選挙に行かなくても政治には「参加」しているし無問題である

必ずしも「投票」だけが有権者の「政治行動」ではない。(写真:アフロ)

選挙期間中となると、必ず「選挙に行こう!」的な啓発活動が行われる。今回の参議院議員選挙では、有権者が18歳以上に引き下げられたこともあって、総務省や各政党・団体が「18歳選挙権」をテーマにしたポスターやサイトなどを発表していた。が、正直どれもパッとしない。

総務省は女優の広瀬すずさんやエクスプロージョンを起用した啓発動画を作成し、『Twitter』でハッシュタグ「#18歳選挙」をつけて投稿するというキャンペーンをやっていたが(参照)、直近7日間でのツイート数は最大で145件とまったくと言っていいほど盛り上がっていない(参照)。

自民党のパンフレット『国に届け』は「若者と女の子をバカにしている」という批判の声の方が大きかったし、連合もかなりデキのいいアニメ動画を制作したが、視聴者数は約1300そこそこという数字(参照)。コンテンツの主張や完成度によらず、若者には響かなかったとひとくくりにまとめてもいい状態なのではないだろうか。

実際、朝日新聞が18~19歳を対象にした調査によれば、参院選に「関心がある」層は4割に満たない。

参院選に関心は? 18~19歳世論調査:朝日新聞デジタル

まぁ、高校生の中には期末テスト期間にかぶるというケースもあるだろうし、大学生ならば単位によってはレポート提出を求められることもあるだろう。それらを差し置いて「選挙」に関心を持つには、それ相応の理由というものが必要で、今回彼らに限らず有権者の大多数の琴線に触れる争点があるようにも見えない。

ただし。『争点のない選挙戦こそ「誰」に投票するのか問われる』なんてことを記しておいてアレなのだけど、個人的には個々の有権者すべてが投票行動をしなくても構わないと考えている。理由は簡単で、日本はオーストラリアやシンガポールのような義務投票制を採用しているわけではないから。

自分の選挙区あるいは全国比例区の候補者を吟味してみて、自分の考えとどうしても違和感のある人しか立候補していなかった場合、多少のことに目をつぶって消極的に支持できる人を選ぶ、という判断をするには、それ相応の政策的な知識が必要というのが現状なように思える。そこを分かりやすく噛み砕いて語れる候補がどれだけいるのかということは疑問だし、「考えるのがめんどくさいので投票に行かない」というのは、むしろ立候補者側の説明能力の不足に投票率の低さの原因を求めるべきなのではないか。

一方で、土日も仕事なり外せない用事があって、なおかつ平日も仕事や学校があって期日前投票に行けない、という人もいるだろう。逆にいえば投票権を行使するよりも優先すべき何かがその人にはあるということで、その選択を批判するのは筋違いだとも思う。そして、平日も休日も忙しい、という層は普通に仕事をしていて生活を営んでいる人ではかなりの数がいるように感じる。

選挙権は権利であり、投票率の多寡について有権者を批判するにあたらない、ということは『ポリタス』で吉田徹北海道大学法学研究科教授が明確に言明している。個人的にもこの論考に賛成だ。

ワカモノが選挙に行かなくても問題ない(吉田徹)-ポリタス-

もし、はじめて投票権を得て、選挙に行くことがあたかも「義務」のように感じている人がいるならば、投票に行かないということも政治に参加している行為なのだと伝えたい。「自分に合った候補がいない」「投票よりも大切なことがある」という表明にもなる。そして、その行為を受け止めるべきなのは選挙に当選してバッジを手にした候補者たちだ。

その上で、有権者には選挙の「結果」に対して「責任」を有する。別に時の政府の政策や国会での議論に対して「白紙委任」を与えているということではなく、ヘンだと思えば声を上げてもいい。我々有権者の「責任」とは、投票するにせよしないにせよ、その行為を他人に尋ねられた時に、ちゃんと答えることが出来るようにしておく、ということだ。もちろん「だってテストの方が大事だから」「家族サービスで忙しい」というのも十分に理由になる。

だから、個人的には有権者に「投票率を上げましょう」といったことを求める運動には与しない。それぞれがそれどれの判断で投票行動を決めて、その結果として投票率が低ければ、政治家が魅力的な提案をできなかったということにその原因を求めるべきだと思う。