フリーランスを活用するために正社員に求められることは、自分の役割をひたすら「考え続けること」

最近、リモートワークやフリーランスのあり方について考えていたら、こんなニュースがあった。

「もっとフリーランスを!」 働き方改革で経産省

従来の日本型雇用システム一本やりだけではなく、兼業、副業、フリーランサーのような働き手一人ひとりの能力を柔軟な働き方で引き出していくということが重要

昨今、Web系転職においても、最近、リモートワークを求めるエンジニアが増えていて、似たようなことについて考えていた。

しかし、その一方でこういう記事も見つけた。

3.6兆円運用担当者は1日何しているか 「何も」

ネバダ州職員退職年金基金の最高投資責任者(CIO)である同氏は、そうした穏やかな1日を過ごしながら、数百人のスタッフを抱える年金基金よりも大きなリターンを上げている。

 エドマンドソン氏の日々の投資戦略は、取引を最小限に抑えるというもので、通常は何もしない。

何が「その一方」なの?と思う人もいるかもしれないが、この記事を読んで、エドマンドソン氏が「手を動かしていなくてめでてーな」と思ったら、個人的には負けだと思っている。

そうではなく、この人が、「常に運用について考え続けているから、何もしないという行為を選択し、結果を出している」ということに着目すべきだと思う。

正社員など、その役割にコミットすることを選択した人に必要なバリューは、会社で与えられた役割において、そのパフォーマンスを最大限に出すためにはどうしたらいいかを「ひたすら考えて、考え続けて、考え抜いた」結果、最適な行動を行うことが必要ではないだろうか。

これは微妙な考え方かもしれないが、考えるという行為は、いわゆる勤務時間とは無関係にあってもいいと個人的には思う。

「セレンディピティ」という言葉がある。家に帰る時、休日でカフェに行った時、子供を連れて公園に行った時、シャワーをあびている時、、、など、仕事と関係ない行為をしている時に、突然、いいアイディアを思いつくことを示す言葉だ。

例えば、忘れ物を一生懸命探している時には見つからないのに、諦めて、掃除を始めたら突然見つかった、などと言う文脈で使われるものだ。

それ故に、人間に都合のよい概念のように思われることも多いが、セレンディピティは、「常に考え続けている人だけの特権」だと思っている。

脳内に特定のことをずっと考えているが整理しきれない。しかし、脳内はその情報を自動的に整理し始める。たまたま違うことを始めた時に、そこで得た外部刺激と、元の記憶になった情報が結びついて、突如、答えが導き出される。そのことだけを考えていると煮詰まってしまうが、違う行為の何かのイベントと結びついた時に、ふっと思い出すというイメージなのだと思う。

仕事において、考えているだけで何もしないのはダメだが、考えないで何かをするのも効率が悪いことが多い。あえて「とりあえずやってみる」ことで、新しい知見を得て、量を質に転換すべく、新しい知見を得るという選択は、「ちゃんと考えて行動してみた結果」でなくてはいけない。

何かの行動をするのは、チームみんな、外部の人にもご協力いただいて勤務時間の範囲で行えばよい。何かを考える行為は、理想的には、24時間考え続けていることこそが、正社員という継続的な雇用体系の関係性においては望ましい。

リモートワークやフリーランスが活躍する社会になっていくのは大切なことである。しかし、彼らのスタイルは事業の立場から見ると、「受け身」型になりやすい。フレキシブルな労働とは、すなわち、決して事業成長のことを考え続けることにコミットしているとは言いにくいし、そうでないことを前提として登用することが望ましい。

また普段、社内におらず、他の人から見えないことから、その人が他の人に与える相乗効果が生まれにくいのであれば、リーダーシップ的な付加価値を評価することもできない。純粋に労働としての対価になる。

そのような、受け身型の労働スタイルを活かすには、正社員で「考え続けている人」の存在が不可欠である。スポーツチームの司令塔や、演奏の指揮者である。

別に役職としての監督やマネジメントという意味ではない。もっと言えば、社員全員がハブになるようなマネジメント力がある状態が望ましい。その中から今度は社員を成長させることに向いている人たちが将来のマネージャーになればよい。

法律や契約の問題を是正しても、そのような人材が司令塔になれないならば、フリーランスを活かす社会にはならず、会社の中で、事業について「常に考えている」人がいるから、その人を手助けするための多様な人材が、フレキシブルに活躍できるという構造になることが求められる。

フリーランスを守るための法律を作るなどの動きはよいと思うが、その対極にいる、彼らを活かせる人材を育てることは最も必要だと考える。当然、現状はそうなっていないと思うからこそこういう記事を書いている。

僕はWebサービスを作る会社に勤めているが、映画ソーシャルネットワークというFacebookの立ち上げ期を描いた映画で、マーク・ザッカーバーグが友達と話をしていて、突然、Facebookの新しい機能を思いつき、パソコンまで走っていって、ユーザーの交際ステータスを追加する場面が好きだ。

あの走っているシーンで、ザッカーバーグが考えているワクワク感を、社員のメンバーにも感じてほしいと思っている。でも、あれは常に自分達のプロダクトを考えている人だけが得られる特権である。社員として、勤めている会社のビジネスにかかわるという行為を、自分事に捕えて、ずっと考え続けられることが楽しい、と思える職場づくりこそが、マネジメントに求められる仕事でもある。

このように書くと、社畜が欲しいのかと捉えられると思うが、笑い話で、飲み屋で男女が喧嘩した時に男の捨てゼリフで「俺は○○商事だぞ」と言ったとか言わないとか言う話を聞くが、それほど会社と自分を同一視しているのは、ある意味、羨ましいぐらいバカな構図と言えなくもない。しかし、Web業界のエンジニアにおいては、「できるエンジニア」は圧倒的に転職において優位であり、そのようなダメな日本の縮図みたいな関係性は全くなく、我々はまだまだ社会のマイノリティ側の立場で、チームメンバーと良好な関係性を作るという課題があります。そことレガシーな日本の構造と一緒に捉えられると本記事は理解されないとは思っています。