村上春樹氏は「公人」なのか? 高校図書室とメディアの倫理が問われる「高1でケッセル愛読」記事

『神戸新聞NEXT』該当記事

2015年のノーベル文学賞は、ベラルーシ人の作家スベトラーナ・アレクシエービッチ氏に決定した。第二次世界大戦の従軍女性の証言を掘り起こした『戦争は女の顔をしていない』や、チェルノブイリ原子力発電所事故に遭遇した人々にフォーカスした『チェルノブイリの祈り』を送り出した彼女とその作品に対して、スウェーデン・アカデミーは「私たちの時代における苦難と勇気の記念碑といえる」と、最大限の賛辞を贈っている。

ノーベル文学賞にベラルーシ人作家 フクシマを積極発言(朝日新聞デジタル)

これに対して、日本のメディアはもっぱら、村上春樹氏の受賞の有無に終始した。受賞を逃したことが明らかになると、「またも逃す」「10連敗」といった見出しが踊り、ファンの「残念」「来年こそ」といった声が紹介されていた。もはや秋の風物詩といっても良い情景といえるかもしれない。ご本人はウェブでのアンケート企画などでノーベル賞について質問されるたびに迷惑そうにされているし、受賞しなかったからといって作品の価値が減じるわけでもないのだから、もう少し静かに迎えられないものかと思うのだけれど……。

ただ、今年は過熱報道の過程でシャレにならない事態も起きた。神戸新聞が、高校時代の村上氏の図書室の帯出者カード3枚が見つかったことを写真入りで報じ、彼のみならず他の貸出者の名前が読める写真が掲載されたのだ。

村上春樹さん 高1でケッセル愛読 神戸の母校に貸し出し記録(神戸新聞NEXT)

日本図書館協会による「図書館の自由に関する宣言」には、下記のような条文がある。

第3 図書館は利用者の秘密を守る

1.読者が何を読むかはその人のプライバシーに属することであり、図書館は、利用者の読書事実を外部に漏らさない。ただし、憲法第35条にもとづく令状を確認した場合は例外とする。

2.図書館は、読書記録以外の図書館の利用事実に関しても、利用者のプライバシーを侵さない。

3.利用者の読書事実、利用事実は、図書館が業務上知り得た秘密であって、図書館活動に従事するすべての人びとは、この秘密を守らなければならない。

神戸新聞の記事や、読書記録を外部に漏らした神戸高校は、明らかにこれに違反している。このため、同記事のWeb版では4200を超える『Twitter』での反応があり、そのほとんどが本人の了承得ないで公表した事に対する疑念あるいは批判だった。

普段から個人情報の扱いには敏感な「はず」の新聞社が、なぜ今回チェックをすり抜けて掲載されてしまったのだろう?

これについては、神戸・図書館ネットワークが神戸新聞文化部に問い合わせた内容をブログで公開している。

神戸新聞が村上春樹さんの学校図書館貸し出し記録を掲載(神戸・図書館ネットワーク)

それによると、次のような見解だという。

1 神戸高校の了解は取っている

神戸高校を取材し、このような記事を掲載することについては

了解いただいていると考えている。

2 帯出者カードに記載のある方々の承諾はとっていない

・村上春樹さんについては

社会的関心が高い公人である。どのような経緯をたどって今のよう

な存在になったのかという原点を探る意味で重要な情報であり、記

事である。また村上春樹研究に役立つと考えている。

最近のものではなく古い記録である。

・その他の方々について

新聞社としても迷ったが、他の方の名前を消すとカードの真偽が

わからない。

この形でそのままカードを掲載することで記事の根拠になり、資料

的価値が高まる。

個人情報保護とのせめぎあいの中で、そのまま掲載することにし

た。

3 個人の同意がない情報を掲載する場合には神戸新聞社行動規範に従い公共の利益に資するかどうかで判断している

今回の場合は村上春樹さんは公人であり社会的関心が高くこの話題に

は価値がある。

その他の方は、記事の根拠と資料的価値を高めることを優先した。

4 図書館は利用者の秘密を守るということについては承知している。

まず作家は「公人」なのかという是非から、国語辞典を紐解く案件ではあるけれど、「原点を探る意味で重要な情報」「村上春樹研究に役立つ」という理由で、簡単に開示して良いものなのか。また、資料的価値を個人情報保護に優先したという判断も、メディアとして軽率だと思える。

このように「有名」だからという理由で、「図書館の自由に関する宣言」が無視され、あまつさえ同じ本を借りていた人の実名を出されることが「資料的価値」という名のもと正当化されている。いやぁ、ありえないでしょ。

一方で、多くの(文字通りの)公人がプライバシー意識を完全に把握している、とは思えない。今後、作家やスポーツ選手のルーツを探るという免罪符で図書館の貸出カードが探られ、それを開示してしまう担当者が出てくる可能性は高いし、なおかつそれを載せて通してしまうメディアは増えるのではないか。このことに関しては筆者自身も本当に気をつけたい。

なお、10月9日の段階で、日本図書館協会に問い合わせたところ、神戸新聞の記事の内容は確認しており、今後は図書館の自由委員会によって事実関係を調査する方針とのこと。このことは神戸新聞側にも伝達済みで、調査の結果を待って見解を出すか決定するとのことだった。

今回の事例が、悪しき前例にならないように、関係各位の賢明な対応を望みたい。