【連載】17歳の殺人者 第13回 自白の瞬間

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自白の瞬間

一九八九年三月二九日。

東京・練馬少年鑑別所。

足立区の綾瀬警察署から、二人の捜査員が出向いてきていた。

鑑別所には、その年の一月に強姦等の容疑で取り調べを受け、家裁に送られていたAとBの身柄が収容されていた。

前年の十一月一六日、東京・足立区綾瀬のマンションで三六歳の母と六歳の長男が惨殺された。前述した綾瀬母子殺人事件である。犯人の遺留品や目撃者はなく、捜査は難航していた。

現場付近を中心に綾瀬地域の少年たちが手当たり次第にチェックされたが、事件発生から四カ月たっても犯人の目星はつかず、その捜査の一環として、強姦事件についてすでに家裁送りが決定していたAらのところに、審判の前日にあたる日に担当捜査官が出かけて行ったのである。

が、捜査官は思いもかけぬ事件をAから聞くことになるのだった。

当時の状況について、Aは裁判官の質問にこう答えている。

――今度の事件について(捜査官に)話したのは、何日だったか覚えている?

「三月三一日か二九日、あ、二九日です」

――逮捕されて二カ月くらいたった日に、話してみようと思ったきっかけ、その気持ちの変化はどんなところにあった?

「長くなっちゃうんですが、いいですか?」

――言いなさい。

「最初につかまって、再逮捕、再逮捕と何回もされてて、それで(別件の)傷害事件の被害者(この事件のことを知っていた)とかがしゃべっちゃうんじゃないかと思って……。あれは何日だったか……それで裁判所に行ったときに、幻聴、幻覚がひどくて気が狂いそうだったので、自白しようかと思ってたけど、自分だけがやったんじゃなくて、C、Dも混じってたんで、鑑別所を出たら自白しようと思ってて……」

――そういうことを思ってて、なかなか言えない日が悶々と二カ月間つづいたわけだけど、二カ月後に、この日に言ってしまおうと思ったときの様子は?

「ジブンの担当刑事さんが鑑別所に来て、ジブンの顔を見て"お前、人を殺しちゃだめじゃないか"と言ったんで、ドキッとして(この事件を知っていたほかの少年たちが)言ったんだな、と思って"すみません、殺しました"と言いました」

完全なかまかけだった。捜査員は母子殺人事件のことでAに質問をしたつもりだったが、思いもよらぬ答えが返ってきたのである。

Aの「自白」を途中まで聞き、度肝をぬかれた捜査員は、すぐに別室のB担当の捜査員に連絡、その捜査員がBにAの語ったことをぶつけると、Bはせきを切ったように自分たちが犯した行為をしゃべりだしたのである。これが世を震憾させた大事件発覚の端緒だった。

同署の刑事が二人の自供を頼りに江東区・若洲一五号地の海浜公園整備工場空き地に向かい、現場にポッンと転がっているドラム缶を発見する。

遺体を解剖した担当医の供述。

〔解剖の際、測った体重は四四・六キログラムであった。皮下脂肪の厚さは通常で一・五センチメートルくらいであるが、被害者の場合は一センチメートルとかなり減っていた。たいへんな栄養失調状態であったとも考えられる。

これがすべて、腐敗による減少だけとは考えられない。腐敗による体重の減少は四~五キログラムぐらいだと考えられる。以上のようなことから、死亡時の体重は、四八キログラムくらいだったとしてもおかしくないと思う。皮下脂肪が一センチメートルくらいしかなかったので、相当な運動障害があったことはまちがいないが、それから食事をしていなかった期間を推定するのは、なかなか困難である。水さえ飲めば、数日間は生きている。どの程度、食事をとっていなかったか、死体から推定するのは難しいが、関係者の供述によって、三週間くらいはほとんど食事をさせていなかったという話がある。それは、信憑性があると思う。

死体の全身に、殴打によるものと見られる浮腫が認められた。外傷性ショックを誘発することは十分考えられる。早期に医療が加えられれば別だが、数時間放置し、措置を行わないと、外傷性ショック状態に陥っていくわけで、かような場合の受傷者の生存は、だいたい半日程度までである。本件被害者の場合、最後に暴行を受けた際に、自力で起き上がれない状態だったというのは、ショック状態が出ていたと考えられる。したがって、半日以内に死亡したであろうと推定される〕

ドラム缶にコンクリート詰めにされていた遺体は、前年の一九八八年十一月二五日夜、アルバイト先から帰宅途中で行方不明となり、家族から捜索願いが出ていた、埼玉県三郷市に住む女子高校生であることが確認された。

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