『シン・ゴジラ』人気とネットユーザーの安倍内閣支持の一考察

『シン・ゴジラ』のスタッフ・キャスト(写真:MANTAN/アフロ)

2016年の夏に公開された『シン・ゴジラ』のブルーレイ&DVDが先ごろ発売になった。筆者は都合3回全編を見たが、ここで描かれたのは終始一貫して政府・官僚が未曾有の災害を前にして、法制やさまざまな手続きに則りつつ、いかに対処していくのかということだった。まさにキャッチコピーにある「現実対虚構」にある通りだ。これまでの『ゴジラ』のように特別な対怪獣兵器は登場せずに、現実にあるものをいかに活用して戦っていくのか、それを矢口蘭堂を長とする巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)の面々が編み出していく過程に焦点が当てられており、それが環境省自然環境局野生生物課長補佐の尾頭ヒロミや保守第一党政調副会長の泉修一らの人気に繋がったといえるだろう。

ここで注目されるのは、野党勢力や政府の対応への不満を持つ市民たちがほぼ描かれなかったことだ。「現実」ならば野党幹部クラスが会談を申し込むなり臨時国会の招集を要求するなりしただろうし、ゴジラの存在にまごつく政府に対してデモ(最悪の場合は暴動)が起きることも考えられる。そういった政治的な混乱は敢えて「ない」ものとして、政府首脳や官僚たちにスポットライトを当てて、しかもそれが人気を博したということをどのように捉えるべきなのか。

いきなり現実世界に話を進めると、森友学園や共謀罪等のネガティブ要素があるにしても、安倍晋三内閣や自民党へのネットユーザーの支持率は堅牢だ。『ニコニコ動画』が2017年3月22日に実施した『月例ネット世論調査』によると、安倍内閣の支持率は55.1%。前回より3ポイントしか落ちておらず、とりわけ30代では58.5%と高い。自民党の支持率は43.9%。これに対して、民進党は1.6%。共産党は2.4%。日本維新の会は2.8%。控えめに言って、自民一強という様相になっている。

先ごろ刊行された社会学者の西田亮介氏の『不寛容の本質』では、第3章『なぜ若者は「反自民、反安倍」でないのか』で、60~70年代安保の学生運動を「昭和の面影」として、「若者世代のマジョリティが自民党を支持する傾向にある」事と対置して論考を展開している。

西田氏は2009年の衆議院選挙により麻生太郎内閣から鳩山由紀夫内閣へと政権交代が起きたことを「自民党以外の政党による政権交代の記憶が存在する」と記している。だが、筆者はそれより前にも同様のことがあったことを覚えている。1993年の細川護煕内閣の誕生だ。

当時、自民党副総裁の金丸信氏の闇献金事件があって自民党不信が高まり「政治改革」が叫ばれていた。党内からも羽田孜氏・小沢一郎氏らが新生党、武村正義氏らが新党さきがけを結成。それぞれが自民党から離党して細川氏率いる日本新党や、社会党などとも合同、新政権の誕生となった。

しかし、細川内閣は衆議院の小選挙区制や政党助成金制度の導入を果たすものの、263日の短命政権に終わった。その後を継いだ羽田内閣も在職期間が64日と歴代最短となり、村山富市氏を首相にした社会党・新党さきがけ・自民党の連立内閣へと移行することになる。

この政治的混乱期はバブル崩壊後の就職氷河期突入と重なっている。また、1995年の阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件で政府の対応が後手後手になったことへの非難も高まっていたことを筆者は覚えている。その時代を記憶している人間からすれば、政権選択を国民が誤ると、取り返しがつかなくなるということが胸に刻まれているのではないだろうか。

1993年と2009年の政権交代には、どちらも遠因として経済的な失速も挙げられる。前者はバブル崩壊、後者はリーマンショックになる。結果的に鳩山内閣・菅直人内閣・野田佳彦内閣と続いた民主党政権では、景気回復を果たすことができなかった。さらに、菅内閣の間には東日本大震災が起きている。ここでは詳細を省くが福島第一原子力発電所事故の初動対応についてさまざまな問題点が議論の的になっているのは言うまでもないだろう。

過去二度の自民党の下野が、政治的安定を揺るがし、経済的な低迷を脱せず、なおかつ大規模災害に対して有効な対応がなされなかったという「印象」は、とりわけ30~40代の「ロスジェネ世代」には強く残された。それが政治的信条に依らない自民党支持へと向かわせた。野党やマスメディアの「重箱の隅をつつく」事よりも、とりわけ経済的な安定を有権者は求める。この事は前述の西田氏の著書でも、選挙の際に「景気・雇用」や「社会保障」が重視されていたと指摘されており、マジョリティの安倍内閣・自民党への支持へと繋がっている。もっと言うならば、野党やマスメディアの報道よりも、政府・官僚に対する信頼が上回っていると言えるのではないか。

ここまで見てくると、『シン・ゴジラ』がゴジラという「現実」に対処する政府・官僚の戦いを徹頭徹尾描いたというのは、2016年に作られた映画として秀逸だった、という評価をせざるを得ないだろう。彼らが全力で「現実」に向き合って格闘しているということを、多くの日本人は信じているし、信じたい。そういった深層心理を『シン・ゴジラ』は汲み取ってみせた。とりわけネット世代に響いたのは、誰もが現実を前にして戦っているという姿を描いたことだろう。個人的には、内閣総理大臣臨時代理になり、とても危機管理を担う人材には見えなかった里見祐介がフランス大使に対して頭を下げているシーンを見て、胸を熱くしない人とは友だちになれる気がしない。

政治家や官僚も人の子なので、時として誤った判断や行動に出ることもあるだろう。だが、根本は目の前の仕事に全力で取り組んでいる。そういった「人間への信頼」が『シン・ゴジラ』の裏テーマであり、それが現在の安倍内閣への支持率の背後にあるように筆者には思える。

ところで、『シン・ゴジラ』には協力として東日本大震災の時の官房長官だった枝野幸男氏の名前がクレジットされている。彼が目にクマを作って記者会見に臨む姿を見て、Twitterでは「枝野寝ろ」というハッシュタグが作られた。彼の対応が適切であったのかの是非は置いて、ネットユーザーの多くはその奮闘を認めていた証左とも言えるだろう。そういった意味では、野党が信頼を取り戻すカギも『シン・ゴジラ』には隠されているようにも思える。