「弱者マウンティング」は一体何を生むのか? 「#MeToo」記事に欠けている思慮

ネットでは「弱者」とは何かが厳しく問われている(写真:アフロ)

 シアトルのハイテク企業に勤めるトム・サンダース(マイケル・ダグラス)が、本社からやってきたかつての恋人メレディス・ジョンソン(デミ・ムーア)に夜のオフィスに呼び出され誘惑されるのを拒否すると、翌日に彼がメレディスにセクハラをしたことになっていた――。

 『Twitter』で広がったセクハラ・パワハラ告発のハッシュタグ「#MeToo」と、ブロガー・作家のはあちゅう氏の過去の体験告白が『BuzzFeed Japan』に掲載された記事を読んで真っ先に想起させられたのは、映画『ディスクロージャー』だった。「被害者は女性」という既成概念を覆したこの映画、アメリカで公開されたのは1994年12月。もう23年も前の話だが、今となっても新鮮な示唆に飛んでいるように思う。

 まず、個人的な立場を明らかにしておくと、男性・女性あるいは有名・無名に関わらず、セクハラ・パワハラと感じたならばそれはセクハラ・パワハラであるし、被害者であるということに変わりはないと考えている。そして、その被害を訴えることは批判されることにはあたらない。

 しかし、日本における「#MeToo」において、はあちゅう氏が表に出たというのは、さまざまな面でこの運動を歪めたという現実は揺るがないとも感じる。それははあちゅう氏が例えば以下のようなツイートをしていたからだ。

 このツイートには男性から「セクハラじゃないか」というリプライが殺到していた。このような童貞蔑視ツイートをはあちゅう氏が投稿していたのは一回では二回ではない。

 さらに過激なのは、はあちゅう氏が2013年にネットメディア『AM』の記事で「36歳以上で、結婚してないor結婚を考えるパートナーがいない人は、何かしらの問題がある」としていることだろう。ここでは「マザコン」「おかしな性癖がある」といった問題の例が上がっている。これも「悪意のない決めつけ」が男性の側を傷つけた揺るがしようのない過去だ。

 だから、今回の『BuzzFeed Japan』の記事にも、はあちゅう氏もセクハラ・パワハラをしていたという反応が多数上がったのは当然の成り行きだったように思えるし、まるで「弱者マウンティング」をするかのような態度に見えたのも仕方のないことだろう。

 『BuzzFeed Japan』では、はあちゅう氏の告白記事を出した後、古田大輔編集長が次のような記事を配信している。

 はあちゅうと #metoo への批判 ハラスメント社会を変えるために共感を広げるには

 ここでは「#metoo は、世の中で見過ごされてきたハラスメント問題を可視化した」としている。これは確かにその通りだ。おそらくはあちゅう氏の記事を出すことによって起きた「議論」がさも社会を良くする、と考えているのだろう。

 しかし、この記事が出た以降の「#metoo」が果たして「議論」と呼んでよいものなのか、個人的には疑問に感じる。誰もが「弱者」になりたがり、その立場から相手を攻撃もしくは復讐するといった行動になってはいないか。人の立場はそれぞれのコミュニティによっても変わるし、個々人同士の関係性でも変わる。それが個人の意に沿わない時に、メディアを利用して相手を貶めようとしたり、冒頭に挙げた『ディスクロージャー』のようなでっち上げが起きる可能性もある。そういった「弱者マウンティング」を取り合うような社会になることを、筆者としては望まない。

 男性の側の立場からすると、セクシャルハラスメントの疑いに限らず痴漢冤罪といったストレスに常に晒されている。そういった問題を過度にメディアが大きくピックアップすると、男性からの怒りがネット、とりわけ『Twitter』に噴出するようになる。日本の法体系だと批判されて叩かれるといった生ぬるいものではなく、即座に刑事事件ものになって弁解の余地が与えられないことも多い。男性の方が酷い社会で生きているのではないか、と今度は女性に「弱者マウンティング」を仕掛けることになる。そこに対してさらに女性の側が男性に対して「自分たちの方が生きづらい」と畳み掛ける、といったことが既に起きている。これは果たして「#metoo」の目的として外れてはいないだろうか。また、ネットでメチャクチャに叩かれる人を見て、押し黙る人が男女関わらず増えるのではないか。

 

 そういった心理に対して、「#metoo」で過去に男性(特定の誰か、ではなく)を貶めるかのような発信をしていたはあちゅう氏を前面に出した『BuzzFeed Japan』の姿勢に対しては疑問を抱くし、ネットや現代社会の男女のあり方への思慮が足りなかったと言わざるを得ないだろう。発信すればするほど「共感」の反対方向へ進むような「話題」を出したことには功よりも罪の方が大きいように筆者には思える。