キングコング西野さんの絵本から学ぶこと

キングコング西野さんの「えんとつの町のプペル」という絵本についての騒動がありました。

絵本として売っている絵本をネットで全部公開したところアマゾンで1位を取ったりして、好調だった売上が加速して、25万部も達成して絶好調のようです。100万部を目指しているそうですので、まだまだ道半ばということのようです。

それに対して、イラストを無料で公開したことに対して、ネット上のクリエイターから無償公開に対して反発の声が出ました。

いくつか誤解がありそうだったものの、感情的に許せないという反発も含めて、それなりに騒然となっているという状況でした。

その中で、西野さんのお話を見ていて、「物質としての絵本」「データとしての絵本」はイコールではない、という部分がポイントだなと思ったわけです。

今回、Webで公開したのは、そもそもPCやスマホ向けの比較的低解像度に落とした画像です。紙の絵本に比べて質は低いし、手触りもない。子供に読み聞かせるツールとしての価値も得られない。つまり「データの価値」は、絵本の魅力の一部でしかない。

さらに、Webで作品のクオリティを判断した人が、友達へのプレゼント用に購入するという需要も決して少なくないようにも思えます。

絵本がプレゼントとして適しているかを判断するのに中身を見るというのは、本屋であれば、さほど不思議なことではないように思います。それをネットを通じてやっただけだと考えれば、絵本の売り方としては、とくに問題になるようなことではないように思えます。

「物質としての絵本」の価値を理解してもらうために、その中身に書かれているコンテンツそのものを「データとして」公開したわけです。

■クリエイターさん側の反発

それに対して、この行為を受け入れられない人たちが、感情的に許せないポイントとしている部分を考えてみたのですが、イラストレーターさんなどは「データそのもの」を商売として取り扱っているので、その行為自体が自殺行為に見えたのではないでしょうか。

絵本の中の一部分ではあるが、イラストレーターさんからすると命そのものであるイラストを販売の道具に使われたという感覚はあるようにも思いました。

この騒動において、ビジネスの一般論で語られていることで、

「フリーミアムで商品を売るために、一部を無償公開するのは当然だ」

という意見がある反面、

「フリーミアムで商品を売るために、絵本の構成要素の一つであるイラストやコンテンツを無償公開するのは何事だ。俺たちの立場は利用されてるだけじゃないか」

という仮説を考えてみたのですが、いかがでしょう?

■評価経済というまやかし

この行為に対して、西野さんは「評価経済」という言葉を使っています。評価経済とは、いいことをして信頼を得ていると、後に経済的な見返りがもらえたり、次に何かをいただけるきっかけになるという考え方です。ご本人はそういうお気持ちでやられているのかもしれませんが、それ以前に、この行為が成立したのは、絵本という商品特性が大きく影響しているように思えます。

ご本人も絵本の「物質的価値」と、「データとしての価値」は理解されてやられているわけですので、評価経済というよりは、一部の商品性であるデータの秘匿性を犠牲にして、物質としての商売に繋げたという部分は、わかっててやられているはずです。

もし、絵本という商品がデータとしての価値にお金がつく商品であれば、おそらく公開しなかったのではないかと思います。

データとしての価値を公開して、販売に結びつけたのは狙い通りだったにせよ、データの部分を無償公開されることに対して、利害を感じる人は反発した。それが、この騒動の狙いなのか、想定外だったのかはわかりませんが、まあいずれにせよ地雷を踏んだというのが、今起きていることの入り口なのかなと思います。

■この騒動から学んだこと

個人的に学んだのは、ネットがまだまだマイノリティであることを理解したのと、商品特性を整理することで、コンテンツ自体を全公開しても、商品の魅力が損なわれない商品があるんだということを学びました。

CDやDVDについては、そこに乗っているデータそのものが商品価値で、かつPCでほぼほぼ満足する形で再現できてしまった上に、オンライン販売でCDを買うよりも便利になってしまったため、インターネットに殺された代表例の商品です。

プペルの例に例えれば、CDのジャケットなどに物質としての価値が宿っていればCDを買う人は減らないわけですが、CDに関しては、ほとんどの人は、ジャケットなどには特別な魅力を感じていません。しいて言うと、アナログレコードの方が物質的な価値を感じている人たちは多いようですが、それもマイノリティでしょう。

それ故に、デジタルコンテンツについては西野さんの戦略は取れない、取らないということになるのかなとは思ったりします。

アナログコンテンツで、できるだけデジタルから遠いものについては、インターネットでは思い切ってバズを産むために活用するという事例が見えたのが、今回の騒動の最大のメリットだと思います。

評価経済というよりは、単純に商品の販促方法として、このような手が使えるわけです。

step 1.実物の商品と、ネットで公開される情報には緩急が存在する商品

step 2.ネットでは、できるだけ具体的に商品性を公開してみる。

step 3.実物の商品を体験するモチベーションを高めたり、誰かにプレゼントするような用途に対する品質をネットで体験させてしまい、結果として、実際の商品が売れる。

このステップをたどっても商品性が損なわれない商品であれば、同じ戦法が違う商品においても使えるのかと思います。

■石井ゆかりさんの例

なお、似てはいないけど近しい例というと怒られてしまうかもしれませんが、少なくとも僕が思い出した事例として、石井ゆかりさんの占いコンテンツというのが挙げられます。

筋トレ

このサイトは毎週、毎年、星座ごとの占いを惜しげも無く公開されておられるのですが、より詳しい?占いが有料コンテンツで提供されていたり、書籍として提供されていたりするようです。

石井ゆかりさんの存在は、知人から教えてもらったのですが、その際に、なぜ教える価値があったかというと、占いを惜しげも無く公開しておられて、毎年の「年報」を楽しみにしているからです。

友達に共有する価値があるというもので、それがなくて限られた情報にのみ感動を伝えてしまっても、情報が非対称になってしまい、お金がかかる商品の場合、最悪の場合は、それを共有することが、ただの自慢に見えてしまう可能性もなくはないわけです。それでは商品のブランディグとしては完全に逆効果です。

そうでなくても共感の度合いが低いのであれば、バズとしての伝搬力は弱まります。

やはり共感可能な占い情報が惜しげも無く公開されているからこそ、その名前が売れて、より深掘りした情報としての本や有料コンテンツに繋がるのではないかと思います。

無償コンテンツで品質に対する信頼を産み、お金を支払うにあたっては、より高いバリューを得られるであろうとの期待を抱くということですね。

■まとめ

西野さんが反発されるのは、明らかに商品特性が存在している取り組みにも関わらず、ビジネスモデルとか、金の奴隷解放宣言などと主語を広く取り過ぎてしまっているが故の、という部分も否めないと思うのですが、それ自身が、狙ったものであれば、まぁ釣られる方が悪いという気もするので、そこについてはとくに触れる気はありません。

ただ、これをネットならではのビジネスの一般論として語ってしまうのも物足りない理屈でして、やはり絵本という商品特性が、ネットとリアルを分断させるに値する商品だったということが一番重要なのではないでしょうか。

そして、その絵本の構成要素のイラストを描く人にとっては、その部分をデータとして公開されるのは、自分たちの仕事を無価値にさせられているような気持ちになって、感情的に反発したのではないでしょうか。

最後に、

もしかしたらデータの価値で満足されてしまうかもしれないというリスクを取って全公開した結果、物質としての価値は損なわれないどころか、より売れるようになって25万部を超えるという快挙を見ることができた西野さんに感謝します。