JIAA『ネイティブ広告ハンドブック2017』騒動と、広告サイドとメディアサイドの「溝」

 一般社団法人日本インタラクティブ広告協会(JIAA)が発表した『ネイティブ広告ハンドブック2017』が、広告・PR・メディア関係者の間で波紋を呼んでいる。主にそれぞれの立場によるディスコミュニケーションによって。

 きっかけはPRやライターとして活動している塩谷舞さんが「取扱説明書レベルに読解大変」とツイートし(参照)、それに対しての(主にインサイダーの)反発があり、それに対して今や業界屈指の売れっ子ライターのヨッピーさんが『Facebook』とブログのエントリーで批判(揶揄とも取れる)し……という流れなのだけど、ここでは深く追わない。関心のあるという読者の方はヨッピーさんのエントリーをご一読を。

 ネイティブ広告ハンドブックと広告業界の「蹴鞠おじさん」について (ヨッピーのブログ)

 結果的に、Googleで「ネイティブ広告ハンドブック」を検索すると、1番上に上記のエントリーが出て、肝心のハンドブックは2ページめの下の方に出てくるという状態になっている(参照)。あーあ。

 

ハンドブックで書かれていることは明快

 まず、ハンドブックに書かれていることは実のところ明快だ。「ネイティブ広告」=「ユーザーのオンライン活動を阻害しない広告」として、「受け手にとって快適な形式で有用な情報を提供することで、企業のマーケティング課題を解決する」などといったこれまでの広告の役割とは変わらないと定義。それには「コンテンツ」が重要だとして、要するに読者の興味関心に則したものを作りなさい、としている。その上で、実際に従来型広告よりも効果があったという実証例が提示されている。そして、あくまでも「広告」であることが消費者にとって分かる形にしなければならない、と強調。最後に「ネイティブ広告の今後には可能性が広がっている」と記されている。少なくとも個人的には難解だと感じられるところはなかった。

消費者庁による規制への危惧

 個人的に注視したいのは、このタイミングでこの文書が出された背景だ。このハンドブックは、以下のように締められている。

 これらのようにネイティブ広告というのは今後の展開も頼もしい、新しい広告市場を生み出すことのできるコンセプトであると考えられる。しかしながら、ネイティブ広告はその特性からも、ユーザーを騙すようなものであってはいけない、ユーザー体験を妨げるものではあってはいけないという倫理規範も求められる。広告主、広告会社、媒体社、広告テクノロジー企業がそれぞれそのことを自覚しながら、手を取り合って、ユーザーも含めた、複数の Win を作って、市場を作っていくことが各自必要だ。

 このネイティブ広告市場を長期に渡って生きながらえさせるものにするのか、それとも短期的なブームにしてしまうのか、それも業界関係者がこの市場をどのように扱うかによって決まってしまうのだということも理解しておきたい。

 つまり、現状ではJIAA基準での「倫理規範」に外れたものもあり、「短期的なブーム」に終わる危険性があるということだ。いみじくもインターネット広告推進協議会事務局長の長澤秀行さんが次のようにツイートしている。

明日、消費者庁がネット広告、特にソーシャルメディア広告などの実情ヒアリングに来る。jiaa各種ガイドラインとハンドブック等で説明をするが課題意識があるとの事なのでよく聴く。FTCのネイティヴアド規制を意識しているのか

出典:長澤秀行さんのツイート

 簡単に言うならば、現状のままならば景品表示法を所管する消費者庁による規制強化につながりかねない、というのがJIAAの「問題意識」であり「危機感」であるということだろう。規制当局に線引きをしてもらうのではなく、広告業界で自浄作用を働かすことができるということを示す、というのがJIAAがハンドブックを公開した目的であると、筆者は理解している。

ハンドブックの欠陥

 ただ、何をもって「広告」とするのか、規定をするのは難しい。2015年3月にJIAAが公表したガイドラインによると、「媒体社が広告主から対価を得て掲載する広告はすべてガイドラインの対象とする」としているが、「対価」とは何か。コンテンツを制作するのに必要な予算を提供されたことは「広告費」なのか「編集協力費」なのか(個人的には後者の立場になる)。物品を提供されたり、取材先までの交通費を負担された場合はどうなるのか。これらは関係者の間でも意見が分かれているし、このハンドブックでも「対価」について明確にすることを避けている。

 こういった意見が割れている段階だと、消費者庁が十把一絡げに規制をしましょう、という方向になった場合、特定の企業が立ち上げた「オウンドメディア」までも潰れかねない(「広告」だとわかりにくいメディアは沢山存在している)わけで、そのための注意喚起の必要性に駆られてこのハンドブックは生まれたと言えるだろう。

 ただ、いみじくもハンドブックの冒頭に示されているように、JIAAのガイドラインは「ステルスマーケティングへのアンチテーゼ」として生まれているが、何をもって「ステマ」とするのかは、ユーザーが「ステマ」だと感じれば「ステマ」になりはしないか? 

 また、現状では広告表記をしないことに対しては現行法には触れない。これについてハンドブックでも『日本の国内法の運用解釈』という項目で「広告であることを隠す欺瞞的な行為自体が、ただちに現行法に抵触するという解釈はされていない」「(景品表示法で)広告であるかどうかが明確でないことだけでは違反とはならないが」とわざわざ明記している。

 

 もう一つ、個人的に違和感を覚えたのは「ネイティブ広告の類型」として「編集記事ページと同じ体裁のスポンサードコンテンツ」を「特に言及しない」とオミットしているところだ。JIAAとしては「ネイティブ広告」でなく「記事体広告」である場合が多いから、という理屈なのかもしれないけれど。「ステマ」として係争になるのは「編集記事ページと同じ体裁」であることが問題視されているのではないか。

 個人的には、「ネイティブ広告」を「広告枠」、つまり「お金で買ったスペース」であるとしているのも広告サイドの論理に思えた。一方でメディアは「記事体広告」でも通常の記事でも、同じように「コンテンツ」として制作する。記事を作る側からしてみれば、予算があろうがあるまいが同じようにユーザーが読んでもらえるようにテキストを書き、写真や動画を撮る。スペースに貴賤はない。

 いずれにしても、このハンドブックにはネイティブ広告の「思想」については分量を割いて説明されているが、実際の「運用」について不明瞭な部分が残されているし、あえて触れるのを避けている箇所もある。それが塩谷さんが感じた「読解大変」な部分になるように思える。

広告サイドとメディアサイドの溝

 今回の一件で残念に思うのは、広告サイド(上流)とメディアサイド(下流)の意識の違いというか、「溝」がディスコミュニケーションによって広がってしまい、結果的に「ネイティブ広告」の今後の可能性を狭めてしまったように見えることだ。

 ヨッピーさんと議論していた高広伯彦さんは電通・博報堂・Googleに在籍歴のある広告業界のオーソリティーで、ハンドブックの執筆もしているわけだけど、とにかく「説明する」ということを排している。

 高広さんがいきなり「マクルーハンって知ってますか」とヨッピーさんに質問したあたりは個人的なツボで、自分もマクルーハンが「メディアはメッセージである」と示したことくらいは知っているのだけど、正直一本数千円という原稿料で記事を量産しなければいけないウェブメディアの人間全員に『メディア論』読んで勉強しろ、というのは現実的でないと思わざるをえない。高広さん的にはご著書でご自身のことを「衒学的」と述べていたし、マクルーハンの「説明しない、探求する」を実践されているから不勉強が許せないのかもしれないけれど、自分もネットメディアの人間なのでインプットとアウトプットを短距離走のように繰り返さないといけないから、勉強をする時間それ自体が「贅沢」だと感じるし、その余裕がある人のことが正直うらやましい。

 個人的には、このままだとウェブメディア全体のビジネスモデルが危ういという感覚は理解できるし、このままで良いと思っているわけでもない。一方で昨年のベクトルが『週刊ダイヤモンド』に刺された一件で広告主が慎重になったあおりも被って収入が三割落ちたから、一体あの騒動は誰が得をしたのだろう、と疑問に感じることもある。

 そういった広告サイドの意向でルールが決まるという構造には「下流ってツラいな」とも思うし、ウェブで書いている多くのライターはキャリアパスが描けないから、勉強しようという意欲が湧かなかったり、「業界のお作法」を守り伝えていくといったことが断絶するのも無理ないことなのではないかな、と感じざるをえない。

 そんなわけで、自分としては今回の一件は、知識にしろ予算の決済権にしろ「持てる者」と「持たざる者」の意識の違いが顕在化したのだと感じるし、理解を得る努力は「持てる者」が払うべきだと考えるので、自分のような木っ端ブロガー・ライターも含めてさまざまな立場の人が本音でぶつかりあえるような場を作って頂きたいな、と思う次第です。もう遅いかもしれないけれどね。