【連載】17歳の殺人者 第11回 加害少年らの住んでいた街へ

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加害少年らの住んでいた街へ

私は事件発覚の第一報を三月末日の夕方のニュース番組で知る。加害少年らの非道ぶりに唖然とし、かれらへの怒りで、がくがくと身が震えた。

事件の全容が明らかになるにつれ、一部のメディアは加害少年たちを「人ではない。野獣がふさわしい」と断罪、少年法六一条をあえて破り、A、B、C、Dの実名を公表した。十七歳にして無残にも命を奪われた少女の絶望を思うと、実名報道というメディアの社会的制裁をさもありなんと私は感じていたが、全面的に支持もできなかった。

と、同時に私は事件を報じるニュースに見入るうち、腹の奥底からせり上がってくるような衝動をおぼえるようになった。殺人を犯した加害少年らの住んでいた街に行ってみようと思ったのである。かれらをつないでいた人や風景に分けいり、身を投げ出すように歩めば、事件のなにかしらの真実をつかむことができるのではないか。

私が、足立区綾瀬地域をひとりで歩みはじめたのは、四少年の逮捕からおよそ一カ月半が経ったころだった。

まず私が真っすぐに向かったのは、少女が監禁されていたというCの自宅だった。

十数坪の敷地いっぱいに建つ二階建ての家。行き止まりの四メートル道路をはさんで六軒の建売住宅がひたいをよせあうように建っている。どの家もほぼ同じぐらいの敷地で、家とすきま家のあいだはやっと人が通ることができるくらいの隙間しかない。ありふれた住宅街の一角だ。

家の前の電柱を見ると、半分ぐらいの高さまでしか「足かけ」がない。はて、と思い近所のひとに理由をたずねると、少年たちが電柱をよじ登り、かねてからたまり場にしていた二階のCの部屋に渡り移るため、近所の人の通報によって電力会社が取り外していったのだという。

付近にはテレビ局のロケバスが何台も停車している。上空にはヘリコプターがすれすれに旋回していた。バババッというプロペラの旋回音が近づいたと思ったら、すぐに遠くなる。昼間のワイドショーで見慣れた女性レポーターが神妙な顔つきで、住人の消えた家のまえで、惨劇の説明をしていた。

近所の住人たちは取材をいやがった。玄関の扉から顔だけ出して、私の質問が途切れそうになると、すぐに扉をしめようとした。

「あの子たちがねえ。とても信じられませんよ」

「女の子が出入りしているなんて、一度も見たことがなかったですねえ」

「とても四○日間も監禁されていたなんて信じられないわ。だって、大声もなにもしなかったんだから。ただ、ステレオの音がうるさかったのは昼間の一時間ぐらいで、二時間をこえることはなかった。わたし、時計で計ってたから。いま考えるとその時間に(リンチを)やっていたのかしら」

「バイクの音がうるさいから、あの子たちに注意したんです。そうしたら、"ここはオマエの道路か!"と言うんです。そんなことを言っていると、ろくな大人にならないぞって言うと、"うるさい、ぶっ殺すぞ!"と怒鳴られたことがあります」

六軒の家が向かい合う路地の反対側にちいさな公園がある。ちいさいといっても砂場やブランコなどがあり、小学校低学年ぐらいの子どもと父親がサッカーに興じている。息子が必死でボールを追う姿を見て、「ほら、がんばれ」と父親が声をかけている。十分な緑もある。近所の人はCたちが夜になるとそこでたむろしていたのをしょっちゅう目撃していた。かれらが残したのかどうかわからないが、公園内の椅子に「刑死庁」などの字がスプレーで落書きされていた。

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