり、公文式算数テストを受けさせたりし、家庭では細かいことまで厳しくしつけた。

小三の時、被告人は深夜父から叱られた際、父の「出ていけ」という言葉に対し、パジャマで家をとび出し、数時間帰宅しなかった。心配した母は被告人を探し歩いたが、父は自宅の部屋でテレビを見て寝そべっていた。この時、被告人は隣家の三階屋上から我が家の状態を観察しており、父の態度が手に取るように見えた。自分を心配してくれた母と自分を心配してくれない父の姿が、被告人の心に鮮明に焼きつけられた。この出来事により、父と被告人の間に大きな心の亀裂が生じた。被告人は本来父から与えられるべき「ルール」の学習機会を得ることなく、かえって「威嚇」と「溺愛」という矛盾した母の指導により、自然な情愛をはぐくむ機会を奪われ、葛藤を強化させられていった。そして、他人との関係を適切に結ぶための「社会化」の学習を達成しえないまま高学年に至り、蓄積したストレスが、思春期の入口にさしかかろうとする被告人の我慢の限界を超えて爆発し、「家庭内暴力」の状況を生ぜしめた〕

Aは小学校でも番長格をのしたことがきっかけで暴れまくるようになる。区内の小学校に殴りこみをかけ、手当たりしだい器物を破壊した。戸塚ヨットスクールに入れられそうになったこともあった。Aの母親は担任のすすめで警視庁の少年補導センターに相談したこともある。

親は荒れる息子を気づかい、小学校六年になったとき、柔道の町道場にいれた。Aは柔道に熱中した。中学にはいると、柔道部に入部、地区大会の個人軽量クラスで優勝するなど、大活躍をした。と同時に、「けんかがやたら強くておっかない」先輩として有名になる一方、女子生徒には人気があった。

高校は柔道の特待生入学で、柔道の強い生徒を集めることで有名な都内の私立校に入った。

その後は冒頭陳述書にこうある。

〔同校柔道部にはエリートが集められ、練習も厳しいものがあった。それに加えて、上級生の中には後輩をしごく者があり、被告人が気絶するまで絞めわざをかけたり、殺虫剤のスプレーを噴射させライターの火をつけて被告人に火炎を噴きつけるなど、上級生による「しごき」にあった。軽量級で身体が小さく反発心の旺盛な被告人は格好の「しごき」の対象となった〕

そのしごきは「死の恐怖」を感じるほど激しく、陰惨なものだったという。Aはしごきの反動で以前にもまして家庭内で暴力をふるったり、道で出会う者にかたっぱしからけんかを売るようになる。かれは部をやめざるをえなくなり、それはスポーツ推薦で入学した者の敗北を意味した。

退部後、駅のホームで他校の生徒とケンカして、無期停学処分をくらう。学校に復帰したあとは授業についていくことができず、綾瀬駅前にたむろして酒を飲んだり、暴走族の仲間とケンカを他グループにしかけにいったりを繰り返すようになった。退部はそのまま挫折となり、家庭内暴力も一気に加速していったのだった。

Dの姉とは毎日のように会っていたが、八七年の二月に家出してきたDの姉の友人がAの家にしばらく泊まったことがきっかけで、Dの姉までも「不純異性交遊」という理由で通っていた高校を退学になってしまう。Aも高校に行かなくなり、中学時代の同級生の父親が経営するタイル店で働くことになった。

Aはまじめに働き、店のスタッフからも息子のようにかわいがられた。しかし、夜になると綾瀬駅周辺で酒を飲み、バイクで暴走行為を繰り返した。酒の勢いで東綾瀬中学に仲間と侵入し、机や椅子でバリケードをつくり、消火器を噴射させたこともある。

Aはこの事件で六月に建造物侵入で逮捕され、保護観察処分となる。が、再びタイル店の厚意で雇ってもらうことができた。Aはまじめに働き、そんな生活が一○カ月も続く。

しかし、Aの転落は翌八八年五月、一八歳になった時に運転免許を取るために長野県下の教習所の合宿に出かけたことがきっかけで始まる。そこで暴力団員と知り合い、数えきれないほど遊びにつれまわされ、すっかり遊びぐせがついてしまったのである。

綾瀬に戻ったAは親に買ってもらった新車を乗りまわし、暴力団の青年部にいた友人から恐喝の手伝いを頼まれたりするうちに、暴力団幹部から本格的に誘われる。幹部は新宿や銀座を縄張りにしているテキヤで、地元で花屋「フラワーフレンド」も営んでいた。

Aは幹部につれられマニラ旅行をしたあと、新宿でニセブランドのシャツを売らされたり、暴力団事務所や花屋の店番までやらされるようになった。何度もやめたいと申し出たが、そのたびに酒を飲まされ、ぐでんぐでんに酔わされ、まるめこまれた。

Aはそんな私生活のストレスから逃げるためにシンナーにも手を出すようになる。シンナーにおぼれたAは幻覚や幻聴におそわれるが、さらに深く依存していく。AがCの兄のバイク事故をきっかけにCの家に出入りするようになるのはそんな生活の最中だった。女性を監禁する二カ月前のことだ。

女性を監禁したあともAは暴力団幹部との関係を切れず、忘年会などにBらを引き連れて参加させられている。その中で暴力団の青年部の結成を約束させられ、暴力団舎弟を誇示するためのバッヂを渡されている。その青年部がすなわち「極青会」だった。

裁判官はAにこう声をかけたことがある。

――君にとって、この事件の責任を取るということは、まず、どういうことから始めなきゃいけないと(弁護人や家裁の調査官から)言われたのですか。

「あなたがやったことを正直に話すことなんだから、あなたは嘘や偽りを言っちゃいけません、と。それで、本当のことをちゃんと隠さず話しなさいって言われました」

――そうですね。君にできることは、それしかないんだよ、ということも言われたでしょう。

「はい」

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