広島平和記念公園の『ポケモンGO』スポット削除で「平和」とは何か考えさせられた

『ポケモンGO』は「平和の象徴」なのでは?(写真:アフロ)

日本でも2016年7月22日から提供されている『ポケモンGO』。各地の神社や病院などの対応が話題になっているが、広島市が平和記念公園内の原爆ドームや慰霊碑など30ヶ所の「ポケストップ」「ジム」の削除を要請、ナイアンティックはそれに応じた。

広島の原爆慰霊碑もポケストップに 市が削除申し入れ(朝日新聞デジタル)

ポケモンGO設定、全削除 広島・平和記念公園 (共同通信 47NEWS)

この話を聞いた率直な感想として、なんだか悲しい気持ちにさせられた。

『ポケットモンスター』の世界は、ポケモンと人間が「助けあっている」世界で、『ポケモンマスター』になることでポケモンも人間も成長していく、というストーリーになっている。だから、ポケモンをモンスターボールで捕まえるのは「対話」であり、その後彼らと旅をすることで『ポケモンマスター』=人間もさまざまなことを学んでいく、というのがストーリーの根底にある。このようなコンテンツが生まれたことは、日本が成熟された平和な社会であることの証左でもあるように、個人的には思える。

上記の朝日新聞の記事によると、『ポケモンGO』のスポットの削除を依頼した理由として「慰霊・鎮魂のための聖域としての静けさや雰囲気を失わせる」ということのほか、慰霊碑周辺にゲーム目的の人が多数集まっている状況について「参拝者や観光客が近寄りがたい状況」だとしていたという。逆にいうと、慰霊目的以外の来場者を拒んでいるとも取れる。「平和」の名のもと、排除の論理が働いていることに強烈な違和感を覚えるのは筆者だけだろうか。

『ポケモンGO』のポケストップはスマホゲーム『Ingress』のデータを用いられているのは周知の通りだが、例えば宮城県石巻市では、東日本大震災以前の建物の写真を「記憶のポータル」として申請する復興支援イベント『initio』で、現地の方々から津波から生き残った貴重な画像を用いている。『Ingress』のプレイヤーが残した「記録」を、『ポケモンGO』をプレイすることによって震災の被害や亡くなった人々について想いを馳せることができるようになっているのだ。

そのような「記憶」と「記録」を仮想現実(AR)に残すことによって、単にゲームを楽しむだけでなく、そこで何が起きたのか、どんな人々がいたのか、そういったことも内在されているということを、広島市が考慮できなかったということが筆者としては残念だ。

広島市では平和公園に隣接する市民球場跡地の用途について、サッカースタジアムを求めるJリーグ・サンフレッチェ広島と市側の協議が紆余曲折している。これも「平和」「慰霊」に相応しい場所というこだわりの強い世代との摩擦が生み出していることのように見える。

スポーツ(特にサッカー)とゲーム、それらと鎮魂を個々人が持つということは両立しえないことなのだろうか。「平和」を享受することは、かつてそこで亡くなった人々がいたという「記憶」をもたない、ということになるのだろうか。現在の広島は、そういった問いかけに対して、「鎮魂原理主義」で臨んでいるように感じる。それも一つの答えではあると思うが、もう少し集まってくる人々の感受性を信頼してもいいのではないか、と考えてしまう。

いずれにしても、今回の平和公園内の「ポケストップ」「ジム」削除については、「平和」とは何か今一度考えてみる好機ではあるのだろう。それがかつてこの場だけでなく、第2次世界大戦という歴史上の出来事を身近に感じ、後代に記憶をつなげていくためにはどうすればいいのか、そのあり方や方策をさまざまな人が考えるきっかけにすることや、「平和」への感謝の念を持つことが、最良の「鎮魂」になるのではないかと思う。

<追記:2016年8月6日17時>

毎日新聞の記事によると、ナイアンティックは「ポケストップ」「ジム」の削除だけでなく、キャラクター=ポケモンが出現しないように設定したのだという。また、長崎の原爆資料館や平和公園周辺も市からの要請に応じて同様の措置を取ったと報じられている。

ポケモンGO:広島・平和記念公園を除外…開発会社(毎日新聞)

ポケモンGO:長崎・原爆資料館、平和公園も除外 - 毎日新聞

今後、どのような基準で削除の要請・申請が通るのか、明確になることも求められるのではないだろうか。