草食系男子や女性キャラクターをやり玉に上げる「フェミニスト」たちについて感じる2、3の事柄

本当に目指すべきフェミニズムとは?(写真:ペイレスイメージズ/アフロイメージマート)

 現代ビジネスに掲載された御田寺圭氏の『流行りの「草食男子叩き」「非モテ男叩き」が、あまりに理不尽なワケ』で展開されている議論が、最近の「フェミニスト」の問題点を詳らかにしているようで、大変興味深く読んだ。筆者は先日、ハフポスト日本版の「#私たちのフェミニズム」について批判的に論じたが、これに通底するものがあるように感じる。

 

 ※「善意のモラリスト」のSNSスクラムでネット議論が無理ゲーだと思わされた「#私たちのフェミニズム」

 

 まず、「フェミニスト」たちが底本としているのが、『最後の恋は草食系男子が持ってくる』『草食系男子の恋愛学』の森岡正博氏の論考だということに若干の戸惑いを覚える。前者が2009年、後者が2010年の刊行ともう約10年前の著作で、以降社会学的に「草食系男子」のアップデートがなされていないという証左のように思えるからだ。

 筆者はミニコミ誌『クリルタイ』で、森岡氏にインタビュアーの一人として話を聞いたことがある(参考)。『クリルタイ』は当時「非モテ」について語っていたはてなユーザーが中心になって編集されており、その一環として森岡氏にインタビューしている。そこで森岡氏は、ネットでの議論について調査をしていたことや、「草食系男子」という言葉を担当編集から提案されるまで知らなかったことを言明しており、さらに『草食系男子の恋愛学』は「非モテ」を読者対象として捉えていたと語っていた。御田寺氏は「フェミニスト」による「草食男子と非モテの混同、あるいは合流」を批判的に捉えているが、2005年頃より盛り上がったはてなユーザーによる「非モテ論壇」は両者が地続きだったし、森岡氏もターゲットの「草食系男子」を厳密には捉えていなかったということを踏まえる必要があるように思える。

 余談になるが、「非モテ論壇」に参加していたはてなユーザーたちで結婚して家庭を持った者も少なくない。10年経てば人の立場も考え方も変わるのに、未だに「草食系男子」のマッチョ的思考を(それが無意識だったとしても)探し出して糾弾するという構図については、困惑を禁じえないし「フェミニズム」の停滞と捉えることができるのではないだろうか。

 

 最近では、2019年10月に『宇崎ちゃんは遊びたい!』の赤十字コラボが「過剰に胸が強調されている」と批判され(参照)、2020年2月には『ラブライブ!サンシャイン!!』の高海千歌と沼津市JAなんすんのコラボパネルが「股間のシワが強調されている」として撤去される事態と、立て続けにキャラクターが「フェミニスト」のやり玉に上がっている。これは2015年8月に伊勢志摩をPRする碧志摩メグが市公認の反対署名が集まり辞退し、同年11月にアニメ『のうりん』の良田胡蝶のポスターが「胸元を強調している」として撤去された頃と空気が似ているように思える。

 あくまで負の部分に目をつぶってポジティブな面のみを捉えるのであれば、公的機関や地方振興の旗振り役として女性キャラクターが起用されるということは、より女性の活躍の機会が広がっている(コンテンツのアニメ製作者や漫画家・声優に女性も関わっている)わけで、それを批判して撤回あるいは撤去を求めるというのは、女性の社会進出の可能性と「性的な視線があるかもしれない」という可能性をトレードオフしていると見ることもできる。果たしてそれが本来のフェミニズムに即した行動や言動であるのか、疑問に思わざるを得ない。

 話を戻すと、森岡氏は恋愛に対して「奥手の人」にとって内面的な自信を持つことの大切さを説いている。この「自信のなさ」というのは、当時20~30歳代で就職氷河期世代のはてなユーザーたちが積み上げていくのが難しかったことでもある。社会的(金銭的と言い換えてもいい)な成功体験が得られなかった人たちに対して、「構造的なジェンダー強者側にいるという自覚が皆無」と指摘されても響かないのが自然だし、「弱者マウンティング」の取り合いは非生産的だ。そういう意味で、御田寺氏のいう「男性2.0」といった仮想敵を作ろうとする「フェミニスト」たちは、旧来の道徳的価値観から離れることができていないか、もしくは都合の良いところだけを抽出して「男性の苦しさ」を見ないようにしているのではないか、という疑いのまなざしに対してもっと敏感になったほうがいいだろう。

 前述したように「草食系男子」観にしても、女性キャラクター消費に対する批判にしても、過去に繰り返してきたことの焼き直しであり、個人的には「また同じことをやっている」とうんざりした気持ちになる。筆者は選択的夫婦別姓にも賛成だし、指導層の女性率を上げるために何らかの政策を採るべきだとも考えているが、同時に表現の自由を抑制するような空気を醸成することに対しては危機感を覚える。声には出さずとも同じように考えている男性の存在を、「フェミニスト」たちは意図的に無視しているように思えるし、そういった姿勢で性差による社会的な制約をゼロに近づけようとするのは悪手ではないか、とも感じる。

 そういえば、森岡氏は当時のはてな論壇のことを「97段目ぐらいに非モテの議論があって、そこを通過して(自信のきっかけとなる気づきのある)100段に抜けていく」と表現していた。繰り返しになるが「非モテ論壇」の参加者の多くは結婚して議論からは卒業していった。もしかして仮想敵を作って「弱者マウンティング」を取るという戦法を取っている「フェミニスト」たちも、いつか自身の論理の自信を得て力強いフェミニズムの担い手になれるのかもしれない。とはいえ、10年前の「草食系男子」の論考を蒸し返しているような状況だと、あまり期待が持てそうにない、というのが正直なところだ。