高級なネタで寿司握りロボットが作った寿司vsスーパーのネタで寿司職人が握った寿司どっちが美味しいか?

土曜日に久しぶりに日本酒を飲みながらボーッとテレビを見ていたら、「ひろいき村の挑戦 高級なネタで寿司握りロボットが作った寿司vsスーパーのネタで寿司職人が握った寿司どっちが美味しいか?」という番組が面白かった。

やってることは、ほこ×たてじゃないですか、と思いつつ構図としては、優れた寿司ロボットで作ったお寿司と、職人さんが握ったお寿司とを対決させて、やっぱり職人さんの方が美味しいよねというプロット。

ここ数年話題だった、AI将棋に近い話で面白かった。

ただ、描き方はかなり乱暴で、寿司職人の方は、醤油じゃなくてカラシは使ってるし、変化球投げてて一体何の対決かわからなかったのだけど、まぁそういう描き方になるのはよくわかる。

いずれにせよ、寿司握りロボットの問題点は、ご飯は柔らかく握ったように作られているが、寿司ネタはアルバイトの子(番組ではタレントさん)が切ったのを載せてるだけで握ってないないので、「にぎり鮨」ではないよね、ということに尽きる。

機械で作る回転寿司は、「刺し身を乗せた酢飯おにぎり」という実態なのだから、そこをうまくやる寿司職人に勝てるわけはない。

ところが、渋谷のタッチパネルで自動化されてる某お寿司屋さんは外国人でいつも一杯で、これが日本の寿司かと思わされてしまうのが残念すぎるとは日々思うわけだが、まぁ、とにかく、この番組を見て、職人さんのお寿司が食べたくなった。

中目黒にチャレンジしたスシローも早々に戦略変更に見舞われた。スシローのお寿司も好きだけど、やっぱりおすしの統一感は職人さんには勝てない。

お互い全然違う食べ物だと思う。予約しよう。

どんな高級オーディオであっても、生音には勝てない。デジタルでぶつ切りにしてサンプリングしなくてはいけない以上、必ずどこかに妥協が入るため、本物にはならない。デジタル化、機械化は、その中で一番美味しいところを、がさっと合理的に再現するが、細かいところまでフォローするのはあまり合理的ではないので、一定領域の外はコストの理由で切り捨てられる。そこを人力でカバーできる人間とは違う。

その代わり、ロボット化、自動化は全体的には、そこそこ高いレベルでカバーされてることから、低価格であったり、利便性が高かったり、外国人に優しい寿司市場は、このような寿司ロボットによる低コストな運営が支えていく。

昨今、AIが出てくると10年後になくなる仕事という話が巷を賑わせていた。今まで「プロの当たり前」でまかり通っていた非合理かつ、そこそこ大量生産している仕事を機械化、ロボット化、AI化することで、単純労働については機械が代替してしまうであろうと言う予測だ。

その時に生き残るのは寿司職人で言うならハイエンドな仕事ができる人だけかもしれないし、逆に機械のオペレーターとして生き残る道もある。世の中には、寿司職人を育てる学校で活躍している先生もいるようだし、特定の場所でニッチな商売を続けている人たちもいる。全部が無くなることはないものの、メインストリームは置き換えられていく。

そういう時代になっても、こういう番組では、引き続き職人礼賛という形になるのだろうか。

ロボット vs 人間みたいな構図は、手塚治虫の作品で描かれていたが、あと10年も経つと、そろそろ本格的になっていくのかもしれないな。

個人的には楽観視してるほうで、AI将棋にせよ、寿司ロボットにせよ、それを作っているのは人間であって、あくまでも人間(技術者) vs 人間(職人)の戦いだということは忘れない欲しい。AI将棋も、プログラムのバグをついてプロ棋士が勝つというシーンがよく見られた。バグを作るのは人間の仕業なので仕様の限界や弱点を作るのも人間だと考える。そう考えれば、何も悲観的な未来だけが待っているとは限らないと思う。

技術者は、その道の職人ではない。技術者は技術のプロでしかないので、参考にする職人というモデルがないと作れないので、そこに何かヒントがあるのだと思う。ただ、それをムゲに経済効率だけで突き進み職人さんがいなくなるとイノベーションがなくなり、文化そのものが弱体化していくかもしれないが、それはそれだけの製品力しかなかったと割りきるしか無いのだと思う。機械化は初期の試行錯誤にものすごくコストがかかるので、本物の商品ジャンルにしか参入できない。機械が狙うローエンド領域は、職人さんというハイエンドがブランドを支えている。自動化できる産業は強いニーズがあるということ。多分、大丈夫。

あぁやっぱりお寿司食べよう。前に行って美味しかった恵比寿のくりや川さん、予約しよう。

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